碧巌録 / 第九十三則
西天四七。唐土二三。只傳這箇些子。諸人還知落處麼。若知免得此過。若不知。依舊只是野狐精。有者道。是裂轉他鼻孔來瞞人。若真箇恁麼。成何道理。大光善能為人。他句中有出身之路。大凡宗師。須與人抽釘拔楔。去粘解縛。方謂之善知識。大光作舞。這僧禮拜。末後僧却作舞。大光云。這野狐精。不是轉這僧。畢竟不知的當。爾只管作舞。遞相恁麼。到幾時得休歇去。大光道野狐精。此語截斷金牛。不妨奇特。所以道。他參活句。不參死句。雪竇只愛他道這野狐精。所以頌出。旦道這野狐精。與藏頭白海頭黑。是同是別。這漆桶。又道。好師僧。且道。是同是別。還知麼觸處逢渠。雪竇頌云。
新字:西天四七。唐土二三。只伝這箇些子。諸人還知落処麼。若知免得此過。若不知。依旧只是野狐精。有者道。是裂転他鼻孔来瞞人。若真箇恁麼。成何道理。大光善能為人。他句中有出身之路。大凡宗師。須与人抽釘抜楔。去粘解縛。方謂之善知識。大光作舞。這僧礼拝。末後僧却作舞。大光云。這野狐精。不是転這僧。畢竟不知的当。爾只管作舞。逓相恁麼。到幾時得休歇去。大光道野狐精。此語截断金牛。不妨奇特。所以道。他参活句。不参死句。雪竇只愛他道這野狐精。所以頌出。旦道這野狐精。与蔵頭白海頭黒。是同是別。這漆桶。又道。好師僧。且道。是同是別。還知麼触処逢渠。雪竇頌云。
書き下し
西天の四七、唐土の二三、只だ這箇些子を伝ふ。諸人還た落処を知るや。若し知らば此の過を免れ得ん。若し知らずんば、依旧只だ是れ野狐精。有る者は道ふ、「是れ他の鼻孔を裂転し来つて人を瞞く」と。若し真箇に恁麼ならば、什麼の道理をか成さん。大光善く能く人の為にす。他の句中に出身の路有り。大凡宗師は、須らく人の与に釘を抽き楔を抜き、粘を去り縛を解くべし。方に之を善知識と謂ふ。大光舞を作し、這の僧礼拝す。末後に僧却つて舞を作す。大光云く、「這の野狐精」。是れ這の僧を転ずるにあらずんば、畢竟的当を知らず。爾只管に舞を作し、遞相に恁麼にせば、幾時に到つてか休歇し去ることを得ん。大光野狐精と道ふ、此の語金牛を截断して、妨げず奇特なることを。所以に道ふ、他は活句に参じて死句に参ぜず。雪竇只だ他の這の野狐精と道ふを愛す。所以に頌出す。且く道へ、這の野狐精と、蔵頭白海頭黒と、是れ同か是れ別か。這の漆桶。又道ふ、好師僧。且く道へ、是れ同か是れ別か。還た知るや。触処に渠に逢ふ。雪竇頌して云く、
現代語訳
インドの二十八祖、中国の六祖は、ただこのわずかな事だけを伝えてきた。皆さん、その落ち着きどころが分かるか。分かればこの過ちを免れることができる。分からなければ、相変わらずただの野狐の化け物である。ある者は「これは相手の鼻をねじ曲げて人をだましているのだ」と言う。もし本当にそうなら、何の道理があろうか。大光は人のためによく尽くしている。その言葉の中に抜け出る道がある。およそ宗師たる者は、人のために釘を抜き楔を外し、こびりついたものを取り去り縛りを解いてやらねばならない。それでこそ善知識と呼ばれる。大光が舞い、この僧が礼拝した。最後に僧のほうがかえって舞った。大光は「この野狐の化け物め」と言った。これでこの僧をひっくり返したのでなければ、僧は結局ぴたりとした所を知らないままであったろう。君がひたすら舞い、互いにそんなことを繰り返していたら、いつになったら休むことができるのか。大光が「野狐精」と言ったこの一語は、金牛をもばっさり断ち切っており、実に見事である。だから「彼は活句に参じて死句に参じない」と言うのである。雪竇はただ大光の「この野狐精め」という一語を愛した。だから頌に出したのである。さて言ってみよ、「この野狐精め」と、「蔵の頭は白く、海の頭は黒い」とは、同じか別か。「この漆桶め」、また「よい坊さんだ」というのとは、同じか別か。分かるか。至るところで彼に出会う。雪竇は頌して言う。
解説
この章句が説くこと
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