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碧巌録 / 第一百則

巴陵不動干戈。四海五湖多少人舌頭落地。雲門接人正如此。他是雲門的子。亦各具箇作略。是故道。我愛韶陽新定機。一生與人抽釘拔楔。這箇話正恁麼地也。於一句中。自然具三句。函蓋乾坤句。截斷眾流句。隨波逐浪句。答得也不妨奇特。浮山遠錄公云。未透底人參句不如參意。透得底人。參意不如參句。雲門下有三尊宿。答吹毛劍俱云了。唯是巴陵答得過於了字。此乃得句也。且道。了字與珊瑚枝枝撐著月。是同是別。

新字:巴陵不動干戈。四海五湖多少人舌頭落地。雲門接人正如此。他是雲門的子。亦各具箇作略。是故道。我愛韶陽新定機。一生与人抽釘抜楔。這箇話正恁麼地也。於一句中。自然具三句。函蓋乾坤句。截断衆流句。随波逐浪句。答得也不妨奇特。浮山遠録公云。未透底人参句不如参意。透得底人。参意不如参句。雲門下有三尊宿。答吹毛剣倶云了。唯是巴陵答得過於了字。此乃得句也。且道。了字与珊瑚枝枝撐著月。是同是別。

書き下し

巴陵干戈を動ぜず、四海五湖多少の人か舌頭地に落つ。雲門の人を接する、正に此の如し。他は是れ雲門の的子にして、亦た各おの箇の作略を具す。是の故に道ふ、「我は愛す韶陽の新定の機、一生人の与に釘を抽き楔を抜く」と。這箇の話も正に恁麼地なり。一句の中に於て、自然に三句を具す、函蓋乾坤の句、截断衆流の句、随波逐浪の句なり。答へ得て也た妨げず奇特なることを。浮山遠録公云く、「未だ透らざる底の人は、句に参ずるは意に参ずるに如かず。透り得たる底の人は、意に参ずるは句に参ずるに如かず」。雲門下に三尊宿有り、吹毛剣に答へて俱に「了」と云ふ。唯だ是れ巴陵の答へ得たる、了の字に過ぎたり。此れ乃ち句を得たるなり。且く道へ、了の字と珊瑚枝枝月を撐著すと、是れ同じか是れ別か。

現代語訳

巴陵は干戈を動かさないのに、天下のどれほど多くの人の舌が地に落ちたことか。雲門が人を導くのも、まさにこのようであった。巴陵は雲門の正統の弟子であり、それぞれに手立てを具えていた。だから「わたしは韶陽(雲門)の新たに定めた機を愛する。一生、人のために釘を抜き楔を抜いてやった」と言うのである。この話もまさにそのとおりである。一句の中に、おのずと三句を具えている。函蓋乾坤の句、截断衆流の句、随波逐浪の句である。答えぶりもまことにすばらしい。浮山遠録公は言った。「まだ透っていない人は、句に参じるより意に参じるほうがよい。透った人は、意に参じるより句に参じるほうがよい」。雲門の門下に三人の尊宿がいて、吹毛剣について問われるとみな「了」と答えた。ただ巴陵の答えだけが、「了」の字を超えている。これこそ句を得たものである。さて言ってみよ、「了」の字と「珊瑚の枝々が月を支えている」とは、同じか別か。

解説

本則評唱の前半で、圜悟は巴陵を雲門の正嫡として位置づける。干戈を動かさずに天下の人の舌を落とすのは、人の釘を抜き楔を抜いた雲門の手並みそのままだという。巴陵の一句には、天地を覆う句、迷いの流れを断つ句、相手の波に随う句という雲門の三句がおのずと具わっていると圜悟は見る。さらに浮山遠録公の、透った人は意より句に参ぜよという言葉を引き、同門の尊宿が「了」と答えたのに対し、巴陵の答えはその字を超えて句を得たと評する。中身さえ正しければ言い方はどうでもよい、とは限らない。一句の選び方が、相手に届く力を左右するのである。

この章句が説くこと

雲門三句巴陵浮山遠録公句言葉公案

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