日暮硯 / 『日暮硯』二千両のうち七百両が残る
一、或る時公儀より、御役儀仰せ付けられ候由にて、金二千兩差下し候樣と、江戶役人より申越したるに付、相役中、相談致され候て、其中より兩人進み出で、「此の御役は、千二三百兩にて相濟み申すべく候、二千兩迄は入り申まじく候」由、申候。木工これを聞き、「江戶表の儀は此の方と違ひ候ゆへ計り難し」と申され候へば、「イヤ前方手前共が在府の節、此の御役當りにて存じ罷り在り候間、拙者共兩人へ仰せ付けらるべく候、罷下り、相勤め申すべき旨申候へば「左樣なれば彌々以て御忠勤にもなり候間、御大儀ながら、御下向成さるべく候、公用の儀に候間、隨分首尾能き樣、金子勘略なしにお遣ひ成さるべく候」とて、金二千兩相渡し、扨て江戶役人の方へは、此の度御用金二千兩、則ち此兩人に持たせ差下し候間、萬事此兩人に御相談の上、首尾能く御用御勤め成さるべくと申し遣はされ候、斯くて兩人、罷下り一向盜み致さず、好き樣に取り計ひ候ひし故、千三百兩にて御用十分に相濟み、七百兩持ち歸り候。木工其の兩人を稱美して、即ち御前へ木工言上候は、「此の度江戶御役用金二千兩と申し越し候處、兩人の働きにて、千三百兩にて相濟み罷り歸り候右の御褒美として、金百兩宛、江戶役人を合せ三人へ三百兩下さるべく候、元來七百兩は盜み仕舞ひ候筈の金子にて御座候處、兩人の働きにて殘り申候、三百兩御褒美に下され候ても、まだ四百兩の御德に御座候、然して向後、又々出精仕るべく、何程の御德とも計り難く存じ奉り候」と申上候へば、公にも甚だ御滿足にて、則ち三人へ百兩づゝ、此の度の御褒美として下し置かれ候へば、三人ともに殊の外有り難く存じ、夫より彌々以て出精して忠勤を盡し候とかや、君君たれば臣臣たり、實に有り難き仁政なり。
新字:一、或る時公儀より、御役儀仰せ付けられ候由にて、金二千両差下し候様と、江戸役人より申越したるに付、相役中、相談致され候て、其中より両人進み出で、「此の御役は、千二三百両にて相済み申すべく候、二千両迄は入り申まじく候」由、申候。木工これを聞き、「江戸表の儀は此の方と違ひ候ゆへ計り難し」と申され候へば、「イヤ前方手前共が在府の節、此の御役当りにて存じ罷り在り候間、拙者共両人へ仰せ付けらるべく候、罷下り、相勤め申すべき旨申候へば「左様なれば弥々以て御忠勤にもなり候間、御大儀ながら、御下向成さるべく候、公用の儀に候間、随分首尾能き様、金子勘略なしにお遣ひ成さるべく候」とて、金二千両相渡し、扨て江戸役人の方へは、此の度御用金二千両、則ち此両人に持たせ差下し候間、万事此両人に御相談の上、首尾能く御用御勤め成さるべくと申し遣はされ候、斯くて両人、罷下り一向盗み致さず、好き様に取り計ひ候ひし故、千三百両にて御用十分に相済み、七百両持ち帰り候。木工其の両人を称美して、即ち御前へ木工言上候は、「此の度江戸御役用金二千両と申し越し候処、両人の働きにて、千三百両にて相済み罷り帰り候右の御褒美として、金百両宛、江戸役人を合せ三人へ三百両下さるべく候、元来七百両は盗み仕舞ひ候筈の金子にて御座候処、両人の働きにて残り申候、三百両御褒美に下され候ても、まだ四百両の御徳に御座候、然して向後、又々出精仕るべく、何程の御徳とも計り難く存じ奉り候」と申上候へば、公にも甚だ御満足にて、則ち三人へ百両づゝ、此の度の御褒美として下し置かれ候へば、三人ともに殊の外有り難く存じ、夫より弥々以て出精して忠勤を尽し候とかや、君君たれば臣臣たり、実に有り難き仁政なり。
書き下し
一、或る時公儀より、御役儀仰せ付けられ候由にて、金二千兩差下し候樣と、江戶役人より申越したるに付、相役中、相談致され候て、其中より兩人進み出で、「此の御役は、千二三百兩にて相濟み申すべく候、二千兩迄は入り申まじく候」由、申候。木工これを聞き、「江戶表の儀は此の方と違ひ候ゆへ計り難し」と申され候へば、「イヤ前方手前共が在府の節、此の御役當りにて存じ罷り在り候間、拙者共兩人へ仰せ付けらるべく候、罷下り、相勤め申すべき旨申候へば「左樣なれば彌々以て御忠勤にもなり候間、御大儀ながら、御下向成さるべく候、公用の儀に候間、隨分首尾能き樣、金子勘略なしにお遣ひ成さるべく候」とて、金二千兩相渡し、扨て江戶役人の方へは、此の度御用金二千兩、則ち此兩人に持たせ差下し候間、萬事此兩人に御相談の上、首尾能く御用御勤め成さるべくと申し遣はされ候、斯くて兩人、罷下り一向盜み致さず、好き樣に取り計ひ候ひし故、千三百兩にて御用十分に相濟み、七百兩持ち歸り候。木工其の兩人を稱美して、即ち御前へ木工言上候は、「此の度江戶御役用金二千兩と申し越し候處、兩人の働きにて、千三百兩にて相濟み罷り歸り候右の御褒美として、金百兩宛、江戶役人を合せ三人へ三百兩下さるべく候、元來七百兩は盜み仕舞ひ候筈の金子にて御座候處、兩人の働きにて殘り申候、三百兩御褒美に下され候ても、まだ四百兩の御德に御座候、然して向後、又々出精仕るべく、何程の御德とも計り難く存じ奉り候」と申上候へば、公にも甚だ御滿足にて、則ち三人へ百兩づゝ、此の度の御褒美として下し置かれ候へば、三人ともに殊の外有り難く存じ、夫より彌々以て出精して忠勤を盡し候とかや、君君たれば臣臣たり、實に有り難き仁政なり。
現代語訳
一、あるとき公儀から御役儀を仰せ付けられたとして、金二千両を江戸へ送るようにと、江戸役人から申してきたので、相役中が相談して、その中から二人が進み出て、「この御役は、千二、三百両で済むでしょう。二千両までは要りません」と申し出た。木工はこれを聞いて、「江戸表のことは、こちらと違うので、量りがたい」と言うと、「いえ、以前に私どもが在府のとき、この御役に当たっておりましたので承知しております。私ども二人に仰せ付けください。下って勤めます」と申し出たので、「それならいよいよ忠勤にもなるので、ご苦労だが下向なさるように。公用のことなので、できるだけ首尾よいように、金子は倹約せずにお使いください」と言って、金二千両を渡し、江戸役人の方へは、このたびの御用金二千両は、この二人に持たせて送るので、万事この二人に相談のうえ、首尾よく御用を勤められるようにと申し遣わした。こうして二人は江戸へ下り、一向に盗むことなく、よいように取り計らったので、千三百両で御用は十分に済み、七百両を持ち帰った。木工はその二人を称賛し、御前に言上した。「このたび江戸の御役用金二千両と申してきましたところ、二人の働きで、千三百両で済んで帰ってまいりました。そのご褒美として、金百両ずつを、江戸役人を合わせた三人へ、三百両お下げください。もともと七百両は盗まれてしまうはずの金子でございましたのに、二人の働きで残りました。三百両をご褒美に下されても、まだ四百両のお得でございます。そして今後もまた精を出しますので、どれほどのお得になるか量りがたいと存じます」と申し上げると、公もたいそうご満足で、三人へ百両ずつをこのたびの褒美として下しおかれたので、三人ともことのほかありがたく存じ、それからますます精を出して忠勤を尽くしたとのことである。君が君たれば臣も臣たり、まことにありがたい仁政である。
解説

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