碧巌録 / 第九十七則
金剛經云。若為人輕賤。是人先世罪業應墮惡道。以今世人輕賤故。先世罪業則為消滅。只據平常講究。乃經中常論。雪竇拈來頌這意。欲打破教家鬼窟裏活計。昭明太子科此一分。為能淨業障。教中大意說此經靈驗。如此之人先世造地獄業。為善力強未受。以今世人輕賤故。先世罪業則為消滅。此經故能消無量劫來罪業。轉重成輕轉輕不受。復得佛果菩提。據教家。轉此二十餘張經。便喚作持經。有什麼交涉。有底道。經自有靈驗。若恁麼。爾試將一卷放在閑處看。他有感應也無。法眼云。證佛地者。名持此經。經中云。一切諸佛。及諸佛阿耨多羅三藐三菩提法。皆從此經出。且道喚什麼作此經。莫是黃卷赤軸底是麼。且莫錯認定盤星。
新字:金剛経云。若為人軽賤。是人先世罪業応堕悪道。以今世人軽賤故。先世罪業則為消滅。只拠平常講究。乃経中常論。雪竇拈来頌這意。欲打破教家鬼窟裏活計。昭明太子科此一分。為能浄業障。教中大意説此経霊験。如此之人先世造地獄業。為善力強未受。以今世人軽賤故。先世罪業則為消滅。此経故能消無量劫来罪業。転重成軽転軽不受。復得仏果菩提。拠教家。転此二十余張経。便喚作持経。有什麼交渉。有底道。経自有霊験。若恁麼。爾試将一巻放在閑処看。他有感応也無。法眼云。証仏地者。名持此経。経中云。一切諸仏。及諸仏阿耨多羅三藐三菩提法。皆従此経出。且道喚什麼作此経。莫是黄巻赤軸底是麼。且莫錯認定盤星。
書き下し
金剛経に云く、「若し人の為に軽賤せらるれば、是の人は先世の罪業、応に悪道に堕すべきも、今世の人の軽賤するを以ての故に、先世の罪業則ち為に消滅す」。只だ平常の講究に拠れば、乃ち経中の常論なり。雪竇拈じ来つて這の意を頌す、教家の鬼窟裏の活計を打破せんと欲す。昭明太子此の一分を科して、能浄業障と為す。教中の大意は此の経の霊験を説く。此の如きの人は先世に地獄の業を造るも、善力強きが為に未だ受けず。今世の人の軽賤するを以ての故に、先世の罪業則ち為に消滅す。此の経故に能く無量劫来の罪業を消し、重を転じて軽と成し、軽を転じて受けず、復た仏果菩提を得。教家に拠れば、此の二十余張の経を転ずるを、便ち喚んで持経と作す。什麼の交渉か有らん。有る底は道ふ、「経自ら霊験有り」と。若し恁麼ならば、爾試みに一巻を将て閑処に放在して看よ、他感応有りや也た無や。法眼云く、「仏地を証する者を、此の経を持すと名づく」。経中に云く、「一切の諸仏、及び諸仏の阿耨多羅三藐三菩提の法は、皆此の経より出づ」。且く道へ、什麼を喚んでか此の経と作す。是れ黄巻赤軸底是なること莫しや。且く錯つて定盤星を認むること莫れ。
現代語訳
『金剛経』に言う。「もし人に軽んじられ賤しめられるなら、その人は前世の罪業によって本来悪道に堕ちるはずであったが、今世で人に軽んじられ賤しめられることによって、前世の罪業はそのために消滅する」。ふだんの講究に従えば、これは経の中でよく論じられることである。雪竇はこれを取り上げてこの意を頌し、教家が鬼の洞窟の中で暮らしを立てているのを打ち破ろうとしたのである。昭明太子はこの一段を区分して「能浄業障分」とした。教えの大意は、この経の霊験を説くことにある。このような人は前世に地獄に堕ちる業を造ったが、善の力が強いためにまだその報いを受けていない。今世で人に軽んじられ賤しめられることによって、前世の罪業はそのために消滅する。この経はそれゆえに無量劫以来の罪業を消し、重い報いを軽くし、軽い報いを受けずにすませ、さらに仏の悟りを得させる。教家によれば、この二十数枚の経を読誦することを持経と呼ぶ。それに何の関わりがあろうか。ある者は「経そのものに霊験がある」と言う。もしそうなら、試みに一巻を何もない所に置いて見てみよ、感応があるかどうか。法眼は「仏の境地を証した者を、この経を持つ者という」と言った。経の中に「一切の諸仏、および諸仏の無上正等覚の法は、みなこの経から出る」とある。さて言ってみよ、何をこの経と呼ぶのか。黄色い紙に赤い軸の巻物がそれだというのではあるまいな。秤の目盛りの星を見誤ってはならない。
解説
この章句が説くこと
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