碧巌録 / 第九十六則
雪竇頌泥佛不渡水。為什麼。却引這因緣來用。他參得意根下無一星事。淨裸裸地方頌得如此。五祖尋常教人看此三頌。豈不見洞山初和尚有頌示眾云。五臺山上雲蒸飯。古佛堂前狗尿天。剎竿頭上煎[飢-几+追]子。三箇胡孫夜簸錢。又杜順和尚道。懷州牛喫禾。益州馬腹脹。天下覓醫人。灸猪左膊上。又傅大士頌云。空手把鋤頭。步行騎水牛。人從橋上過。橋流水不流。又云。石人機似汝。也解唱巴歌。汝若似石人。雪曲應須和。若會得此語。便會他雪竇頌 足。
新字:雪竇頌泥仏不渡水。為什麼。却引這因縁来用。他参得意根下無一星事。浄裸裸地方頌得如此。五祖尋常教人看此三頌。豈不見洞山初和尚有頌示衆云。五台山上雲蒸飯。古仏堂前狗尿天。刹竿頭上煎[飢-几+追]子。三箇胡孫夜簸銭。又杜順和尚道。懐州牛喫禾。益州馬腹脹。天下覓医人。灸猪左膊上。又傅大士頌云。空手把鋤頭。歩行騎水牛。人従橋上過。橋流水不流。又云。石人機似汝。也解唱巴歌。汝若似石人。雪曲応須和。若会得此語。便会他雪竇頌 足。
書き下し
雪竇泥仏水を渡らずを頌するに、什麼としてか、却つて這の因縁を引き来つて用ゐる。他は意根下に一星の事無きに参得して、浄裸裸地にして方に頌し得ること此の如し。五祖尋常人をして此の三頌を看せしむ。豈に見ずや、洞山初和尚に頌有りて衆に示して云く、「五台山上雲飯を蒸し、古仏堂前狗天に尿す。刹竿頭上䭔子を煎じ、三箇の胡孫夜銭を簸る」。又杜順和尚道ふ、「懐州の牛禾を喫し、益州の馬腹脹る。天下に医人を覓めて、猪の左膊上に灸す」。又傅大士頌して云く、「空手にして鋤頭を把り、歩行して水牛に騎る。人橋上より過ぐれば、橋は流れて水は流れず」。又云く、「石人の機汝に似たり、也た巴歌を唱ふることを解す。汝若し石人に似たらば、雪曲応に須らく和すべし」。若し此の語を会得せば、便ち他の雪竇の頌を会せん。足。
現代語訳
雪竇は「泥の仏は水を渡らない」を頌するのに、なぜわざわざこの因縁を引いて用いたのか。彼は意識の根もとに一点の事もないところまで参じ得て、まる裸で何もない境地であったからこそ、このように頌することができたのである。五祖はふだん人にこの三つの頌を看させた。見たことがないか。洞山守初和尚に頌があって大衆に示して言う。「五台山の上で雲が飯を蒸し、古仏堂の前で犬が天に小便をする。旗竿の先で餅を煎り、三匹の猿が夜に銭を投げて遊ぶ」。また杜順和尚は言った。「懐州の牛が稲を食べると、益州の馬の腹がふくれる。天下に医者を探し求めて、豚の左の肩にお灸をすえる」。また傅大士は頌して言った。「手ぶらで鋤を握り、歩いて水牛に乗る。人が橋の上を通れば、橋が流れて水は流れない」。また言った。「石の人のはたらきはお前に似ていて、田舎歌を歌うこともできる。お前がもし石の人に似ているなら、雪の曲にもきっと唱和するだろう」。もしこれらの言葉が分かれば、雪竇の頌も分かるだろう。(足。)
解説
この章句が説くこと
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