日暮硯 / 『日暮硯』童子まで続く稽古の日課
評に曰、木工御役儀、去年迄五ヶ年なれ共、御勝手も直り、御金も夥しく出來候素より聚歛がましき事徵塵もなく、下を憐愍して困窮をすくひ、上を大切にして忠義を盡し、諸人の難儀なき樣に慈悲を本とす、誠に有り難き事ならずや。又家中は七八歲の童子も、明け六つ時に御馬屋へ行き、御馬をかりて五つ時迄を馬に乘り、朝飯後には、四つ時迄手習をし、それより半時、劒術稽古にかゝり、夫れより半時の間休息し、此の間に碁將棋など慰みにするなり、九つ時より弓鐵砲の稽古、七つ時より槍の稽古、夕飯後より十露盤、夜五つ時より四つ時まで諸稽古、或は一時、或は半時替りに、明け六つ時より夜の四つ時迄の內、只半時の休息にて、色々稽古しつめ居候へ共、半時づゝにて所作替り候故、退屈もせず、皆々出精致し候故、松代の御家中は、子供まで諸藝に達し、幼少より馬もよく乘り候由、又遊び候間のこれ無き故、博奕が間敷惡しき慰みは、一向これ無く、自然と御家中に、無益の物入りなく、奢が關敷事なき故、勝手皆々よろしく、彌々盜みなどするものこれ無き由、有り難き御事どもなり。
新字:評に曰、木工御役儀、去年迄五ヶ年なれ共、御勝手も直り、御金も夥しく出来候素より聚歛がましき事徴塵もなく、下を憐愍して困窮をすくひ、上を大切にして忠義を尽し、諸人の難儀なき様に慈悲を本とす、誠に有り難き事ならずや。又家中は七八歳の童子も、明け六つ時に御馬屋へ行き、御馬をかりて五つ時迄を馬に乗り、朝飯後には、四つ時迄手習をし、それより半時、劒術稽古にかゝり、夫れより半時の間休息し、此の間に碁将棋など慰みにするなり、九つ時より弓鉄砲の稽古、七つ時より槍の稽古、夕飯後より十露盤、夜五つ時より四つ時まで諸稽古、或は一時、或は半時替りに、明け六つ時より夜の四つ時迄の内、只半時の休息にて、色々稽古しつめ居候へ共、半時づゝにて所作替り候故、退屈もせず、皆々出精致し候故、松代の御家中は、子供まで諸芸に達し、幼少より馬もよく乗り候由、又遊び候間のこれ無き故、博奕が間敷悪しき慰みは、一向これ無く、自然と御家中に、無益の物入りなく、奢が関敷事なき故、勝手皆々よろしく、弥々盗みなどするものこれ無き由、有り難き御事どもなり。
書き下し
評に曰、木工御役儀、去年迄五ヶ年なれ共、御勝手も直り、御金も夥しく出來候素より聚歛がましき事徵塵もなく、下を憐愍して困窮をすくひ、上を大切にして忠義を盡し、諸人の難儀なき樣に慈悲を本とす、誠に有り難き事ならずや。又家中は七八歲の童子も、明け六つ時に御馬屋へ行き、御馬をかりて五つ時迄を馬に乘り、朝飯後には、四つ時迄手習をし、それより半時、劒術稽古にかゝり、夫れより半時の間休息し、此の間に碁將棋など慰みにするなり、九つ時より弓鐵砲の稽古、七つ時より槍の稽古、夕飯後より十露盤、夜五つ時より四つ時まで諸稽古、或は一時、或は半時替りに、明け六つ時より夜の四つ時迄の內、只半時の休息にて、色々稽古しつめ居候へ共、半時づゝにて所作替り候故、退屈もせず、皆々出精致し候故、松代の御家中は、子供まで諸藝に達し、幼少より馬もよく乘り候由、又遊び候間のこれ無き故、博奕が間敷惡しき慰みは、一向これ無く、自然と御家中に、無益の物入りなく、奢が關敷事なき故、勝手皆々よろしく、彌々盜みなどするものこれ無き由、有り難き御事どもなり。
現代語訳
評して言う。木工が御役を勤めて、去年までで五年になるが、御勝手も立て直り、お金も多く蓄えられた。もとより民から搾り取るようなことは微塵もなく、下の者をあわれんで困窮を救い、上を大切にして忠義を尽くし、諸人が難儀しないよう慈悲を根本とした。まことにありがたいことではないか。また家中では、七、八歳の童子も、明け六つ時に御馬屋へ行って馬を借り、五つ時まで馬に乗り、朝飯後は四つ時まで手習いをし、それから半時は剣術の稽古にかかり、それから半時休息し、この間に碁や将棋などを慰みにする。九つ時から弓、鉄砲の稽古、七つ時から槍の稽古、夕飯後は算盤、夜の五つ時から四つ時まで諸稽古を、あるいは一時、あるいは半時ごとに替えて行う。明け六つ時から夜の四つ時までの間に、ただ半時の休息だけで、いろいろと稽古を詰めてはいるけれども、半時ずつで所作が替わるので、退屈もせず、皆が精を出す。そのため、松代の御家中は、子供まで諸芸に達し、幼少から馬もよく乗るという。また遊ぶ暇がないので、博奕めいた悪い慰みはまったくなく、自然と御家中に無益な出費がなく、奢りがましいこともないので、勝手向きは皆よろしく、いよいよ盗みなどをする者もないとのことで、ありがたいことどもである。
解説

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