日暮硯 / 『日暮硯』御用金を出した者への詫び
一、木工又改めて「御用金差し上げたる者共參り居り候や」「罷在候」「お身達は、何故に御用金を差し上げ候や、上より利息にても被下候や、又何ぞ勝手に宜しき事これ有り候て、差し上げ候や如何」「唯今迄御用金差上候へ共、利息下され候儀は勿論、元金も御返濟下され候事御座なく、迷惑至極に存じ奉り候へ共、御役人樣、嚴しく仰せ付けられ候故、是非なく差し上げ候次第に御座候」「役人より何程に申し付け候共、御座らぬというて出さぬ筈に候、假令公儀より殿樣へ御用金被仰付候共手前江戶へまかり出で、金は御座無くと言ふて出す所存はなし、出さぬというて殺しはせぬ故、出すまじき金を出す筈は無き事なり。それを出すといふは、お身達もお身達なり、役人も役人なり、よしやお身達が所持して居ればとて、御返濟もなき金を出せといふは、餘り非道なる致し方なり、然し是も理窟なり、實は御上に金なき故、江戶表の御用御勤り成されず候間、お身達が持ち合せしを幸に、無心言ふて據なく御借り上げに成つたものなり、返濟したくも元來金はなきゆへ、詮方なく、其の分にて打ち過ぎたるものなり。されば役人も、强ち非道といふものにあらず、お身達も、江戶表の譯を知りたるゆへ、迷惑ながら金を差出し、御用の間に合せたる事なれば、奇特千萬、お身達の働きにより、江戶表の御首尾も好く、殿樣にも御滿足遊ばされ候事なり、神妙々々、然し今後、御用金は一切申し付けず候間、左樣に相心得申すべく候」と申され候へば「有り難き仕合奉存候」と悅服致候。
新字:一、木工又改めて「御用金差し上げたる者共参り居り候や」「罷在候」「お身達は、何故に御用金を差し上げ候や、上より利息にても被下候や、又何ぞ勝手に宜しき事これ有り候て、差し上げ候や如何」「唯今迄御用金差上候へ共、利息下され候儀は勿論、元金も御返済下され候事御座なく、迷惑至極に存じ奉り候へ共、御役人様、厳しく仰せ付けられ候故、是非なく差し上げ候次第に御座候」「役人より何程に申し付け候共、御座らぬというて出さぬ筈に候、仮令公儀より殿様へ御用金被仰付候共手前江戸へまかり出で、金は御座無くと言ふて出す所存はなし、出さぬというて殺しはせぬ故、出すまじき金を出す筈は無き事なり。それを出すといふは、お身達もお身達なり、役人も役人なり、よしやお身達が所持して居ればとて、御返済もなき金を出せといふは、余り非道なる致し方なり、然し是も理窟なり、実は御上に金なき故、江戸表の御用御勤り成されず候間、お身達が持ち合せしを幸に、無心言ふて拠なく御借り上げに成つたものなり、返済したくも元来金はなきゆへ、詮方なく、其の分にて打ち過ぎたるものなり。されば役人も、強ち非道といふものにあらず、お身達も、江戸表の訳を知りたるゆへ、迷惑ながら金を差出し、御用の間に合せたる事なれば、奇特千万、お身達の働きにより、江戸表の御首尾も好く、殿様にも御満足遊ばされ候事なり、神妙々々、然し今後、御用金は一切申し付けず候間、左様に相心得申すべく候」と申され候へば「有り難き仕合奉存候」と悦服致候。
書き下し
一、木工又改めて「御用金差し上げたる者共參り居り候や」「罷在候」「お身達は、何故に御用金を差し上げ候や、上より利息にても被下候や、又何ぞ勝手に宜しき事これ有り候て、差し上げ候や如何」「唯今迄御用金差上候へ共、利息下され候儀は勿論、元金も御返濟下され候事御座なく、迷惑至極に存じ奉り候へ共、御役人樣、嚴しく仰せ付けられ候故、是非なく差し上げ候次第に御座候」「役人より何程に申し付け候共、御座らぬというて出さぬ筈に候、假令公儀より殿樣へ御用金被仰付候共手前江戶へまかり出で、金は御座無くと言ふて出す所存はなし、出さぬというて殺しはせぬ故、出すまじき金を出す筈は無き事なり。それを出すといふは、お身達もお身達なり、役人も役人なり、よしやお身達が所持して居ればとて、御返濟もなき金を出せといふは、餘り非道なる致し方なり、然し是も理窟なり、實は御上に金なき故、江戶表の御用御勤り成されず候間、お身達が持ち合せしを幸に、無心言ふて據なく御借り上げに成つたものなり、返濟したくも元來金はなきゆへ、詮方なく、其の分にて打ち過ぎたるものなり。されば役人も、强ち非道といふものにあらず、お身達も、江戶表の譯を知りたるゆへ、迷惑ながら金を差出し、御用の間に合せたる事なれば、奇特千萬、お身達の働きにより、江戶表の御首尾も好く、殿樣にも御滿足遊ばされ候事なり、神妙々々、然し今後、御用金は一切申し付けず候間、左樣に相心得申すべく候」と申され候へば「有り難き仕合奉存候」と悅服致候。
現代語訳
木工はあらためて「御用金を差し上げた者たちは来ているか」と問い、「おります」と答えがあった。「そなたたちは、なぜ御用金を差し上げたのか。上から利息でも下されるのか、それとも何か暮らし向きに都合のよいことがあって差し上げたのか」。「今まで御用金を差し上げましたが、利息を下されるのはもちろん、元金も返していただいたことがなく、迷惑至極に存じておりますが、お役人様が厳しく仰せ付けになるので、しかたなく差し上げてきたのでございます」。 木工は言った。「役人がいくら申し付けようと、ございませんと言って出さずにすむはずだ。たとえ公儀から殿様に御用金を仰せ付けられても、私が江戸へ出て、金はございませんと言って出さぬ所存である。出さぬからといって殺されはしないのだから、出せぬ金を出すはずはないのだ。それを出すというのは、そなたたちもそなたたちだし、役人も役人だ。仮にそなたたちが金を持っていたとしても、返済もない金を出せというのは、あまりに非道なやり方である。しかしこれも理屈の上のことで、実は御上に金がなく、江戸表の御用が勤まらないので、そなたたちが持ち合わせているのを幸いに、無心を言ってやむなくお借り上げになったものなのだ。返したくても、もともと金がないので、しかたなくそのままにして過ぎてきたのである。だから役人も、一概に非道とは言えず、そなたたちも江戸表の事情を知っていたので、迷惑ながら金を出し、御用の間に合わせたのだから、まことに奇特なことである。そなたたちの働きで江戸表の首尾もよく、殿様もご満足になった。神妙、神妙。ただし今後、御用金は一切申し付けないから、そのように心得よ」。そう言われて、一同は「ありがたき仕合せに存じます」と心から喜んで承服した。
解説

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