日暮硯 / 『日暮硯』親類・妻子・家来に暇を出す
一、木工はそれより、江戶役人と書付を取替し候て、歸國の上、自分の親類を殘らず呼び集め、「先づ以て手前儀、此の度江戶表に於て、御當家御親類樣方御列席にて、勘略の役儀仰せ付けられ候故、達て御辭退申上候へども、御免もこれ無き故、お請け申上げ、歸國致し候、手前が一生の浮沈、此の時節に到來と申すものにて候間、何れにも是非なき事と思召し、向後、義絕成し下さるべく候、此段何れも御意得たく、申し入れ候事に御座候。扨て女房共、子供家來共も、殘らず是へ出でよ、此の度の役儀に付、女房には暇を遣すべく候間、親元へ立ち戾らるべく候、子供は勘當致し候間、何方なりとも立ち退き申すべく候、家來共は、殘らず暇吳れ候間、何方へなりとも奉公相きめ申すべく候、入用にて、欲しき品は吳れ候間、持ち去り申すべしと申し渡され候」其時內室より、「私共子供家來まで、如何樣なる不屆御座候て御暇被下候事に候や」と被相尋候へば、「イヤ、何も不屆なる儀は無之候へ共、此の度の役儀に付、邪魔の筋これ有り候故、暇遣すべく候、外に何にても仔細の有る事にては曾てこれ無く候」と申され候。其の時に親類中申さるゝには、「ナント木工殿には狂氣にても成され候や、いかに勘略奉行仰せ付けられ候とても、親類を義絕し內室を離別し、子供衆を勘當し、家來中へ暇を遣はされ、以後は御一人にても相濟み申まじく候が、如何樣なる御了簡に候哉、甚だ心元なく存候」「イヤ狂氣も仕らず候へ共、先に申す通り、此の度の役目に付、邪魔になり候故、暇遣し候。成る程手前一人にては、不相濟候間、又外の者召抱なりとも致すべく候」其の時內室申されるは、「御役儀に付、邪魔になれば、其の譯を承りたく、得心させて下され候はゞ隨分お暇も貰ひ申すべく候へ共、譯を仰せられず候ては、親元へ戾り、何と申し譯仕るべきや、子供へも譯を仰せられ、得心させて御勘當成し下さるべく」と、涙を流し申され候へば、親類中も、御內室の申さるゝ通り、親類中も御役儀に障り候譯を仰せ聞かされ候はゞ、義絕も可致候、先づ其の譯を仰せ聞けられよと申され候。
新字:一、木工はそれより、江戸役人と書付を取替し候て、帰国の上、自分の親類を残らず呼び集め、「先づ以て手前儀、此の度江戸表に於て、御当家御親類様方御列席にて、勘略の役儀仰せ付けられ候故、達て御辞退申上候へども、御免もこれ無き故、お請け申上げ、帰国致し候、手前が一生の浮沈、此の時節に到来と申すものにて候間、何れにも是非なき事と思召し、向後、義絶成し下さるべく候、此段何れも御意得たく、申し入れ候事に御座候。扨て女房共、子供家来共も、残らず是へ出でよ、此の度の役儀に付、女房には暇を遣すべく候間、親元へ立ち戻らるべく候、子供は勘当致し候間、何方なりとも立ち退き申すべく候、家来共は、残らず暇呉れ候間、何方へなりとも奉公相きめ申すべく候、入用にて、欲しき品は呉れ候間、持ち去り申すべしと申し渡され候」其時内室より、「私共子供家来まで、如何様なる不届御座候て御暇被下候事に候や」と被相尋候へば、「イヤ、何も不届なる儀は無之候へ共、此の度の役儀に付、邪魔の筋これ有り候故、暇遣すべく候、外に何にても仔細の有る事にては曽てこれ無く候」と申され候。其の時に親類中申さるゝには、「ナント木工殿には狂気にても成され候や、いかに勘略奉行仰せ付けられ候とても、親類を義絶し内室を離別し、子供衆を勘当し、家来中へ暇を遣はされ、以後は御一人にても相済み申まじく候が、如何様なる御了簡に候哉、甚だ心元なく存候」「イヤ狂気も仕らず候へ共、先に申す通り、此の度の役目に付、邪魔になり候故、暇遣し候。成る程手前一人にては、不相済候間、又外の者召抱なりとも致すべく候」其の時内室申されるは、「御役儀に付、邪魔になれば、其の訳を承りたく、得心させて下され候はゞ随分お暇も貰ひ申すべく候へ共、訳を仰せられず候ては、親元へ戻り、何と申し訳仕るべきや、子供へも訳を仰せられ、得心させて御勘当成し下さるべく」と、涙を流し申され候へば、親類中も、御内室の申さるゝ通り、親類中も御役儀に障り候訳を仰せ聞かされ候はゞ、義絶も可致候、先づ其の訳を仰せ聞けられよと申され候。
書き下し
一、木工はそれより、江戶役人と書付を取替し候て、歸國の上、自分の親類を殘らず呼び集め、「先づ以て手前儀、此の度江戶表に於て、御當家御親類樣方御列席にて、勘略の役儀仰せ付けられ候故、達て御辭退申上候へども、御免もこれ無き故、お請け申上げ、歸國致し候、手前が一生の浮沈、此の時節に到來と申すものにて候間、何れにも是非なき事と思召し、向後、義絕成し下さるべく候、此段何れも御意得たく、申し入れ候事に御座候。扨て女房共、子供家來共も、殘らず是へ出でよ、此の度の役儀に付、女房には暇を遣すべく候間、親元へ立ち戾らるべく候、子供は勘當致し候間、何方なりとも立ち退き申すべく候、家來共は、殘らず暇吳れ候間、何方へなりとも奉公相きめ申すべく候、入用にて、欲しき品は吳れ候間、持ち去り申すべしと申し渡され候」其時內室より、「私共子供家來まで、如何樣なる不屆御座候て御暇被下候事に候や」と被相尋候へば、「イヤ、何も不屆なる儀は無之候へ共、此の度の役儀に付、邪魔の筋これ有り候故、暇遣すべく候、外に何にても仔細の有る事にては曾てこれ無く候」と申され候。其の時に親類中申さるゝには、「ナント木工殿には狂氣にても成され候や、いかに勘略奉行仰せ付けられ候とても、親類を義絕し內室を離別し、子供衆を勘當し、家來中へ暇を遣はされ、以後は御一人にても相濟み申まじく候が、如何樣なる御了簡に候哉、甚だ心元なく存候」「イヤ狂氣も仕らず候へ共、先に申す通り、此の度の役目に付、邪魔になり候故、暇遣し候。成る程手前一人にては、不相濟候間、又外の者召抱なりとも致すべく候」其の時內室申されるは、「御役儀に付、邪魔になれば、其の譯を承りたく、得心させて下され候はゞ隨分お暇も貰ひ申すべく候へ共、譯を仰せられず候ては、親元へ戾り、何と申し譯仕るべきや、子供へも譯を仰せられ、得心させて御勘當成し下さるべく」と、涙を流し申され候へば、親類中も、御內室の申さるゝ通り、親類中も御役儀に障り候譯を仰せ聞かされ候はゞ、義絕も可致候、先づ其の譯を仰せ聞けられよと申され候。
現代語訳
一、木工はそれから、江戸の役人と書付を取り交わして帰国のうえ、自分の親類を残らず呼び集め、「まず私は、このたび江戸表で、ご当家のご親類衆のご列席のなか、勘略の役目を仰せ付けられ、強くご辞退申し上げましたがお許しもなかったので、お受けして帰国しました。私の一生の浮き沈みは、この時節に到来したと申すものです。どうにも仕方のないことと思し召し、今後は義絶してくださいますよう、この旨をお伝えしたく申し入れる次第です。さて、女房、子供、家来も、残らずここへ出なさい。このたびの役目につき、女房には暇を遣わすので、親元へ立ち戻るように。子供は勘当するので、どこへなりとも立ち退くように。家来には残らず暇をくれるので、どこへなりとも奉公先を決めるように。入用で欲しい品はやるので、持ち去るがよい」と申し渡された。そのとき内室から、「私どもや子供、家来まで、どのような不届きがあってお暇をくださるのですか」とお尋ねがあったので、「いや、何も不届きなことはないが、このたびの役目につき、邪魔になる筋があるので、暇を遣わすのだ。ほかに何も仔細があるわけではない」と言われた。そのとき親類衆が言われるには、「どうだ木工殿は、気でも違われたのか。いくら勘略奉行を仰せ付けられたからといって、親類と義絶し、内室を離別し、子供衆を勘当し、家来に暇を遣わされ、以後はお一人では済まないだろうに、どのようなお考えなのか、甚だ心もとない」「いや、気は違っておりませんが、先に申した通り、このたびの役目のため邪魔になるので、暇を遣わすのです。なるほど私一人では済まないので、また他の者を召し抱えることになるでしょう」そのとき内室が言われるには、「お役目のために邪魔になるなら、その訳を承りたく存じます。得心させていただけるなら、お暇も頂きますが、訳を仰せにならなければ、親元へ戻って、何と申し開きできましょうか。子供にも訳を仰せになり、得心させたうえで勘当なさってください」と、涙を流して言われたので、親類衆も、ご内室の言われる通り、役目に障る訳を仰せ聞かせくださるなら義絶もいたしましょう、まずその訳を聞かせてくださいと言われた。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『春秋左氏伝』昭公十七年 余皇を奪い返す吳楚を伐つ。陽匄令尹為り。戰を卜して吉ならず。司馬子魚曰く、「我上流を得たり。何の故に吉ならざる。且つ楚の故、司馬龜に令す。我請ふ改めて卜せん」と。令して曰く、「魴や、其の屬を以て之に死せん。楚師之に繼ぎ、尚はくは大いに之に克たん」と。吉なり。長岸に戰ふ。子魚先づ死す。楚師之に繼ぎ、大いに吳師を敗り、其の乘舟餘皇を獲たり。隨人と後れて至る者とをして之を守らしむ。環りて之に塹し、泉に及ぶ。其の隧に炭を盈たし、陳して以て命を待つ。吳の公子光其の衆に請ひて曰く、「先王の乘舟を喪ふは、豈に唯だ光の罪のみならんや。衆も亦た焉に有り。請ふ藉りて之を取り、以て死を救はん」と。衆許す。長鬣なる者三人をして、舟の側に潛伏せしめて曰く、「我皇と呼ばば則ち對へよ」と。師夜之に從ふ。三たび呼べば皆迭ひに對ふ。楚人從ひて之を殺す。楚師亂る。吳人大いに之を敗り、餘皇を取りて以て歸る。
-
『配所残筆』配所殘筆(15)然ども軍法兵法之議論被仕候者、其方前にて口の明可申樣者不存候、就夫當年五十三歲に至り耻入候得共、今日初て誓詞仕、其方兵學の弟子に成申度由御申候故、私申候者、私事左樣に被思召被下候事、別而忝奉存候、古戰物語武功者度々御咄承候て、拙者儀不淺大慶仕候、何事にも御相傳など有之儀者不存寄候由申候得共、達而御望故、任御意宗古老御誓詞候、其時分林九郎右衞門事彌三郎と申候て、宗古念頃にて居被申候故、能可被存候、寬文六年午十月三日未上刻北條安房守殿より手紙被差越候、 切紙自筆 可相尋御用之事候間、早々私宅迄可被參候以上、 十月三日 北條安房守 山鹿甚五左衞門殿 切紙之御答御手紙被成下、謹而奉拜見候、御尋可被成御用之儀御坐候間、早々貴宅迄參上可仕候旨、畏奉存候、追付參上可仕候、以上、 十月三日 山鹿甚五左衞門 房州樣如斯相認遣候、夕料理未被下候故、食事心快認候而行水仕、定而只事にて有之間敷存、乍立遺書相調殘置候、尤死罪被仰付候はゞ公儀へ一通差上可相果、是又相認令懷中候、此外五六ヶ所へ小翰相調、態と老母方へ不申遣、宗三寺へ參詣仕、下人成程はぶき、若黨兩人召連、馬上にて房州公へ參候、四日には津輕公へ可被召寄兼約御座候つるを、
-
『驢鞍橋』卷下彼人思ひ入たる道理計りを云つて聞きうけす、無理に剃髪を乞ふ。師曰く、夫れならば力及はす、其方次第也。我処にては、総して出家させず、何方にても剃りめされんず迄よ。夫れはともあれ、後にいきあたりめさるゝな。今云つて聞かせ申すぞ。御公儀より御穿鑿あらん時、別に云分有るへからす。某世間いやに御座有るに仍て、此の体に罷り成る也。曲事に思召さば、御成敗有るべしと云つて罷出て、腹切らんと思定めめさればすらるべし、是れ一つ。又出家しても食はでもならず、着でもならず、草履鼻紙も使はでならず、何としても一年に金三両ほどは入らんずと思ひめされよ。不観にひよつとすつて後、餓鬼に成りめさるゝな。覚悟有らばすりめされよ。寺に入り大事の施物を食ふも非義也。又親類衆纔かの知行を以て、世間を間に合はせて行かんとするを貪らんと思ふも比興也。夫れよりは此の身を主君に抛て、奉公して食ひたるかよき也。総而片ふしんに思にならぬ物也。我と自分過きするやうにする物也。是れ一つ。右の旨覚らば、御辺次第也。後に行当りめさるゝな。
-
『武士道』第四章 勇・敢爲堅忍の精神・かねて無き身と思い知らずば故に毫も外物の窘迫する所とならず、常に他を容れて、多々益す弁ずるものあるなり。史に伝ふ、江戸城の開祖たる太田道灌、かつて戦場に若武者の首級を獲るや、惻然として之を憫み、「かかる時さこそ命の惜しからめ、かねて無き身と思ひ知らずば」の和歌を詠じて之を弔せり。然るに後、道灌の讒に会ひて、浴室に刺さるるや、神色変ぜず、手づから槍幹を抑へ、「昨日まで、まま妄執を入れおきし、へんなし袋、今やぶりけん」と、一首の狂歌を吟じて絶命せりと云ふ。道灌たるもの、亦た自から、かねて無き身と思ひ知らずば、いかでか能くかくの如きを得んや。丈夫の心中、常に磊々落々たるものあり、凡夫の一大事は勇士の一笑事に過ぎず。されば古への戦に、両雄陣に臨み、剣戟を交ふるに当りて、なお且つ連歌を闘はしたるのためしも尠からず。
-
『春秋左氏伝』哀公十一年 艾陵の戦い吳は髮短し」と。東郭書曰く、「三たび戰へば必ず死す。此に於て三たびなり」と。弦多に問はしむるに琴を以てして曰く、「吾復た子を見ざらん」と。陳書曰く、「此の行や、吾鼓を聞くのみ、金を聞かず」と。甲戌、艾陵に戰ふ。展如高子を敗り、國子胥門巢を敗る。王卒之を助け、大いに齊の師を敗り、國書・公孫夏・閭丘明・陳書・東郭書、革車八百乘、甲首三千を獲て、以て公に獻ず。將に戰はんとするとき、吳子叔孫を呼びて曰く、「而(なんぢ)の事は何ぞや」と。對へて曰く、「司馬に從ふ」と。王之に甲・劍・鈹を賜ひて曰く、「爾の君の事を奉じ、敬みて命を廢すること無かれ」と。叔孫未だ對ふる能はず。衛賜進みて曰く、「州仇甲を奉じて君に從ひて拜す」と。公大史固をして國子の元を歸さしむ。之を新篋に寘き、之に褽(し)くに玄纁を以てし、組帶を加へ、書を其の上に寘きて曰く、「天若し衷ならざるを識らずんば、何を以て下國を使はんや」と。吳將に齊を伐たんとす。
-
『文武訓』武訓下一或武人、敵と我、両人戦ふ時のこころをよめる拙き歌あり。身は捨てつ心ばかりははふらさじ人のうごきを待ちてぞ打つべきいふ意は、敵と戦ふに臨まば、身は捨つべし。身をのがれんと思へば、心みだれおそれひるみて、敵に勝つべき力なし。されど、心ひとつは失ふべからず。敵と戦ふ時に、つねの如くにして心を動すべからず。我方よりみだりにかからず、こらへて早くうつべからず、人の動をまちて、其隙を見て早くうつべし。是敵に勝つの道なりといへり。一士となる者、平生は温厚和平にして、いかりをおさへ色をはげしくすべからず。みづから楽み人を愛すべし。されども、常に志をたもち気を養ひて、義理にいさむべし。変にあひては、平生の志を守りて、勇剛を失ふべからず。