碧巌録 / 第九十一則
鹽官一日喚侍者。與我將犀牛扇子來。此事雖不在言句上。且要驗人平生意氣作略。又須得如此藉言而顯。於臘月三十日著得力。作得主。萬境摐然。覩之不動。可謂無功之功。無力之力。鹽官廼齊安禪師。古時以犀牛角為扇。時鹽官豈不知犀牛扇子破。故問侍者。侍者云。扇子破也。看他古人。十二時中常在裏許撞著磕著。鹽官云。扇子既破。還我犀牛兒來。且道他要犀牛兒作什麼。也只要驗人知得落處也無。投子云。不辭將出。恐頭角不全。雪竇云。我要不全底頭角。亦向句下便投機。石霜云。若還和尚即無也。雪竇云。犀牛兒猶在。資福畫一圓相。於中書一牛字。為他承嗣仰山。平生愛以境致接人明此事。雪竇云。適來為什麼不將出。又穿他鼻孔了也。
新字:塩官一日喚侍者。与我将犀牛扇子来。此事雖不在言句上。且要験人平生意気作略。又須得如此藉言而顕。於臘月三十日著得力。作得主。万境摐然。睹之不動。可謂無功之功。無力之力。塩官廼斉安禅師。古時以犀牛角為扇。時塩官豈不知犀牛扇子破。故問侍者。侍者云。扇子破也。看他古人。十二時中常在裏許撞著磕著。塩官云。扇子既破。還我犀牛児来。且道他要犀牛児作什麼。也只要験人知得落処也無。投子云。不辞将出。恐頭角不全。雪竇云。我要不全底頭角。亦向句下便投機。石霜云。若還和尚即無也。雪竇云。犀牛児猶在。資福画一円相。於中書一牛字。為他承嗣仰山。平生愛以境致接人明此事。雪竇云。適来為什麼不将出。又穿他鼻孔了也。
書き下し
塩官一日侍者を喚ぶ、「我が与に犀牛の扇子を将ち来れ」。此の事は言句の上に在らずと雖も、且く人の平生の意気作略を験さんことを要す。又須らく此の如く言に藉りて顕すことを得べし。臘月三十日に於て力を著け得、主と作り得て、万境摐然たるも之を覩て動ぜず。無功の功、無力の力と謂ふべし。塩官は廼ち斉安禅師なり。古時犀牛の角を以て扇と為す。時に塩官豈に犀牛の扇子の破れたるを知らざらんや。故に侍者に問ふ。侍者云く、「扇子破れたり」。看よ他の古人、十二時中常に裏許に在りて撞著磕著す。塩官云く、「扇子既に破れたらば、我に犀牛児を還し来れ」。且く道へ、他犀牛児を要して什麼をか作す。也た只だ人の落処を知得するや也た無やを験さんことを要するのみ。投子云く、「将ち出すことを辞せず、恐らくは頭角全からざらん」。雪竇云く、「我は全からざる底の頭角を要す」。亦た句下に向いて便ち機に投ず。石霜云く、「若し和尚に還さば即ち無けん」。雪竇云く、「犀牛児猶ほ在り」。資福一円相を画き、中に於て一の牛の字を書す。他の仰山に承嗣するが為に、平生愛して境致を以て人に接し此の事を明かす。雪竇云く、「適来什麼としてか将ち出さざる」。又他の鼻孔を穿ち了れり。
現代語訳
塩官はある日侍者を呼び、「わしのために犀牛の扇子を持ってきなさい」と言った。この事は言葉の上にあるのではないが、ひとまず人の日ごろの気概と手腕を試そうとするのであり、またこのように言葉を借りて表さねばならない。臘月三十日、すなわち命の終わる時に力を発揮でき、主体となることができ、あらゆる境がどっと押し寄せてもそれを見て動じない。これを功なき功、力なき力と言うべきである。塩官とは斉安禅師のことである。昔は犀牛の角で扇を作った。塩官が犀牛の扇子の破れていることを知らなかったはずがない。だからこそ侍者に問うたのである。侍者は「扇子は破れました」と言った。見よ、この古人たちは一日中いつもその只中にいて、ぶつかり合っている。塩官は「扇子が破れたのなら、わしに犀牛の子を返してよこせ」と言った。さて言ってみよ、彼は犀牛の子を求めて何にしようというのか。ただ相手が落ち着きどころを知っているかどうかを試そうとしただけである。投子は「持ち出すのは厭いませんが、角が欠けているかもしれません」と言い、雪竇は「わしは欠けた角が欲しいのだ」と言った。これも言葉の下でぴたりと機に投じている。石霜は「和尚にお返しすれば、もう無くなってしまいます」と言い、雪竇は「犀牛の子はまだここにいる」と言った。資福は一つの円相を描いて中に牛の字を書いた。彼は仰山の法を継いでいるので、日ごろ好んで形あるもので人を導き、この事を明らかにしたのである。雪竇は「さっきはなぜ持ち出さなかったのか」と言った。これでまた彼の鼻に縄を通してしまった。
解説
この章句が説くこと
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