碧巌録 / 第九十六則
木佛不渡火。常思破竈墮。此一句亦頌了。雪竇因此木佛不渡火。常思破竈墮。嵩山破竈墮和尚不稱姓字。言行叵測隱居嵩山。一日領徒。入山塢間有廟甚靈。殿中唯安一竈。遠近祭祀不輟。烹殺物命甚多。師入廟中。以拄杖敲竈三下云。咄汝本塼土合成。靈從何來。聖從何起。恁麼烹殺物命。又乃擊三下。竈乃自傾破墮落。須臾有一人。青衣峨冠。忽然立師前設拜曰。我乃竈神。久受業報。今日蒙師說無生法。已脫此處。生在天中。特來致謝。師曰。汝本有之性非吾強言。神再拜而沒。
新字:木仏不渡火。常思破竈堕。此一句亦頌了。雪竇因此木仏不渡火。常思破竈堕。嵩山破竈堕和尚不称姓字。言行叵測隠居嵩山。一日領徒。入山塢間有廟甚霊。殿中唯安一竈。遠近祭祀不輟。烹殺物命甚多。師入廟中。以拄杖敲竈三下云。咄汝本塼土合成。霊従何来。聖従何起。恁麼烹殺物命。又乃撃三下。竈乃自傾破堕落。須臾有一人。青衣峨冠。忽然立師前設拝曰。我乃竈神。久受業報。今日蒙師説無生法。已脱此処。生在天中。特来致謝。師曰。汝本有之性非吾強言。神再拝而没。
書き下し
木仏火を渡らず、常に破竈堕を思ふ。此の一句も亦た頌し了れり。雪竇此の木仏火を渡らずに因りて、常に破竈堕を思ふ。嵩山の破竈堕和尚は姓字を称せず、言行叵測にして嵩山に隠居す。一日徒を領して山塢の間に入るに、廟有りて甚だ霊なり。殿中に唯だ一竈を安ず。遠近祭祀して輟まず、物命を烹殺すること甚だ多し。師廟中に入り、拄杖を以て竈を敲くこと三下して云く、「咄、汝は本塼土の合成なり。霊何れより来り、聖何れより起る。恁麼に物命を烹殺す」。又乃ち撃つこと三下す。竈乃ち自ら傾き破れ堕落す。須臾にして一人有り、青衣峨冠にして、忽然として師の前に立ち設拝して曰く、「我は乃ち竈神なり。久しく業報を受く。今日師の無生の法を説くを蒙りて、已に此の処を脱し、天中に生在す。特に来りて謝を致す」。師曰く、「汝本有の性にして、吾が強ひて言ふに非ず」。神再拝して没す。
現代語訳
「木の仏は火を渡らない。いつも破竈堕を思う」。この一句もまた頌し終えている。雪竇はこの「木の仏は火を渡らない」によって、いつも破竈堕のことを思うのである。嵩山の破竈堕和尚は姓も字も名のらず、言行は測りがたく、嵩山に隠れ住んでいた。ある日、弟子たちを連れて山あいの窪地に入ると、たいそう霊験あらたかな廟があった。殿の中にはただ一つの竈が祀られているだけであったが、遠近の人々の祭祀は絶えず、生き物を煮殺すことがはなはだ多かった。師は廟の中に入り、拄杖で竈を三度たたいて言った。「こら、お前はもともと煉瓦と土を合わせて作ったものだ。霊はどこから来たのか、聖はどこから起こったのか。それなのにこのように生き物を煮殺している」。そしてまた三度打った。すると竈はひとりでに傾いて壊れ、崩れ落ちた。しばらくすると、青い衣に高い冠をつけた一人の人が、忽然と師の前に立って礼拝して言った。「わたしは竈の神です。長いあいだ業の報いを受けてきました。今日、師が無生の法を説かれたおかげで、もうこの場所を脱し、天上に生まれることができました。特にお礼を申し上げに来ました」。師は言った。「それはお前にもともと備わった本性であって、わしが無理に言ったことではない」。神は再び礼拝して姿を消した。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 孝武本紀至)愈えず。游水発根乃ち言ひて曰く、「上郡に巫有り、病みて鬼之に下る。」と。上召して之を甘泉に置きて祠る。病むに及び、人をして神君に問はしむ。神君言ひて曰く、「天子病を憂ふる毋かれ。病少しく愈えなば、彊ひて我と甘泉に会せよ。」と。是に於て病愈え、遂に甘泉に幸す、病良(まこと)に已む。天下に大赦し、寿宮の神君を置く。神君の最も貴き者は(大夫)[太一]、其の佐を大禁・司命の属と曰ひ、皆之に従ふ。見るを得べきに非ず、其の音を聞く、人の言と等し。時に去り時に来たる、来たれば則ち風粛然たり。室の帷中に居る。時に昼言ふ、然れども常に夜を以てす。天子祓ひ、然る後に入る。巫に因りて主人と為し、飲食を関す。欲する所の者言へば行下す。又寿宮・北宮を置き、羽旗を張り、供具を設け、以て神君を礼す。神君の言ふ所、上人をして受けて其の言を書かしめ、之を命じて「画法」と曰ふ。其の語る所は、世俗の知る所なり、絶殊なる者毋し、而して天子独り喜ぶ。其の事秘にして、世知る莫きなり。其の後三年、有司言ふ元は宜しく天瑞を以て命ずべし、宜しく一二を以て数ふべからずと。一元を建元と曰ひ、二元は長星を以て元光と曰ひ、三元は郊して一角の獣を得たるを以て元狩と曰ふと云ふ。其の明年冬、天子雍に郊し、議して曰く、「今上帝は朕親ら郊す、而して后土は祀る毋し、則ち礼答へず。」と。有司太史公・祠官寛舒等と議す、「天地の牲は角繭栗なり。今陛下親ら后土を祀る、后土は宜しく沢中の圜丘に於て五壇を為り、壇ごとに一黄犢の太牢の具、已に祠らば尽く瘞め、而して祠に従ふものは衣黄を上ぶべし。」と。是に於て天子遂に東し、始めて后土の祠を汾陰の脽上に立つること、寛舒等の議の如くす。上親ら望拝すること、上帝の礼の如くす。礼畢り、天子遂に滎陽に至りて還る。雒陽を過ぎ、詔を下して曰く、「三代は邈絶し、遠くして存し難し。其れ三十里の地を以て周の後を封じて周子南君と為し、以て先王の祀を奉ぜしめよ。」と。
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『呻吟語』外篇・聖賢・儒者は理を認むるを要す賢人の言は聖人に視ぶれば未だ病有るを免れず。此れ其の大較のみ。怪しむ可きは俗儒の是れ聖人の語と說くを見れば、便ち其の短を迴護して類を推して以て通を求め、是れ賢人の言と說くを見れば、便ち其の疵を洗索して文を深くして以て過を求むるなり。是の故に儒者は理を認むるを要す。理の在る所は、狂夫の言と雖も、聖人に異ならず。聖人豈に一時の感に出でて、當然不易の訓と為す可からざる者無からんや。
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『甲陽軍鑑』品第十三去る程に鎌倉の公方を守護し奉る国々は相摸·武蔵·上野·下野·安房·上総·出羽·奥州·佐渡·越後·信濃·飛弾此国々の侍衆、大身·小身ともに悉く守護豊饒の様子なり、併公方世が世にてましますときより、上杉諸侍の棟梁と有る上意を承はつて推量候へば、諸国の侍大小皆此管領一人のさいはいを守る、両上杉とは申せども先山内殿を肝要に用ゆる故、結句後には公方をわきへなし奉り、十人は七人山内殿二人、扇谷へと申て、公方様へは漸々一人も出仕いたさずしてゐたるにより、公方の御仕合せ如此に候へども、山内殿に楯をつく侍一人としてなき故、少しも子細なく治る、
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