秘本玉くしげ / 上 聖人の道の根本
そのわけは別卷に委くいへるが如し。さて又、唐土の治めかたにては、此方にてはいよいよ道にかなひがたきわけあり。かやうにいはば、儒者の心には却てをかしく思ひて、「天地は一枚にて、人情はいづくもいづくも同じければ、唐土日本とて道に二つはなく、治めかたの根本にかはりはなき事也。殊に唐土は聖人の國なれば、其道をおきて外に身を治め國を治むべき道はあることなし。聖人の道をおきて外に道をいふものはみな異端にして正道にあらず」と儒者はいふべし。然れども是は一通り誰も皆いふ事にてめづらしからず。なほそのうへを今一段高く考へて、かの聖人の道はなほ根本の所にたがひ有て、まことの道にかなはざるところある事を探り求むべき也。うはべの議論の美しきに惑ひて、彼道になづむべきにあらず。殊に本朝は異國とは格別のしなあれば、別して國政を行ふに、道の根本をしらずばあるべからず。これらのわけも委しく別卷にあり。
新字:そのわけは別巻に委くいへるが如し。さて又、唐土の治めかたにては、此方にてはいよいよ道にかなひがたきわけあり。かやうにいはば、儒者の心には却てをかしく思ひて、「天地は一枚にて、人情はいづくもいづくも同じければ、唐土日本とて道に二つはなく、治めかたの根本にかはりはなき事也。殊に唐土は聖人の国なれば、其道をおきて外に身を治め国を治むべき道はあることなし。聖人の道をおきて外に道をいふものはみな異端にして正道にあらず」と儒者はいふべし。然れども是は一通り誰も皆いふ事にてめづらしからず。なほそのうへを今一段高く考へて、かの聖人の道はなほ根本の所にたがひ有て、まことの道にかなはざるところある事を探り求むべき也。うはべの議論の美しきに惑ひて、彼道になづむべきにあらず。殊に本朝は異国とは格別のしなあれば、別して国政を行ふに、道の根本をしらずばあるべからず。これらのわけも委しく別巻にあり。
書き下し
そのわけは別巻に委くいへるが如し。さて又、唐土の治めかたにては、此方にてはいよいよ道にかなひがたきわけあり。かやうにいはば、儒者の心には却てをかしく思ひて、「天地は一枚にて、人情はいづくもいづくも同じければ、唐土日本とて道に二つはなく、治めかたの根本にかはりはなき事也。殊に唐土は聖人の国なれば、其道をおきて外に身を治め国を治むべき道はあることなし。聖人の道をおきて外に道をいふものはみな異端にして正道にあらず」と儒者はいふべし。然れども是は一通り誰も皆いふ事にてめづらしからず。なほそのうへを今一段高く考へて、かの聖人の道はなほ根本の所にたがひ有て、まことの道にかなはざるところある事を探り求むべき也。うはべの議論の美しきに惑ひて、彼道になづむべきにあらず。殊に本朝は異国とは格別のしなあれば、別して国政を行ふに、道の根本をしらずばあるべからず。これらのわけも委しく別巻にあり。
現代語訳
そのわけは別巻(『玉くしげ』)に詳しく言ったとおりである。さてまた、唐土の治め方では、こちら(日本)ではいよいよ道にかないにくいわけがある。このように言えば、儒者の心にはかえっておかしく思って、「天地は一枚であり、人情はどこもかしこも同じなのだから、唐土・日本といっても道に二つはなく、治め方の根本に変わりはないことである。とりわけ唐土は聖人の国なので、その道をおいてほかに身を治め国を治めるべき道はありはしない。聖人の道をおいてほかに道を言うものはみな異端であって正道ではない」と儒者は言うだろう。けれどもこれは一通り誰もが言うことで珍しくもない。なおその上を今一段高く考えて、あの聖人の道にはなお根本のところに誤りがあって、まことの道にかなわないところがあることを探り求めるべきである。表面の議論の美しさに惑って、あの道に執着すべきではない。とりわけ本朝(日本)は異国とは格別の違いがあるので、なおさら国政を行うには、道の根本を知らなくてはならない。これらのわけも詳しく別巻にある。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『秘本玉くしげ』上 理屈どおりにゆかぬ惣じて何事も、実事にかけては其議論理屈の如くにはゆかぬもの也。又儒者は、かの聖人の意を本とすること故に、国政の根本の所はもとよりあくまでよくしれるやうに思へ共、実はなほしらざる所あり。故に、これぞ国政の根本至極と思へる趣も相違して、実の道には叶はぬ事あり。さればこそ、さばかり議論かしこくとりおこなふ唐土の代代に、久しく治平のつづけることはなし。彼国は学問をもよくし、かしこき智者どもの世世に出て、面面さまざまのよき料簡を立れども、古へより今に至るまで、つひに治まり方宜しくして其政の久しく行はれたることなし。其ありさまを考るに、まづ前の人の立たる料簡につきて其通りを行ひこころむるに、思ひの外宜しからざるによりて、是はいかがと思ふ所へ、後の人の出て前の人の料簡の非なることをいへば、げにもと思ひあたる故に、又其料簡につきて行ふに、それも又よろしからず。
-
『秘本玉くしげ』上 漢学に惑うな但し根本の所こそ違ひたれ、唐土の道もさばかりの聖人の智慧を以て建立したるものなれば、末末の今日の行ひの筋などには取用ふべき事おほし。本朝とても中古以来はおほく漢様の政にて、風俗人心もなべて漢様に成ぬる世中なれば、今は末末の事には、かの国の道をもまじへ行はではかなはぬやうなることもある也。されば国君たる人は申すに及ばず、その政を執行ふ人人も、随分に漢学をもして、其道の宜しき所をば事によりて取用ひもすべく、又かの国の代代の治め方の実にはよろしからざることをも考へしり、其根本の所に至ては大に違ひ有といふことをよく弁へ悟りて、ゆめゆめかの道にかたより惑ふべからず。かへすがへすも此根本の所ぞ大切なる。大かた世人すべて漢学をする者は、必かの道にかたより惑ひて他ある事をしらず、此根本の違ひをえさとらざる故に、却て国政をもあやまること多き也。此ところをだによく弁へ悟り、心にしめて動かざれば、いかほど漢籍を看て朝夕これに馴居ても害はなかるべし。
-
『秘本玉くしげ』上 私智を恃む惣じて古より唐土の風俗として、何事によらず旧きに依ることをばたつとばず、ただ己が私智を以て考へて、万の事を改めかえて功を立んとするならはし也。これただ己が才智を恃みて、まことの道をしらざるもの也。故に、その考へたるところの議論理屈は、いかほど尤にて的当したるやうに聞えても、実事になりてはその議論の如くには行はれず、思ひの外の失あるは、まことの道理にかなはざる所あるが故也。然るを此方にても、儒者の料簡はひたすらかの唐土のかたをよき事に思ひて、もの事を己が心もて改め變んとする。かの儒者かたぎの一種の料簡と申すはこれ也。儒者はとかく唐土の治めかたをよろしきやうにいえども、かの代代の治まりぶり、学者の議論のやうにはゆかざるを以て、其実はよろしからざることをさとるべし。
-
『秘本玉くしげ』上 唐土の新法かの国はさばかりかしこき聖賢の出て、学問もあつく、智慧深き人も多げに聞ゆる国なるに、いかなれば左様に代代の治まりかた悪くして、とりしまらぬことぞといふに、上に申せる如く、道の根太をしりがほはすれ共、実はこれをしらざるが故也。惣体世の中の事は、いかほどかしこくても人の智慧工夫には及びがたき所のあるものなれば、たやすく新法を行ふべきにあらず。
-
『秘本玉くしげ』下 根本の心がけこれらの子細は、通例の学者、又神道者なども夢にもしらざる事にて、世間共に大に料簡違ある事也。惣じて世間の人のよき料簡と思ふは、みな唐流の理屈なる故に、其中にはまことの道理にかなはざる事も多し。領主たる御方並に役人中なども、国のためを思ひて、災害おこらず凶事無く、上下共に安全に栄えて長久ならんことを願ひ玉はば、これらの根本の所の心がけ大切なるべき御事にこそ。
-
『秘本玉くしげ』上 改めるたびに害又その非をいひたてて又新しき料簡をたて、いつまでもかくの如くにて、ひたもの度度改め變るほどに、よき事は出来ずして、却て改むる度ごとに害多く、その間には姦曲なる者も多く出て、さまざまと国政をなぶりものにして、終には国を亡すに至れり。さて右の如く、いろいろと改め改めて代代を経たるあひだには、しばらくは久しくつづきて、後世より見ても其仕方まことに宜しとおもはるる事もあれ共、それもまた其かたを後に行ひ見る時は、思ふやうにもあらずして改むるなり。すべて儒者のくせとして、先代の滅びたる所以を論じて、「かくの如くなりし故に其国はほろびたれば、此度は改めてかやうにせば必長久なるべし」といふは、代代のつねのこと也。然れ共、その弊に懲てこれを改めても、又それも同じことにて久しくはつづかず。又議論には常に「聖人の道、聖人の道」といひたつれども、その聖人の道のままにても国は治まりがたき故に、代代にいろいろの新法をば立ること也。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る