碧巌録 / 第一百則
祖庭事苑載孝子傳云。楚王夫人。甞夏乘涼抱鐵柱感孕。後產一鐵塊。楚王令干將鑄為劍。三年乃成雙劍。一雌一雄。干將密留雄。以雌進於楚王。王祕於匣中。常聞悲鳴。王問群臣。臣曰。劍有雌雄。鳴者憶雄耳。王大怒即收干將殺之。干將知其應。乃以劍藏屋柱中。因囑妻莫耶曰。日出北戶。南山其松。松生於石。劍在其中。妻後生男。名眉間赤。年十五問母曰。父何在。母乃述前事。久思惟剖柱得劍。日夜欲為父報讎。楚王亦募覓其人。宣言。有得眉間赤者厚賞之。
新字:祖庭事苑載孝子伝云。楚王夫人。甞夏乗涼抱鉄柱感孕。後産一鉄塊。楚王令干将鋳為剣。三年乃成双剣。一雌一雄。干将密留雄。以雌進於楚王。王秘於匣中。常聞悲鳴。王問群臣。臣曰。剣有雌雄。鳴者憶雄耳。王大怒即収干将殺之。干将知其応。乃以剣蔵屋柱中。因囑妻莫耶曰。日出北戸。南山其松。松生於石。剣在其中。妻後生男。名眉間赤。年十五問母曰。父何在。母乃述前事。久思惟剖柱得剣。日夜欲為父報讎。楚王亦募覓其人。宣言。有得眉間赤者厚賞之。
書き下し
祖庭事苑に孝子伝を載せて云く、楚王の夫人、甞て夏涼に乗じて鉄柱を抱き、感じて孕む。後に一の鉄塊を産む。楚王干将をして鋳て剣と為さしむ。三年にして乃ち双剣を成す、一は雌一は雄。干将密かに雄を留め、雌を以て楚王に進む。王匣中に秘するに、常に悲鳴を聞く。王群臣に問ふ。臣曰く、「剣に雌雄有り、鳴くは雄を憶ふのみ」。王大いに怒りて即ち干将を収めて之を殺す。干将其の応を知り、乃ち剣を以て屋柱の中に蔵し、因りて妻莫耶に嘱して曰く、「日北戸に出づ、南山其れ松、松石に生ず、剣其の中に在り」。妻後に男を生む、眉間赤と名づく。年十五にして母に問ひて曰く、「父何くにか在る」。母乃ち前事を述ぶ。久しく思惟して柱を剖きて剣を得、日夜父の為に讎を報いんと欲す。楚王も亦た其の人を募り覓め、宣言す、「眉間赤を得る者有らば厚く之を賞せん」。
現代語訳
『祖庭事苑』は『孝子伝』を載せて言う。楚王の夫人が、ある夏、涼を取ろうと鉄の柱を抱いたところ、感じて身ごもった。後に一つの鉄の塊を産んだ。楚王は干将に命じてそれを鋳て剣にさせた。三年かかってようやく一対の剣ができた。一つは雌、一つは雄であった。干将はひそかに雄の剣を手元に留め、雌の剣を楚王に献上した。王が箱の中に秘蔵すると、いつも悲しげに鳴く声が聞こえた。王が群臣に問うと、臣下は「剣には雌雄があります。鳴いているのは雄を慕っているのです」と言った。王は大いに怒り、すぐに干将を捕らえて殺した。干将はそうなることを知っていて、剣を家の柱の中に隠し、妻の莫耶に言い残した。「日が北の戸に出る、南の山のその松、松は石に生え、剣はその中にある」。妻は後に男の子を産み、眉間赤と名づけた。十五歳になって母に「父はどこにいるのですか」と問うた。母はそこで以前の事を語った。眉間赤は長く考えたすえに柱を割って剣を得て、日夜、父のために仇を討とうと思った。楚王もまたその者を探し求め、「眉間赤を捕らえた者には厚く褒美を与える」と触れを出した。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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易経・蠱卦父の蠱を幹すとは、意考を承くるなり。母の蠱を幹すとは、中道を得るなり。父の蠱を幹すとは、終に咎无きなり。父の蠱を裕かにすとは、往くも未だ得ざるなり。父を幹して誉れを用うるとは、承くるに徳を以てするなり。王侯に事えずとは、志則るべきなり。
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『大和俗訓』自序ここを以て、人の誹をうれひざるなるべし。今われ犬馬のとしすでにやそぢにせまり、なす事なくて此世くれ行くなべに、こよみのぢくあらはれたるごとくなれば、やがて草木と同じく、はかなくくちはてなんとうらめしくて、わが身のざえのつたなきをわすれ、みだりにつとめて筆をおこし侍る。老らくの身は、心も目もたどたどしければ、いかなるひが事を書きけんもうしろめたし。世の中に、われと志を同じくする人もありて、此書のあやまりおほくしてひがひがしきことをよく改めつくりて、世をさとし給はば、まことにねがはしきほいにかなへるなるべし。
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孟子・盡心章句上公孫丑曰く、「伊尹曰く、『予、不順に狎れしめず。』太甲を桐に放ち、民大いに悅ぶ。太甲賢となる。又之を反し、民大いに悅ぶ。賢者の人臣為るや、其の君、賢ならざれば、則ち固より放つ可きか。」孟子曰く、「伊尹の志有れば、則ち可なり。伊尹の志無ければ、則ち篡うなり。」
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史記 刺客列伝高漸離名姓を変じて人の庸保と為り、宋子に匿れ作す。之を久しくして、作苦しく、其の家の堂上に客の筑を撃つを聞き、傍偟して去る能はず。毎に言を出だして曰く、「彼に善有り善ならざる有り」と。従者以て其の主に告げて曰く、「彼の庸は乃ち音を知り、竊かに是非を言ふ」と。家の丈人召して前に筑を撃たしむ。一坐善しと称し、酒を賜ふ。而して高漸離、久しく隠れて畏約すること窮まる時無きを念ひ、乃ち退きて、其の装匣の中の筑と其の善衣とを出だし、容貌を更めて前む。坐を挙げて客皆驚き、下りて与に抗礼し、以て上客と為す。筑を撃ちて歌はしむ。客流涕して去らざる者無し。宋子伝へて之を客とし、秦の始皇に聞こゆ。秦の始皇召し見る。人識る者有りて、乃ち曰く、「高漸離なり」と。秦の皇帝其の善く筑を撃つを惜しみ、重ねて之を赦し、乃ち其の目を矐す。筑を撃たしむるに、未だ嘗て善しと称せずんばあらず。稍く益々之に近づく。高漸離乃ち鉛を以て筑の中に置き、復た進みて近づくを得、筑を挙げて秦の皇帝を樸つ。中らず。是に於て遂に高漸離を誅し、身を終ふるまで復た諸侯の人に近づかず。魯句践已に荊軻の秦王を刺せしを聞き、私かに曰く、「嗟乎、惜しいかな其の刺剣の術を講ぜざりしや。甚だしいかな吾の人を知らざるや。曩者吾之を叱す。彼乃ち我を以て人に非ずと為せしならん」と。太史公曰く、世に荊軻を言ふに、其の太子丹の命を称して、「天粟を雨らし、馬角を生ず」とするや、太だ過ぎたり。又荊軻秦王を傷つくと言ふも、皆非なり。始め公孫季功・董生、夏無且と游び、具に其の事を知り、余の為に之を道ふこと是の如し。曹沫より荊軻に至るまで五人、此れ其の義或いは成り或いは成らず。然れども其の意を立つること較然として、其の志を欺かず、名後世に垂る。豈に妄ならんや。
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論語・里仁篇子曰わく、いやしくも仁に志せば、悪しきこと無し。
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