碧巌録 / 第九十三則
前箭猶輕後箭深 誰云黃葉是黃金曹溪波浪如相似無限平人被陸沈前箭猶輕後箭深。大光作舞。是前箭。復云。這野狐精。是後箭。此是從上來爪牙。誰云黃葉是黃金。仰山示眾云。汝等諸人。各自回光返照。莫記吾言。汝等無始劫來。背明投暗。妄想根深卒難頓拔。所以假設方便。奪汝麁識。如將黃葉止小兒啼。如將蜜果換苦葫蘆相似。古人權設方便為人。及其啼止。黃葉非金。世尊說一代時教。也只是止啼之說。這野狐精。只要換他業識。於中也有權實。也有照用。方見有衲僧巴鼻。若會得如虎插翼。曹溪波浪如相似。儻忽四方八面學者。只管大家如此作舞。一向恁麼。無限平人被陸沈。有什麼救處。
新字:前箭猶軽後箭深 誰云黄葉是黄金曹渓波浪如相似無限平人被陸沈前箭猶軽後箭深。大光作舞。是前箭。復云。這野狐精。是後箭。此是従上来爪牙。誰云黄葉是黄金。仰山示衆云。汝等諸人。各自回光返照。莫記吾言。汝等無始劫来。背明投暗。妄想根深卒難頓抜。所以仮設方便。奪汝麁識。如将黄葉止小児啼。如将蜜果換苦葫蘆相似。古人権設方便為人。及其啼止。黄葉非金。世尊説一代時教。也只是止啼之説。這野狐精。只要換他業識。於中也有権実。也有照用。方見有衲僧巴鼻。若会得如虎挿翼。曹渓波浪如相似。儻忽四方八面学者。只管大家如此作舞。一向恁麼。無限平人被陸沈。有什麼救処。
書き下し
前箭は猶ほ軽く後箭は深し、誰か云ふ黄葉は是れ黄金と。曹渓の波浪如し相似たらば、限り無き平人陸沈せられん。前箭は猶ほ軽く後箭は深し。大光舞を作す、是れ前箭。復た云く、「這の野狐精」、是れ後箭。此れは是れ従上来の爪牙なり。誰か云ふ黄葉は是れ黄金と。仰山衆に示して云く、「汝等諸人、各自に回光返照せよ。吾が言を記すること莫れ。汝等無始劫来、明に背き暗に投じ、妄想の根深くして卒に頓に抜き難し。所以に仮に方便を設けて、汝が麁識を奪ふ。黄葉を将て小児の啼を止むるが如く、蜜果を将て苦葫蘆に換ふるが如くに相似たり」。古人権に方便を設けて人の為にす。其の啼止むに及べば、黄葉は金に非ず。世尊一代時教を説くも、也た只だ是れ止啼の説なり。這の野狐精も、只だ他の業識を換へんことを要す。中に於て也た権実有り、也た照用有り。方に衲僧の巴鼻有ることを見る。若し会得せば虎の翼を挿むが如し。曹渓の波浪如し相似たらば、儻忽し四方八面の学者、只管に大家此の如く舞を作して、一向に恁麼ならば、限り無き平人陸沈せられん、什麼の救ふ処か有らん。
現代語訳
先の矢はまだ軽く、後の矢こそ深く刺さる。誰が黄葉を黄金だなどと言うのか。曹渓の波がもしどれも同じであったなら、限りない普通の人々が陸の上で沈むことになろう。(評唱)「先の矢はまだ軽く、後の矢こそ深い」。大光が舞ったのが先の矢であり、さらに「この野狐の化け物め」と言ったのが後の矢である。これは古来の祖師たちの爪と牙である。「誰が黄葉を黄金だなどと言うのか」。仰山が大衆に示して言った。「お前たちはそれぞれ自分の光を振り返り、自らを照らせ。わしの言葉を覚え込んではならない。お前たちは始まりのない昔から、明るみに背を向けて闇に身を投じ、妄想の根が深くて、にわかには抜きがたい。だから仮に方便を設けて、お前たちの粗い識を奪うのである。それは黄色い葉で幼子の泣くのを止めるようなもの、蜜の果実で苦い瓢箪と取り換えるようなものだ」。古人は仮に方便を設けて人を導いた。泣き止んでしまえば、黄葉は金ではない。世尊が一代にわたって説いた教えも、ただ泣く子を止めるための説である。この「野狐精」も、ただ相手の業識を取り換えさせようとしたにすぎない。その中には権と実もあり、照と用もある。それでこそ禅僧のつかみどころがあることが分かる。もしこれが分かれば、虎に翼を付けたようなものだ。「曹渓の波がもしどれも同じであったなら」、もし四方八方の修行者がひたすらみな同じように舞い、ずっとそればかりやっていたなら、「限りない普通の人々が陸の上で沈むことになろう」。何の救いがあろうか。
解説
この章句が説くこと
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『碧巌録』第九十三則西天の四七、唐土の二三、只だ這箇些子を伝ふ。諸人還た落処を知るや。若し知らば此の過を免れ得ん。若し知らずんば、依旧只だ是れ野狐精。有る者は道ふ、「是れ他の鼻孔を裂転し来つて人を瞞く」と。若し真箇に恁麼ならば、什麼の道理をか成さん。大光善く能く人の為にす。他の句中に出身の路有り。大凡宗師は、須らく人の与に釘を抽き楔を抜き、粘を去り縛を解くべし。方に之を善知識と謂ふ。大光舞を作し、這の僧礼拝す。末後に僧却つて舞を作す。大光云く、「這の野狐精」。是れ這の僧を転ずるにあらずんば、畢竟的当を知らず。爾只管に舞を作し、遞相に恁麼にせば、幾時に到つてか休歇し去ることを得ん。大光野狐精と道ふ、此の語金牛を截断して、妨げず奇特なることを。所以に道ふ、他は活句に参じて死句に参ぜず。雪竇只だ他の這の野狐精と道ふを愛す。所以に頌出す。且く道へ、這の野狐精と、蔵頭白海頭黒と、是れ同か是れ別か。這の漆桶。又道ふ、好師僧。且く道へ、是れ同か是れ別か。還た知るや。触処に渠に逢ふ。雪竇頌して云く、
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『碧巌録』第五十二則此の一句は用ひて前面の公案を顕す。「笑ふに堪へたり同時の灌渓老」。見ずや、僧、灌渓に問ふ、「久しく灌渓を響く。到来するに及んで、只だ箇の漚麻池を見る」。渓云く、「汝は只だ漚麻池を見て、且つ灌渓を見ず」。僧云く、「如何なるか是れ灌渓」。渓云く、「劈箭急なり」。又た僧、黄竜に問ふ、「久しく黄竜を響く。到来するに及んで、只だ箇の赤斑蛇を見る」。竜云く、「子は只だ赤斑蛇を見て、且つ黄竜を見ず」。僧云く、「如何なるか是れ黄竜」。竜云く、「拕拕地」。僧云く、「忽ち金翅鳥の来たるに遇ふ時如何」。竜云く、「性命存し難し」。僧云く、「恁麼ならば則ち他に食噉せられ去らん」。竜云く、「子の供養を謝す」。此れ総て是れ孤危を立す。是なることは則ち也た是なるも、費力を免れず。終に趙州の尋常用ふる底に如かず。所以に雪竇道ふ、「解く劈箭と云ふも亦た徒労」と。只だ灌渓・黄竜の如きは即ち且く致く。趙州云く、「驢を渡し馬を渡す」と。又た作麼生か会せん。試みに弁じ看よ。
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『碧巌録』第八十一則石鞏の作略、藥山と一般なり。三平、頂門に眼を具し、一句下に向つて便ち的に中る。一に藥山の「箭を看よ」と道ふに似たり。其の僧、便ち麈と作つて身を放ちて倒る。這の僧も也た作家に似たり、只だ是れ頭有りて尾無し。既に圏繢を做して藥山を陥れんと要す、争奈せん藥山は是れ作家なることを。一向に逼り将ち去る。山云く、「侍者、這の死漢を拕き出せ」。陣を展べて前に向ふが如く相似たり。其の僧便ち走る、也た好し。是なることは則ち是なれども、争奈せん脱灑ならず、脚に粘し手に粘す。所以に藥山云く、「泥団を弄する漢、什麼の限りか有らん」。藥山当時、若し後語無くんば、千古の下、人の検点に遭はん。山云く、「箭を看よ」、這の僧便ち倒る。且く道へ、是れ会すとや、是れ会せずとや。若し是れ会すと道はば、藥山什麼に因つてか却つて恁麼に「泥団を弄する漢」と道ふ。這箇最も悪し。正に僧の徳山に問ふに似たり、「学人、鏌鎁の剣に仗りて師の頭を取らんと擬する時如何」。山、頸を引きて近前して云く、「[囗@力]」。僧云く、「師の頭落ちぬ」。徳山、頭を低れて方丈に帰る。又た巌頭、僧に問ふ、「什麼の処よりか来る」。僧云く、「西京より来る」。巌頭云く、「黄巣過ぎて後、曾て剣を収得すや」。僧云く、「収得す」。巌頭、頸を引き近前して云く、「[囗@力]」。僧云く、「師の頭落ちぬ」。巌頭呵呵大笑す。這般の公案、都て是れ陥虎の機なり、正に此に類す。恰も是れ藥山、他を管せず、只だ識得破するが為に、只管に逼り将ち去る。雪竇云く、「這の僧、三歩は活なりと雖も、五歩にして須らく死すべし」。這の僧、甚だ箭を看ることを解すと雖も、便ち身を放ちて倒る。山云く、「侍者、這の死漢を拕き出せ」。僧便ち走る。雪竇道ふ、「只だ恐らくは三歩の外は活きざらん」。当時若し五歩の外に跳び出でば、天下の人便ち他を奈何ともせじ。作家相見するには、須らく是れ賓主始終互換して、間断有ること無かるべし、方に自由自在の分有り。這の僧、当時既に始終すること能はず、所以に雪竇の検点に遭ふ。後面亦た自ら他の語を用ふ。頌に云く、
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『碧巌録』第六十九則雪竇何が故にか却つて太だ直なりと言ふ。若し是れ太だ直ならば則ち中らず。既に是れ樹を遶る、何が故にか却つて太だ直なりと云ふ。雪竇其の意を借りて、妨げず用ゐ得て好きことを。此の事は春秋に出づ。有る者は道ふ、「樹を遶るは是れ円相なり」と。若し真箇に此の如くならば、蓋し語の宗旨を識らず、太だ直なる処を知らず。三箇の老漢、途を殊にして同じく一揆に帰し、一斉に太だ直なり。若し是れ他の去処を識得せば、七縦八横、方寸を離れず。百川流れを異にして、同じく大海に帰す。所以に南泉道ふ、「恁麼ならば則ち去かじ」と。若し是れ衲僧の正眼もて覷著せば、只だ是れ精魂を弄するのみ。若し喚んで精魂を弄すと作さば、却つて是れ精魂を弄するにあらず。五祖先師道ふ、「他の三人は是れ慧炬三昧、荘厳王三昧なり」と。此の如くなりと雖然も、女人拝を作すも、他は終に女人拝の会を作さず。円相を画くと雖も、他は終に円相の会を作さず。既に恁麼に会せずんば、又作麼生か会せん。雪竇道ふ、「千箇と万箇と、是れ誰か曾て的に中つる」と。能く幾箇か有りて百発百中せん。「相呼び相喚びて帰りなんいざ」、南泉の「恁麼ならば則ち去かじ」と道ふを頌す。南泉此れより去かず。故に云く、「曹渓路上登陟を休めよ」と。荊棘林を滅却す。雪竇把不定にして、復た云く、「曹渓の路は坦平なり、什麼としてか登陟を休むる」と。曹渓の路は塵を絶し迹を絶し、露裸裸、赤灑灑、平坦坦、翛然地なり。什麼としてか却つて登陟を休むる。各自脚下を看よ。
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『碧巌録』第八十一則麈中の麈、君看取せよ。一箭を下せば、三歩を走る。五歩若し活ならば、群を成して虎を趁はん。正眼従来猟人に付す。雪竇高声に云く、「箭を看よ」。麈中の麈、君看取せよ。衲僧家は須らく是れ麈中の麈底の眼を具し、麈中の麈底の頭角有り、機関有り作略有るべし。任ひ是れ翼を插む猛虎、角を戴く大虫なりとも、也た只だ身を全うし害を遠ざくることを得るのみ。這の僧、当時身を放ちて便ち倒れ、自ら道ふ、我は是れ麈なりと。一箭を下せば、三歩を走る。山云く、「箭を看よ」。僧便ち倒る。山云く、「侍者、這の死漢を拕き出せ」。這の僧便ち走る、也た甚だ好し。争奈せん只だ三歩を走り得たるのみなることを。五歩若し活ならば、群を成して虎を趁はん。雪竇道ふ、只だ恐らくは五歩にして須らく死すべしと。当時若し跳び得て五歩の外に出でて活する時は、便ち能く群を成して去きて虎を趁はん。其の麈中の麈は、角利きこと鎗の如く、虎も見て亦た之を畏れて走る。麈は鹿中の王たり、常に群鹿を引きて、虎を趁うて別山に入らしむ。雪竇、後面に藥山にも亦た当機出身の処有ることを頌す。正眼従来猟人に付す。藥山は能く射る猟人の如く、其の僧は麈の如し。雪竇是の時、上堂に因つて此の語を挙し、束ねて一団の話と為し、高声に一句を道ひて云く、「箭を看よ」。坐する者、立つ者、一時に起ち得ず。
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『碧巌録』第五十六則此に頌する数句は、帰宗の頌中の語を取る。帰宗昔日、因みに此の頌を作り、号して帰宗と曰ふ。宗門中、之を宗旨の説と謂ふ。後来同安之を聞いて云く、「良公善く能く箭を発するも、要且つ中的を解せず」。僧有り便ち問ふ、「如何にしてか中的することを得ん」。安云く、「関中の主は是れ什麼人ぞ」。後に僧有り欽山に挙似す。山云く、「良公若し恁麼ならば、也た未だ欽山の口を免れ得ず」。是の如くなりと雖も、同安は是れ好心ならず。雪竇道ふ、「君が与に関中の主を放出す」と。眼を開くも也た著し、眼を合するも也た著す。有形無形、尽く斬つて三段と為す。「箭を放つの徒莽鹵なること莫かれ」。若し善く能く箭を放たば、則ち莽鹵ならず。若し善く放たずんば、則ち莽鹵なること知るべし。「箇の眼を取れば耳必ず聾し、箇の耳を捨つれば目双つながら瞽す」。且く道へ、箇の眼を取れば、什麼としてか却つて耳聾し、箇の耳を捨つれば、什麼としてか却つて双つながら瞽する。此の語は取捨無くして、方に能く透得す。若し取捨有らば則ち見難し。「憐れむべし一鏃三関を破る、的的分明なり箭後の路」。良禅客問ふ、「一鏃三関を破る時如何」。欽山云く、「関中の主を放出し看よ」。乃至末後の同安の公案まで、尽く是れ箭後の路なり。畢竟作麼生。
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