日暮硯 / 『日暮硯』諫言は百千倍の忠義
若しまた重ねて勸むる者あらんには、我もまた飼鳥する心になるまじきものにもあらず、然し、かく其方を籠の內へ入れ、物を喰はせ、はぢしめての上は、再び飼鳥をすゝむる者、一人も有るまじ、我も亦飼鳥仕たき心になりても、其方へ對し飼ふ事ならず、其の外萬事に氣を付け、嗜まざればならぬこと故、我身の愼みには、諫言しくれしよりも、却て百千倍の忠義、莫大の奉公なり。其の上一人の心は千萬人の心なれば、我れ一人飼鳥を好むならば、少分なれども、我が領分十萬石のもの、殘らず飼鳥を好むべし。然らばこれ、如何ほどの惡事とも計り難し。今其方が籠の內にて物を喰ひし奉公にて、家中の者は申すに及ばず、領分の內も、飼鳥せし者も皆止べし、然らば是れ夥しき善事なるべし、又惡事としらずして此上我に勤るもの一人もあるまじく、却つて我に惡事あらば、諫言するもの多かるべし、然らば其方一人の奉公にて、大勢の人に善事をすゝむる師範となりたれば、殊の外なる善根をなしたるなり。面眉を闘いて殘念なる事なり抔と思ふことなかれ。唯今までの通り相替らず奉公せよ、心外の事、微塵もなし、我れには忠義、諸人には善事を勸むる指南役、此の上もなく大切なるものにて、當家繁昌の基を開く、是皆其方一人の働きなり。依之褒美として、目錄を出すぞ」とて、金拾兩、拜領仰せ付られ、其の身の面眉を御すゝぎの上、目錄まで下し置かれ、有がたき御政務、大慈悲の御仁德、申すも中々愚かなり。 此は公御歲十五の時の御事なりとかや、誠に生智安行の聖君にて、前代未聞の名將なり、されば後に、恩田木工を選出し給ひし明察も、眞にことわりとこそ覺ゆれ。
新字:若しまた重ねて勧むる者あらんには、我もまた飼鳥する心になるまじきものにもあらず、然し、かく其方を籠の内へ入れ、物を喰はせ、はぢしめての上は、再び飼鳥をすゝむる者、一人も有るまじ、我も亦飼鳥仕たき心になりても、其方へ対し飼ふ事ならず、其の外万事に気を付け、嗜まざればならぬこと故、我身の慎みには、諫言しくれしよりも、却て百千倍の忠義、莫大の奉公なり。其の上一人の心は千万人の心なれば、我れ一人飼鳥を好むならば、少分なれども、我が領分十万石のもの、残らず飼鳥を好むべし。然らばこれ、如何ほどの悪事とも計り難し。今其方が籠の内にて物を喰ひし奉公にて、家中の者は申すに及ばず、領分の内も、飼鳥せし者も皆止べし、然らば是れ夥しき善事なるべし、又悪事としらずして此上我に勤るもの一人もあるまじく、却つて我に悪事あらば、諫言するもの多かるべし、然らば其方一人の奉公にて、大勢の人に善事をすゝむる師範となりたれば、殊の外なる善根をなしたるなり。面眉を闘いて残念なる事なり抔と思ふことなかれ。唯今までの通り相替らず奉公せよ、心外の事、微塵もなし、我れには忠義、諸人には善事を勧むる指南役、此の上もなく大切なるものにて、当家繁昌の基を開く、是皆其方一人の働きなり。依之褒美として、目録を出すぞ」とて、金拾両、拝領仰せ付られ、其の身の面眉を御すゝぎの上、目録まで下し置かれ、有がたき御政務、大慈悲の御仁徳、申すも中々愚かなり。 此は公御歳十五の時の御事なりとかや、誠に生智安行の聖君にて、前代未聞の名将なり、されば後に、恩田木工を選出し給ひし明察も、真にことわりとこそ覚ゆれ。
書き下し
若しまた重ねて勸むる者あらんには、我もまた飼鳥する心になるまじきものにもあらず、然し、かく其方を籠の內へ入れ、物を喰はせ、はぢしめての上は、再び飼鳥をすゝむる者、一人も有るまじ、我も亦飼鳥仕たき心になりても、其方へ對し飼ふ事ならず、其の外萬事に氣を付け、嗜まざればならぬこと故、我身の愼みには、諫言しくれしよりも、却て百千倍の忠義、莫大の奉公なり。其の上一人の心は千萬人の心なれば、我れ一人飼鳥を好むならば、少分なれども、我が領分十萬石のもの、殘らず飼鳥を好むべし。然らばこれ、如何ほどの惡事とも計り難し。今其方が籠の內にて物を喰ひし奉公にて、家中の者は申すに及ばず、領分の內も、飼鳥せし者も皆止べし、然らば是れ夥しき善事なるべし、又惡事としらずして此上我に勤るもの一人もあるまじく、却つて我に惡事あらば、諫言するもの多かるべし、然らば其方一人の奉公にて、大勢の人に善事をすゝむる師範となりたれば、殊の外なる善根をなしたるなり。面眉を闘いて殘念なる事なり抔と思ふことなかれ。唯今までの通り相替らず奉公せよ、心外の事、微塵もなし、我れには忠義、諸人には善事を勸むる指南役、此の上もなく大切なるものにて、當家繁昌の基を開く、是皆其方一人の働きなり。依之褒美として、目錄を出すぞ」とて、金拾兩、拜領仰せ付られ、其の身の面眉を御すゝぎの上、目錄まで下し置かれ、有がたき御政務、大慈悲の御仁德、申すも中々愚かなり。 此は公御歲十五の時の御事なりとかや、誠に生智安行の聖君にて、前代未聞の名將なり、されば後に、恩田木工を選出し給ひし明察も、眞にことわりとこそ覺ゆれ。
現代語訳
もしまた重ねて勧める者があれば、私もまた飼鳥をする気にならないとも限らない。しかし、このようにそなたを籠の中へ入れ、物を食べさせ、恥をかかせたうえは、再び飼鳥を勧める者は一人もいないだろう。私がまた飼鳥をしたい心になっても、そなたに対して飼うことはできない。そのほか万事に気を付けて慎まなければならぬことだから、我が身の慎みにとって、諫言してくれたよりも、かえって百千倍の忠義、莫大な奉公である。そのうえ、一人の心は千万人の心であるから、私一人が飼鳥を好めば、少数のことではあっても、我が領分十万石の者が残らず飼鳥を好むだろう。そうなれば、どれほどの悪事になるか計り知れない。いま、そなたが籠の中で物を食べた奉公によって、家中の者はいうまでもなく、領分の内の飼鳥をしていた者も皆やめるだろう。そうなればこれは非常に大きな善事である。また、悪事とも知らずに、この上私に勧める者は一人もいなくなり、かえって私に悪事があれば、諫言する者が多くなるだろう。そうなれば、そなた一人の奉公で、大勢の人に善事を勧める師範となったのだから、ことのほか大きな善根を施したのだ。面目を失い残念なことだなどと思ってはならない。これまで通り変わらず奉公せよ。心外なことは微塵もない。私には忠義、人々には善事を勧める指南役として、この上なく大切な者であり、当家繁盛の基を開く、これはみなそなた一人の働きである。これにより褒美として、目録を出そう」と言って、金十両を拝領させ、その者の面目をすすいだうえ、目録まで下し置かれた。ありがたい政務、大慈悲の仁徳であり、言い尽くすのも愚かなほどである。 これは公が御年十五歳のときのことだと言い伝えられている。まことに、生まれながらに知り、安んじて行う聖君であって、前代未聞の名将である。それゆえ、後に恩田木工を選び出された明察も、まことに道理だと思われる。
解説

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『十善法語』巻第十・不邪見戒之上又喩ヘテ云ハ。賢君明主ハ忠臣ヲ信任シ。諫言ヲ用ル如クシヤ。漢ノ高祖カ諫ニ従フコト流ノ如ク。唐ノ太宗ノ魏徴カ苦諫ノ言ヲ用ヒアリシ類。ソノ如ク。正法ノ因縁アル者ハ必ス不邪見戒ニ随順スルシヤ。此ニ反シテ宿福ナキ者ハ。智者モ愚者モ。学者モ不学者モ仏アルコトヲ信セヌ。法アルコトヲ信セヌ。聖賢アルコトヲ信セヌ。神祇有コトヲ信セヌ。善悪報応有コトヲ信セヌシヤ。