碧巌録 / 第一百則
舉。僧問巴陵。如何是吹毛劍。陵云。珊瑚枝枝撐著月。
新字:舉。僧問巴陵。如何是吹毛剣。陵云。珊瑚枝枝撐著月。
書き下し
挙す。僧巴陵に問ふ、「如何なるか是れ吹毛剣」。陵云く、「珊瑚枝枝月を撐著す」。
現代語訳
ある僧が巴陵に問うた。「吹毛剣とは何ですか」。巴陵は言った。「珊瑚の枝々が月を支えている」。
解説
本則は、雲門の法嗣である巴陵顥鑑と一人の僧の問答で、碧巌録の最後を飾る一則である。吹毛剣とは、刃に毛を吹きかけるだけで断ち切れるほどの名剣で、迷いや分別を断つ智慧の喩えとして問われている。巴陵は剣について説明せず、珊瑚の枝の一本一本が月を支えているという、美しく静かな情景で応じた。鋭い剣を問われて柔らかな景色で答えるところに、かえって一切を断ち切る切れ味がある。正面から答えを並べるより、一つの像で相手の思考を止めるほうが深く届くことがある。説明に頼りがちな仕事の言葉を、時には磨き直してみたい。
この章句が説くこと
吹毛剣巴陵珊瑚枝公案言葉分別
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