碧巌録 / 第九十六則
侍者曰。某甲等久參侍和尚。未蒙指示。竈神得何徑旨。便乃生天。師曰。我只向伊道。汝本塼土合成。靈從何來。聖從何起。侍僧俱無對。師云。會麼。僧云。不會。師云。禮拜著。僧禮拜。師云。破也破也墮也墮也。侍者忽然大悟。後有僧舉似安國師。師歎云。此子會盡物我一如。竈神悟此則故是。其僧乃五蘊成身。亦云破也墮也。二俱開悟。且四大五蘊。與塼瓦泥土。是同是別。既是如此。雪竇為什麼道。杖子忽擊著。方知辜負我。因甚却成箇辜負去。只是未得拄杖子在。且道雪竇頌木佛不渡火。為什麼却引破竈墮公案。老僧直截與爾說。他意只是絕得失情塵意想。淨裸裸地。自然見他親切處也。
新字:侍者曰。某甲等久参侍和尚。未蒙指示。竈神得何径旨。便乃生天。師曰。我只向伊道。汝本塼土合成。霊従何来。聖従何起。侍僧倶無対。師云。会麼。僧云。不会。師云。礼拝著。僧礼拝。師云。破也破也堕也堕也。侍者忽然大悟。後有僧舉似安国師。師嘆云。此子会尽物我一如。竈神悟此則故是。其僧乃五蘊成身。亦云破也堕也。二倶開悟。且四大五蘊。与塼瓦泥土。是同是別。既是如此。雪竇為什麼道。杖子忽撃著。方知辜負我。因甚却成箇辜負去。只是未得拄杖子在。且道雪竇頌木仏不渡火。為什麼却引破竈堕公案。老僧直截与爾説。他意只是絶得失情塵意想。浄裸裸地。自然見他親切処也。
書き下し
侍者曰く、「某甲等久しく和尚に参侍すれども、未だ指示を蒙らず。竈神何の径旨を得てか、便乃ち天に生ずる」。師曰く、「我只だ伊に向つて道ふ、汝は本塼土の合成なり。霊何れより来り、聖何れより起る、と」。侍僧俱に対無し。師云く、「会すや」。僧云く、「会せず」。師云く、「礼拝せよ」。僧礼拝す。師云く、「破れたり、破れたり。堕ちたり、堕ちたり」。侍者忽然として大悟す。後に僧有りて安国師に挙似す。師歎じて云く、「此の子物我一如を会し尽くす」。竈神此を悟ることは則ち故より是なり。其の僧は乃ち五蘊の成身なるに、亦た破れたり堕ちたりと云ひて、二俱に開悟す。且く四大五蘊と塼瓦泥土と、是れ同か是れ別か。既に是れ此の如くならば、雪竇什麼としてか道ふ、杖子忽ち撃著して、方に知る我に辜負することを、と。甚に因りてか却つて箇の辜負を成じ去る。只だ是れ未だ拄杖子を得ざる在り。且く道へ、雪竇木仏火を渡らずを頌するに、什麼としてか却つて破竈堕の公案を引く。老僧直截に爾が与に説かん。他の意は只だ是れ得失情塵意想を絶して、浄裸裸地にして、自然に他の親切の処を見るなり。
現代語訳
侍者は言った。「わたしたちは長らく和尚にお仕えしてきましたが、まだご指示をいただいていません。竈の神はどんな近道の教えを得て、すぐに天に生まれたのですか」。師は言った。「わしはただ彼に、お前はもともと煉瓦と土を合わせて作ったものだ、霊はどこから来たのか、聖はどこから起こったのか、と言っただけだ」。侍僧たちはみな答えられなかった。師は「分かったか」と言った。僧は「分かりません」と言った。師は「礼拝せよ」と言った。僧が礼拝すると、師は「壊れたぞ、壊れたぞ。崩れたぞ、崩れたぞ」と言った。侍者は忽然として大いに悟った。のちにある僧がこれを安国師に話すと、国師は感嘆して「この者は物と我とが一つであることを悟り尽くしている」と言った。竈の神がこれを悟ったのは、もとよりもっともである。その僧は五蘊でできた身であるのに、やはり「壊れたぞ、崩れたぞ」と言われて、両者ともに悟りを開いた。さて、四大五蘊と煉瓦や泥土とは同じか別か。そうであるなら、雪竇はなぜ「杖でたちまち打たれて、はじめて自分に背いていたことを知る」と言ったのか。どうしてかえって背くことになるのか。ただまだ拄杖を手にしていないからである。さて言ってみよ、雪竇は「木の仏は火を渡らない」を頌するのに、なぜわざわざ破竈堕の公案を引いたのか。わたしがずばりと君たちに説こう。彼の意図はただ、得失の情や塵のような意識の想いを断ち切って、まる裸で何もない境地になれば、おのずと彼の親しく切実なところが見える、ということである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第九十六則木仏火を渡らず、常に破竈堕を思ふ。此の一句も亦た頌し了れり。雪竇此の木仏火を渡らずに因りて、常に破竈堕を思ふ。嵩山の破竈堕和尚は姓字を称せず、言行叵測にして嵩山に隠居す。一日徒を領して山塢の間に入るに、廟有りて甚だ霊なり。殿中に唯だ一竈を安ず。遠近祭祀して輟まず、物命を烹殺すること甚だ多し。師廟中に入り、拄杖を以て竈を敲くこと三下して云く、「咄、汝は本塼土の合成なり。霊何れより来り、聖何れより起る。恁麼に物命を烹殺す」。又乃ち撃つこと三下す。竈乃ち自ら傾き破れ堕落す。須臾にして一人有り、青衣峨冠にして、忽然として師の前に立ち設拝して曰く、「我は乃ち竈神なり。久しく業報を受く。今日師の無生の法を説くを蒙りて、已に此の処を脱し、天中に生在す。特に来りて謝を致す」。師曰く、「汝本有の性にして、吾が強ひて言ふに非ず」。神再拝して没す。
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『碧巌録』第九十七則胡漢来らず、全く伎倆無し。雪竇鼻孔を裂転す。也た胡漢来る有らば、則ち爾をして現ぜしむ。若し忽ち胡漢俱に来らざる時、又且つ如何。這裏に到りては、仏眼も也た覷れども見えず。且く道へ、是れ功勲か是れ罪業か、是れ胡か是れ漢か。直に羚羊の角を掛くるに似て、声響蹤跡は道ふこと莫れ、気息も也た無し。什麼の処に向いてか摸索せん。諸天をして花を捧ぐるに路無く、魔外をして潜かに覷ふに門無からしむるに至る。是の故に洞山和尚、一生院に住するに、土地神他の蹤跡を覓むれども見えず。一日厨前に米麺を抛撒す。洞山心を起して曰く、「常住の物色、何ぞ作践すること此の如くなるを得ん」。土地神遂に一見することを得て便ち礼拝す。雪竇道ふ、「伎倆既に無し」と。若し此の伎倆無き処に到らば、波旬も也た途を失せしむ。世尊は一切衆生を以て赤子と為す。若し一人有りて発心修行すれば、波旬の宮殿、之が為に振裂す。他便ち来りて修行者を悩乱す。雪竇道ふ、直饒ひ波旬恁麼に来るも、也た須らく途路を失却して近傍する処無からしむべしと。雪竇更に自ら胸を点じて云く、「瞿曇瞿曇、我を識るや也た無や」。是れ波旬と道ふこと莫れ、任是ひ仏来るも、還た我を識るや也た無や。釈迦老子すら尚自ほ見ず、諸人什麼の処に向いてか摸索せん。復た云く、「勘破し了れり」。且く道へ、是れ雪竇瞿曇を勘破するか、瞿曇雪竇を勘破するか。具眼の者試みに定当し看よ。
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『碧巌録』第九十六則挙す。趙州衆に三転語を示す。趙州此の三転語を示し了りて、末後に却つて云く、「真仏屋裏に坐す」。這の一句忒殺だ郎当なり。他の古人一隻眼を出し、手を垂れて人に接し、略此の語を借りて、箇の消息を通じ、人の為にせんと要す。爾若し一向に正令全提せば、法堂前草深きこと一丈ならん。雪竇他の末後の一句の漏逗なるを嫌ふ。所以に削り去りて、只だ三句を頌す。泥仏若し水を渡らば、則ち爛却し了らん。金仏若し鑪中を渡らば、則ち鎔却し了らん。木仏若し火を渡らば、便ち焼却し了らん。什麼の会し難きことか有る。雪竇一百則の頌古は、計較葛藤なり。唯だ此の三頌のみ直下に衲僧の気息有り。只だ是れ這の頌も也た妨げず会し難きことを。爾若し此の三頌を透得せば、便ち爾に罷参を許さん。
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『碧巌録』第九十六則雪竇泥仏水を渡らずを頌するに、什麼としてか、却つて這の因縁を引き来つて用ゐる。他は意根下に一星の事無きに参得して、浄裸裸地にして方に頌し得ること此の如し。五祖尋常人をして此の三頌を看せしむ。豈に見ずや、洞山初和尚に頌有りて衆に示して云く、「五台山上雲飯を蒸し、古仏堂前狗天に尿す。刹竿頭上䭔子を煎じ、三箇の胡孫夜銭を簸る」。又杜順和尚道ふ、「懐州の牛禾を喫し、益州の馬腹脹る。天下に医人を覓めて、猪の左膊上に灸す」。又傅大士頌して云く、「空手にして鋤頭を把り、歩行して水牛に騎る。人橋上より過ぐれば、橋は流れて水は流れず」。又云く、「石人の機汝に似たり、也た巴歌を唱ふることを解す。汝若し石人に似たらば、雪曲応に須らく和すべし」。若し此の語を会得せば、便ち他の雪竇の頌を会せん。足。
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『碧巌録』第九十六則金仏鑪を渡らず、人来つて紫胡を訪ふ。牌中の数箇の字、清風何れの処にか無からん。皖。金仏鑪を渡らず、人来つて紫胡を訪ふ。此の一句も亦た頌し了れり。什麼としてか却つて人来つて紫胡を訪ふを引く。須らく是れ作家の鑪鞴にして始めて得べし。紫胡和尚、山門に一牌を立つ。牌中に字有りて云く、「紫胡に一狗有り、上は人の頭を取り、中は人の腰を取り、下は人の脚を取る。擬議すれば則ち身を喪ひ命を失ふ」。凡そ新到を見れば便ち喝して云く、「狗を看よ」。僧纔かに首を回らせば、紫胡便ち方丈に帰る。且く道へ、什麼としてか却つて趙州を咬むことを得ざる。紫胡又一夕夜深けて後架に於て叫んで云く、「賊を捉へよ、賊を捉へよ」。黒地に一僧に逢著し、胸を攔りて捉住して云く、「捉へ得たり、捉へ得たり」。僧云く、「和尚、某甲にあらず」。胡云く、「是なることは則ち是なり、只だ是れ承当することを肯はず」。爾若し這の話を会得せば、便ち爾に一切の人を咬殺することを許さん。処処に清風凜凜たらん。若也未だ然らずんば、牌中の数箇の字、決定して奈何ともせず。若し他を見んと要せば、但だ透得し尽くして方に見ん。頌に云く、木仏火を渡らず、常に破竈堕を思ふ。杖子忽ち撃著して、方に知る我に辜負することを。
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『碧巌録』第八十四則雪竇も亦た良久と説かず、亦た黙然拠坐と説かず、只だ急急の処に去いて云く、「維摩、什麼をか道ふ」と。只だ雪竇の恁麼に道ふが如きは、還た維摩を見るや。夢にも也た未だ夢見ざること在り。維摩は乃ち過去の古仏なり。亦た眷属有りて、仏を助けて宣化す。不可思議の辯才を具し、不可思議の境界有り、不可思議の神通妙用有り。方丈の室中に於て、三万二千の獅子宝座と八万の大衆とを容れて、亦た寛狭ならず。且く道へ、是れ什麼の道理ぞ。喚んで神通妙用と作して得てんや。且く錯つて会すること莫れ。若し是れ不二法門ならば、同じく得、同じく証すと雖も、方に乃ち相共に証知す。独り文殊のみ有りて、与に酬対す可し。然も恁麼なりと雖も、還た雪竇の検責を免れ得るや也た無しや。雪竇恁麼に道ふも、也た這の二人と相見せんことを要して云く、「維摩、什麼をか道ふ」と。又た云く、「勘破し了れり」と。爾且く道へ、是れ什麼の処か、是れ勘破の処なる。只だ這些子、得失に拘はらず、是非に落ちず。万仞の懸崖の如し、向上に性命を捨得して、跳び得て過ぎ去らば、爾に親しく維摩を見ることを許さん。如し捨て得ずんば、大いに群羊の藩に触るるに似たり。雪竇は故然として是れ性命を捨得する底の人なり。所以に頌出して云く、
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