碧巌録 / 第九十九則
這一頌却易說。後頌他道莫認自己清淨法身。頌得水灑不著。直是難下口說。鐵鎚擊碎黃金骨。此頌莫認自己清淨法身。雪竇忒殺讚歎他。黃金骨一鎚擊碎了也。天地之間更何物。直須淨裸裸赤灑灑。更無一物可得。乃是本地風光。一似三千剎海夜沈沈。三千大千世界香水海中有無邊剎。一剎有一海。正當夜靜更深時。天地一時澄澄地。且道是什麼。切忌作閉目合眼會。若恁麼會。正墮在毒海。不知誰入蒼龍窟。展脚縮脚。且道是誰。諸人鼻孔一時被雪竇穿却了也。
新字:這一頌却易説。後頌他道莫認自己清浄法身。頌得水灑不著。直是難下口説。鉄鎚撃砕黄金骨。此頌莫認自己清浄法身。雪竇忒殺讃嘆他。黄金骨一鎚撃砕了也。天地之間更何物。直須浄裸裸赤灑灑。更無一物可得。乃是本地風光。一似三千刹海夜沈沈。三千大千世界香水海中有無辺刹。一刹有一海。正当夜静更深時。天地一時澄澄地。且道是什麼。切忌作閉目合眼会。若恁麼会。正堕在毒海。不知誰入蒼竜窟。展脚縮脚。且道是誰。諸人鼻孔一時被雪竇穿却了也。
書き下し
這の一頌は却つて説き易し。後に他の「自己の清浄法身を認むること莫れ」と道ふを頌す、頌し得て水灑げども著かず、直に是れ口を下して説き難し。鉄鎚撃砕す黄金の骨とは、此れ「自己の清浄法身を認むること莫れ」を頌す。雪竇忒殺だ他を讃歎す。黄金の骨、一鎚に撃砕し了れり。天地の間更に何物ぞとは、直に須らく浄裸裸赤灑灑として、更に一物の得べき無かるべし、乃ち是れ本地の風光なり。一に三千の刹海夜沈沈たるに似たり。三千大千世界の香水海中に無辺の刹有り、一刹に一海有り。正に夜静かに更深き時に当りて、天地一時に澄澄地たり。且く道へ、是れ什麼ぞ。切に忌む、閉目合眼の会を作すことを。若し恁麼に会せば、正に毒海に堕在せん。知らず誰か蒼龍の窟に入るとは、脚を展べ脚を縮む、且く道へ是れ誰ぞ。諸人の鼻孔、一時に雪竇に穿却せられ了れり。
現代語訳
この一頌はかえって説きやすい。後半では、国師の「自分の清浄な法身を認めてはならない」を頌しているが、水を注いでも濡れぬほど隙なく頌していて、まったく口を挟んで説きにくい。「鉄の鎚で黄金の骨を打ち砕く」とは、「自分の清浄な法身を認めてはならない」を頌したものである。雪竇はひどく国師を讃嘆している。黄金の骨は一鎚で打ち砕かれてしまった。「天地の間に、さらに何があろうか」とは、まさにすっかり裸で洗い清められ、さらに一物も得るものがないということであり、それがすなわち本地の風光である。それはちょうど三千世界の刹土と海が夜にしんと沈んでいるようなものである。三千大千世界の香水海の中には限りない刹土があり、一つの刹土に一つの海がある。まさに夜が静まり更けたとき、天地は一時に澄みわたる。さて言ってみよ、これは何か。目を閉じて分かったつもりになることだけは、決してしてはならない。もしそのように理解すれば、まさに毒の海に落ちる。「誰が蒼龍の窟に入ったのかは分からない」とは、脚を伸ばし脚を縮める、さて言ってみよ、それは誰か。皆さんの鼻の孔は、一度に雪竇に穿たれてしまった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第九十九則一国の師も亦た強ひて名づく、南陽独り許す嘉声を振ふことを。大唐扶け得たり真天子、曾て毘盧の頂上を踏んで行く。鉄鎚撃砕す黄金の骨、天地の間更に何物ぞ。三千の刹海夜沈沈、知らず誰か蒼龍の窟に入る。一国の師も亦た強ひて名づく、南陽独り許す嘉声を振ふことをとは、此の頌は一に箇の真賛に似て相似たり。道ふを見ずや、「至人は名無し」と。喚んで国師と作すも、亦た是れ強ひて名を安んじ了るなり。国師の道は比倫すべからず。善く能く恁麼に人を接す。独り南陽を許して是れ箇の作家とす。大唐扶け得たり真天子、曾て毘盧の頂上を踏んで行くとは、若し是れ具眼の衲僧の眼脳ならば、須らく是れ毘盧の頂上に向いて行きて、方に此の十身調御を見るべし。仏は之を調御と謂ふ、便ち是れ十号の一数なり。一身十身に化し、十身百身に化し、乃至千百億身なるも、大綱は只だ是れ一身なり。
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『碧巌録』第二十則雪竇復た拈じて云く、這の老漢也た未だ勦絶することを得ず。復た一頌を成す。盧公付し了りて亦た何をか憑まん、坐倚して祖灯を継ぐことを将ゐること休めよ。堪対す暮雲の帰りて未だ合せざるに、遠山限り無く碧層層。盧公付し了りて亦た何をか憑まん。何の憑拠か有る。直に須らく這裏に向かつて恁麼に会し去るべし。更に株を守りて兎を待つこと莫かれ。髑髏前に一時に打破して、一点の事の胸中に在る無く、放ちて灑灑落落地ならしむ。又何ぞ必ずしも憑むことを要せん。或いは坐し或いは倚る、仏法の道理を作すことを消ひず。所以に道ふ、坐倚して祖灯を継ぐことを将ゐること休めよと。雪竇一時に拈じ了れり。他に箇の転身の処有り、末後に自ら箇の消息を露はす。些子の好き処有りて道ふ、堪対す暮雲の帰りて未だ合せざるにと。且く道へ、雪竇の意什麼の処にか在る。暮雲帰りて合せんと欲して未だ合せざる時、爾道へ作麼生。遠山限り無く碧層層。旧に依りて鬼窟裏に打入し去る。這裏に到りて得失是非、一時に坐断して灑灑落落たらば、始めて些子に較れり。遠山限り無く碧層層。且く道へ、是れ文殊の境界か、是れ普賢の境界か、是れ観音の境界か。此に到りて且く道へ、是れ什麼人の分上の事ぞ。
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『碧巌録』第四十九則「透網の金鱗、云ふことを休めよ水に滞ると」。五祖道ふ、只だ此の一句にて頌し了れりと。既に是れ透網の金鱗ならば、豈に滞水に居らんや。必ず洪波浩渺、白浪滔天の処に在らん。且く道へ、二六時中、何を以てか食と為す。諸人且く三条椽下、七尺単前に向かつて、試みに定当し看よ。雪竇道ふ、此の事は分に随つて拈弄すと。金鱗の類の如きは、鬣を振るひ尾を擺ふ時、直に乾坤動揺することを得。「千尺の鯨噴いて洪浪飛ぶ」。此れは三聖の「一千五百人の善知識、話頭も也た識らず」と道ふを頌す。鯨の洪浪を噴くが如くに相似たり。「一声の雷震うて清飈起こる」。雪峰の「老僧住持事繁し」と道ふを頌す。一声の雷震うて清飈起こるが如くに相似たり。大綱、他の両箇俱に是れ作家なることを頌す。「清飈起こる、天上人間知るもの幾幾ぞ」。且く道へ、這の一句落ちて什麼の処にか在る。飈とは風なり。清飈起こる時に当たつて、天上人間、能く幾人か知ること有らん。
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『碧巌録』第九十七則胡漢来らず、全く伎倆無し。雪竇鼻孔を裂転す。也た胡漢来る有らば、則ち爾をして現ぜしむ。若し忽ち胡漢俱に来らざる時、又且つ如何。這裏に到りては、仏眼も也た覷れども見えず。且く道へ、是れ功勲か是れ罪業か、是れ胡か是れ漢か。直に羚羊の角を掛くるに似て、声響蹤跡は道ふこと莫れ、気息も也た無し。什麼の処に向いてか摸索せん。諸天をして花を捧ぐるに路無く、魔外をして潜かに覷ふに門無からしむるに至る。是の故に洞山和尚、一生院に住するに、土地神他の蹤跡を覓むれども見えず。一日厨前に米麺を抛撒す。洞山心を起して曰く、「常住の物色、何ぞ作践すること此の如くなるを得ん」。土地神遂に一見することを得て便ち礼拝す。雪竇道ふ、「伎倆既に無し」と。若し此の伎倆無き処に到らば、波旬も也た途を失せしむ。世尊は一切衆生を以て赤子と為す。若し一人有りて発心修行すれば、波旬の宮殿、之が為に振裂す。他便ち来りて修行者を悩乱す。雪竇道ふ、直饒ひ波旬恁麼に来るも、也た須らく途路を失却して近傍する処無からしむべしと。雪竇更に自ら胸を点じて云く、「瞿曇瞿曇、我を識るや也た無や」。是れ波旬と道ふこと莫れ、任是ひ仏来るも、還た我を識るや也た無や。釈迦老子すら尚自ほ見ず、諸人什麼の処に向いてか摸索せん。復た云く、「勘破し了れり」。且く道へ、是れ雪竇瞿曇を勘破するか、瞿曇雪竇を勘破するか。具眼の者試みに定当し看よ。
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『碧巌録』第九十九則長沙云く、「学道の人真を識らず、只だ従前より識神を認むるが為なり。無量劫来生死の本、痴人喚んで本来人と作す」。如今の人は只だ箇の昭昭霊霊を認得して、便ち眼を瞠り目を努らして精魂を弄す。什麼の交渉か有らん。只だ他の「自己の清浄法身を認むること莫れ」と道ふが如き、且く自己の法身の如きは、爾也た未だ夢にも見ざること在り、更に什麼の認むること莫れとか説かん。教家は清浄法身を以て極則と為す。什麼と為てか却つて人をして認めしめざる。道ふを見ずや、「認著すれば依前として還た是ならず」。咄。好し便ち棒を与へん。此の意を会得する者は、始めて他の「自己の清浄法身を認むること莫れ」と道ふを会す。雪竇他の老婆心切なるを嫌ふ。争奈せん爛泥裏に刺有ることを。豈に見ずや、洞山和尚人を接するに三路有り、所謂玄路・鳥道・展手なり。初機の学道は、且く此の三路に向いて行履す。僧師に問ふ、「尋常学人をして鳥道を行かしむ。未審し如何なるか是れ鳥道」。洞山云く、「一人にも逢はず」。僧云く、「如何が行かん」。山云く、「直に須らく足下に私無くして去るべし」。僧云く、「只だ鳥道を行くが如きは、便ち是れ本来の面目なること莫きや」。山云く、「闍黎什麼に因りてか顛倒する」。僧云く、「什麼の処か是れ学人の顛倒する処」。山云く、「若し顛倒せずんば、什麼と為てか奴を認めて郎と作す」。僧云く、「如何なるか是れ本来の面目」。山云く、「鳥道を行かず」。須らく是れ這般の田地を見倒して、方に少分の相応有るべし。直下に打畳して迹を削り声を呑ましむるも、猶ほ是れ衲僧門下、沙弥童行の見解なること在り。更に須らく塵労に回首して、繁く大用を興して始めて得べし。雪竇頌して云く、
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『碧巌録』第二十五則又云く、「眼裏に須弥山を著け得、耳裏に大海水を著け得。一般の漢有って、人の商量を受く。祖仏の言教、龍の水を得るが如く、虎の山に靠るに似たり。却って須らく鉢嚢を挑起し、拄杖を横担すべし。亦是れ一員の無事の道人なり」。復た云く、「恁麼も也た得ず、不恁麼も也た得ず。然る後交渉没し。三員の無事の道人の中、一人を選んで師と為さんと要す」。正に是れ這般の生鉄鋳就底の漢なり。何が故ぞ。或いは悪境界に遇ひ、或いは奇特の境界に遇ふも、他の面前に到れば、悉く皆夢の如くに相似たり。六根有ることを知らず、亦旦暮有ることを知らず。直饒ひ這般の田地に到るも、切に忌む寒灰死火を守って、黒漫漫の処に打入し去ることを。也た須らく是れ転身の一路有って始めて得べし。見ずや、古人道ふ、「寒巌に異草の青きを守ること莫れ。白雲に坐却せば宗妙ならず」と。所以に蓮華峰庵主道ふ、「他の途路に力を得ざるが為なり」と。直に須らく是れ千峰万峰に去って始めて得べし。且く道へ、什麼を喚んでか千峰万峰と作す。雪竇只だ他の「楖栗横に担って人を顧みず、直に千峰万峰に入り去る」と道ふを愛す。所以に頌出す。且く道へ、什麼の処に向かってか去る。還た去処を知り得る者有りや。「落花流水太だ茫茫」。落花紛紛、流水茫茫、閃電の機、眼前是れ什麼ぞ。「眉毛を剔起して何れの処にか去る」。雪竇什麼と為てか也た他の去処を知らざる。只だ山僧適来払子を挙すと道ふが如き、且く道へ、即今什麼の処にか在る。爾諸人若し見得せば、蓮華峰庵主と同参ならん。其れ或いは未だ然らずんば、三条椽下、七尺単前に、試みに去って参詳し看よ。
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