碧巌録 / 第九十九則
一國之師亦強名 南陽獨許振嘉聲大唐扶得真天子曾踏毘盧頂上行鐵鎚擊碎黃金骨天地之間更何物三千剎海夜沈沈 不知誰入蒼龍窟一國之師亦強名。南陽獨許振嘉聲。此頌一似箇真贊相似。不見道。至人無名。喚作國師。亦是強安名了。國師之道。不可比倫。善能恁麼接人。獨許南陽是箇作家。大唐扶得真天子。曾踏毘盧頂上行。若是具眼衲僧眼腦。須是向毘盧頂上行。方見此十身調御。佛謂之調御。便是十號之一數也。一身化十身。十身化百身。乃至千百億身。大綱只是一身。
新字:一国之師亦強名 南陽独許振嘉声大唐扶得真天子曽踏毘盧頂上行鉄鎚撃砕黄金骨天地之間更何物三千刹海夜沈沈 不知誰入蒼竜窟一国之師亦強名。南陽独許振嘉声。此頌一似箇真賛相似。不見道。至人無名。喚作国師。亦是強安名了。国師之道。不可比倫。善能恁麼接人。独許南陽是箇作家。大唐扶得真天子。曽踏毘盧頂上行。若是具眼衲僧眼脳。須是向毘盧頂上行。方見此十身調御。仏謂之調御。便是十号之一数也。一身化十身。十身化百身。乃至千百億身。大綱只是一身。
書き下し
一国の師も亦た強ひて名づく、南陽独り許す嘉声を振ふことを。大唐扶け得たり真天子、曾て毘盧の頂上を踏んで行く。鉄鎚撃砕す黄金の骨、天地の間更に何物ぞ。三千の刹海夜沈沈、知らず誰か蒼龍の窟に入る。一国の師も亦た強ひて名づく、南陽独り許す嘉声を振ふことをとは、此の頌は一に箇の真賛に似て相似たり。道ふを見ずや、「至人は名無し」と。喚んで国師と作すも、亦た是れ強ひて名を安んじ了るなり。国師の道は比倫すべからず。善く能く恁麼に人を接す。独り南陽を許して是れ箇の作家とす。大唐扶け得たり真天子、曾て毘盧の頂上を踏んで行くとは、若し是れ具眼の衲僧の眼脳ならば、須らく是れ毘盧の頂上に向いて行きて、方に此の十身調御を見るべし。仏は之を調御と謂ふ、便ち是れ十号の一数なり。一身十身に化し、十身百身に化し、乃至千百億身なるも、大綱は只だ是れ一身なり。
現代語訳
頌に言う。「一国の師というのも、強いて名づけたにすぎない。ただ南陽の国師だけが、良き名声を振るうことを許される。大唐はまことの天子を扶け得て、かつて毘盧遮那仏の頭の上を踏んで行かせた。鉄の鎚で黄金の骨を打ち砕く。天地の間に、さらに何があろうか。三千世界の刹土と海は夜にしんと沈み、誰が蒼龍の窟に入ったのかは分からない」。「一国の師というのも、強いて名づけたにすぎない。ただ南陽の国師だけが、良き名声を振るうことを許される」とは、この頌はまるで肖像に添える賛のようである。「至人には名がない」と言うではないか。国師と呼ぶのも、強いて名を付けたにすぎない。国師の道は比べるものがない。このようによく人を導いた。だから雪竇はただ南陽だけを作家として許すのである。「大唐はまことの天子を扶け得て、かつて毘盧遮那仏の頭の上を踏んで行かせた」とは、眼を具えた衲僧の眼目であれば、毘盧遮那仏の頭の上を行ってはじめて、この十身調御を見ることができるということである。仏を調御と呼ぶのは、十号の一つである。一身が十身に化し、十身が百身に化し、ついには千百億の身となるが、大筋はただ一身である。
解説
この章句が説くこと
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『甲陽軍鑑』品第四十子細は信玄公わかうまします時より、諸侍のことばをよくきゝ、分別あるも、なきも、つよからんも、よはからんも其人の物いふ儀にてつもり被成たるが、今日にいたるまでも、それがしむけんならくへ堕罪仕らん、少もあひちがはず候、さるほどに、よき事をもほめ所を見いだし、聞付穿鑿の取さたをもつて善をば善と定め、悪をば悪とさだめ、道理をつめてほめそしる武士の作法なり、さなくして、かたはし聞て我贔負の者を虚空によきとばかり批判する事女にあひにたる侍、と信玄公の常々御諚これなり、如此有様にせんさくあそばす故、若手に能武士出くるなりと阿部加賀守申て、金丸助六郎·同惣蔵にをしゆる也、
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