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日暮硯 / 『日暮硯』先納を損にしてもらう無心

一、木工詞を改め「先納、先々納まで差し上げ候者へ申す、是は何卒御返濟成されたきものなれども、皆々知りたる通り、何も無き故、其儀もならず、今聞く通り、未進の分を皆吳て仕舞ふたれば、彌よ以て先納方へは返濟出來ぬなり、依つて只今迄先納したる分は、御上の取り德とし、お身達の方は差上げ損にして吳れよ、此段は手前が皆への無心なり、得心して吳れやうや如何」「畏り奉り候、向後先納、先々納仰付けられまじくと先刻仰せ渡され候上は、唯今迄差上候分は、一粒も御貰ひ申す所存御座なく候間、左樣思召下され度」「先づ以て皆々、得心して吳れて千萬辱けなし、其の代りに、一つの無心あり、此の事は今日直ちに返答も成る間敷候故、宿へ戾り、惣百姓へ申し聞かせ、熟談の上にて返答してくれよ、其の無心といふは右先納、先々納を損にして、其の上に當年の分を上納して吳れよ、然なくては殿樣一向御取り續き成され難く候、お身達が得心して吳れねば、手前切腹といふはこゝの事なり、お身達も算用知るかしらね共、手前は算者に積らせ、自分にも當つて見たるに、願ひ事等に付、御領分中の者共より、諸役人へ賄賂を遣す事、一年中錢につもりて百石につき何程なり、扨て又年中の諸役に、人足手間費の費ゆる事、錢につもりて百石に付何程なり、又九百人の足輕を、年貢催促に出すも月々の事故、其の物入りも年中には百石に付何程になる。此三品分を算盤に上げて見れば、年貢の內、凡そ七分程に相成る、今迄は是だけ皆無駄に成り、御上の御爲にはならず、百姓方の費へと言ふ物、お身達の損毛なり。此の損毛七分の上に三分足せば、當年貢は相濟むわけなり、此處を惣百姓へ申し聞せ吳れよ、僅か三分足せば、當年貢は濟み候間、當月より都合にて、月割上納なり、御年貢上納にして納めて吳れよ、此の段が手前より、惣百姓へ據なき無心なり、皆々の所存次第にして、手前に首尾能く役儀勤めさせ吳れるか、又は切腹させ候か、皆々の了簡次第なり、何卒此の譯を能々皆々へ言ひ聞かせ、篤と熟談の上、追て返答して吳れよ」と申され候へば、皆々、「畏り奉り候、今日直に御請け申上たく存じ候へ共、返す返すも惣百姓へ申し聞かせ候樣にと仰せられ候故、罷り歸り、有り難き御政道の趣を、惣百姓へ申し聞け、悅ばせ候上、重ねて御請け申上ぐべく候」と皆々同音に答へける。

新字:一、木工詞を改め「先納、先々納まで差し上げ候者へ申す、是は何卒御返済成されたきものなれども、皆々知りたる通り、何も無き故、其儀もならず、今聞く通り、未進の分を皆呉て仕舞ふたれば、弥よ以て先納方へは返済出来ぬなり、依つて只今迄先納したる分は、御上の取り徳とし、お身達の方は差上げ損にして呉れよ、此段は手前が皆への無心なり、得心して呉れやうや如何」「畏り奉り候、向後先納、先々納仰付けられまじくと先刻仰せ渡され候上は、唯今迄差上候分は、一粒も御貰ひ申す所存御座なく候間、左様思召下され度」「先づ以て皆々、得心して呉れて千万辱けなし、其の代りに、一つの無心あり、此の事は今日直ちに返答も成る間敷候故、宿へ戻り、惣百姓へ申し聞かせ、熟談の上にて返答してくれよ、其の無心といふは右先納、先々納を損にして、其の上に当年の分を上納して呉れよ、然なくては殿様一向御取り続き成され難く候、お身達が得心して呉れねば、手前切腹といふはこゝの事なり、お身達も算用知るかしらね共、手前は算者に積らせ、自分にも当つて見たるに、願ひ事等に付、御領分中の者共より、諸役人へ賄賂を遣す事、一年中銭につもりて百石につき何程なり、扨て又年中の諸役に、人足手間費の費ゆる事、銭につもりて百石に付何程なり、又九百人の足軽を、年貢催促に出すも月々の事故、其の物入りも年中には百石に付何程になる。此三品分を算盤に上げて見れば、年貢の内、凡そ七分程に相成る、今迄は是だけ皆無駄に成り、御上の御為にはならず、百姓方の費へと言ふ物、お身達の損毛なり。此の損毛七分の上に三分足せば、当年貢は相済むわけなり、此処を惣百姓へ申し聞せ呉れよ、僅か三分足せば、当年貢は済み候間、当月より都合にて、月割上納なり、御年貢上納にして納めて呉れよ、此の段が手前より、惣百姓へ拠なき無心なり、皆々の所存次第にして、手前に首尾能く役儀勤めさせ呉れるか、又は切腹させ候か、皆々の了簡次第なり、何卒此の訳を能々皆々へ言ひ聞かせ、篤と熟談の上、追て返答して呉れよ」と申され候へば、皆々、「畏り奉り候、今日直に御請け申上たく存じ候へ共、返す返すも惣百姓へ申し聞かせ候様にと仰せられ候故、罷り帰り、有り難き御政道の趣を、惣百姓へ申し聞け、悦ばせ候上、重ねて御請け申上ぐべく候」と皆々同音に答へける。

書き下し

一、木工詞を改め「先納、先々納まで差し上げ候者へ申す、是は何卒御返濟成されたきものなれども、皆々知りたる通り、何も無き故、其儀もならず、今聞く通り、未進の分を皆吳て仕舞ふたれば、彌よ以て先納方へは返濟出來ぬなり、依つて只今迄先納したる分は、御上の取り德とし、お身達の方は差上げ損にして吳れよ、此段は手前が皆への無心なり、得心して吳れやうや如何」「畏り奉り候、向後先納、先々納仰付けられまじくと先刻仰せ渡され候上は、唯今迄差上候分は、一粒も御貰ひ申す所存御座なく候間、左樣思召下され度」「先づ以て皆々、得心して吳れて千萬辱けなし、其の代りに、一つの無心あり、此の事は今日直ちに返答も成る間敷候故、宿へ戾り、惣百姓へ申し聞かせ、熟談の上にて返答してくれよ、其の無心といふは右先納、先々納を損にして、其の上に當年の分を上納して吳れよ、然なくては殿樣一向御取り續き成され難く候、お身達が得心して吳れねば、手前切腹といふはこゝの事なり、お身達も算用知るかしらね共、手前は算者に積らせ、自分にも當つて見たるに、願ひ事等に付、御領分中の者共より、諸役人へ賄賂を遣す事、一年中錢につもりて百石につき何程なり、扨て又年中の諸役に、人足手間費の費ゆる事、錢につもりて百石に付何程なり、又九百人の足輕を、年貢催促に出すも月々の事故、其の物入りも年中には百石に付何程になる。此三品分を算盤に上げて見れば、年貢の內、凡そ七分程に相成る、今迄は是だけ皆無駄に成り、御上の御爲にはならず、百姓方の費へと言ふ物、お身達の損毛なり。此の損毛七分の上に三分足せば、當年貢は相濟むわけなり、此處を惣百姓へ申し聞せ吳れよ、僅か三分足せば、當年貢は濟み候間、當月より都合にて、月割上納なり、御年貢上納にして納めて吳れよ、此の段が手前より、惣百姓へ據なき無心なり、皆々の所存次第にして、手前に首尾能く役儀勤めさせ吳れるか、又は切腹させ候か、皆々の了簡次第なり、何卒此の譯を能々皆々へ言ひ聞かせ、篤と熟談の上、追て返答して吳れよ」と申され候へば、皆々、「畏り奉り候、今日直に御請け申上たく存じ候へ共、返す返すも惣百姓へ申し聞かせ候樣にと仰せられ候故、罷り歸り、有り難き御政道の趣を、惣百姓へ申し聞け、悅ばせ候上、重ねて御請け申上ぐべく候」と皆々同音に答へける。

現代語訳

一、木工は言葉を改め、「先納、先々納まで差し上げた者に申す。これは何とかお返ししたいものだが、皆が知っているとおり何もないので、それもできない。今聞いたとおり、未進の分を皆くれてしまったので、いよいよ先納の方へは返済ができなくなった。よってこれまで先納した分は、御上の取り得とし、そなたたちの方は差し上げ損にしてくれ。この件は私から皆への無心である。承知してくれるか、どうか」。「かしこまりました。今後先納、先々納を仰せ付けられないと先ほど言い渡されたうえは、これまで差し上げた分は一粒もいただくつもりはございませんので、そのようにお思いください」。 「まず皆が承知してくれて、まことにありがたい。その代わりに一つの無心がある。このことは今日すぐに返答もできまいから、宿へ戻り、総百姓に話して聞かせ、熟談のうえで返答してくれ。その無心というのは、先納、先々納を損にしたうえで、今年の分を上納してくれということだ。そうしなければ、殿様は一向に立ち行かれない。そなたたちが承知してくれなければ、私が切腹するというのは、このことである。そなたたちも算用を知っているかどうか分からないが、私は算者に見積もらせ、自分でも当たってみた。願い事に付けて、領分中の者が諸役人へ賄賂を贈る額は、一年中を銭に積もって百石につき何ほど。また年中の諸役に、人足や手間の費用がかかる額は、銭に積もって百石につき何ほど。また九百人の足軽を年貢催促に出すのも毎月のことなので、その費用も年中では百石につき何ほどになる。この三品を算盤に載せてみると、年貢のうち七割ほどになる。今まではこれだけが皆無駄になり、御上のためにはならず、百姓方の出費となっていた。そなたたちの損失である。この七割の損失の上に三割足せば、今年の年貢は済むわけである。この点を総百姓に話してくれ。わずか三割足せば今年の年貢は済むので、今月から都合により月割で、年貢を上納してくれ。この件が私から総百姓への、やむを得ない無心である。皆の考え次第で、私に首尾よく役目を勤めさせてくれるか、それとも切腹させるか、皆の了見次第である。どうかこの訳をよくよく皆に言い聞かせ、じっくり熟談のうえ、あとで返答してくれ」と言うと、皆は「かしこまりました。今日すぐにお請けしたく存じますが、くれぐれも総百姓に話すようにと仰せですので、帰ってありがたい御政道の趣を総百姓に話し、喜ばせたうえで、あらためてお請けいたします」と、口をそろえて答えた。

解説

木工は先納を出した者に、返せないので損にしてほしいと頭を下げ、さらに今年の年貢を月割で納めてほしいと頼みます。そこで示したのが、賄賂、諸役の人足費用、足軽による催促の経費という三つの無駄を算盤に載せ、年貢の七割ほどに当たるという見積もりです。藩の取り分にならない負担を減らせば、残り三割を足すだけで済むという理屈でした。なお、七割という数字は木工の語る見積もりで、確かめようのない面があります。それでも、無駄な経費を数字で見せて協力を頼む手順は、現代の経営者が社内に痛みを求めるときにも通じます。
『人生の方程式』の表紙

人生を、一行の式にしてみた。

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この章句が説くこと

先納無心算盤賄賂足軽月割上納

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