呻吟語 / 内篇・性命・君子の命は我に在り、小人の命も亦た我に在り
命本在天,君子之命在我,小人之命亦在我。君子以義處命,不以其道得之不處,命不足道也;小人以欲犯命,不可得而必欲得之,命不肯受也。但君子謂命在我,得天命之本然;小人謂命在我,幸氣數之或然。是以君子之心常泰,小人之心常勞。
新字:命本在天,君子之命在我,小人之命亦在我。君子以義処命,不以其道得之不処,命不足道也;小人以欲犯命,不可得而必欲得之,命不肯受也。但君子謂命在我,得天命之本然;小人謂命在我,幸気数之或然。是以君子之心常泰,小人之心常労。
書き下し
命は本と天に在り。君子の命は我に在り、小人の命も亦た我に在り。君子は義を以て命に處り、其の道を以てせずして之を得れば處らず、命は道ふに足らざるなり。小人は欲を以て命を犯し、得可からずして必ず之を得んと欲す、命は受くるを肯ぜざるなり。但だ君子の命我に在りと謂ふは、天命の本然を得るなり。小人の命我に在りと謂ふは、氣數の或然を幸ふなり。是を以て君子の心は常に泰かに、小人の心は常に勞す。
現代語訳
運命はもともと天にあります。しかし君子の運命は自分にあり、小人の運命もまた自分にあります。君子は義によって運命に対し、正しい道によらずに得たものには身を置きません。運命など言うに足りないのです。小人は欲によって運命を犯し、得られないものを必ず得ようとします。運命を受け入れようとしないのです。ただ君子が運命は自分にあると言うのは、天命の本来のあり方を得ているからです。小人が運命は自分にあると言うのは、めぐり合わせの偶然を当てにしているからです。ですから君子の心は常にゆったりとし、小人の心は常に苦労します。
解説
運命は自分次第だ、という同じ一言が、君子と小人で正反対の中身を持つことが示されます。君子は道によらないものを受け取らないという意味で自分に引き受け、小人は何としても手に入れるという意味で自分に引き寄せる。同じ主体性の言葉が、受け取らない力にも奪い取る力にもなるわけです。そして結果が心の状態に現れる。ゆったりと、苦労する、と。
この章句が説くこと
命主体義欲区別心境
関連する章句
-
論語・衛霊公篇子曰く、人能く道を弘む。道人を弘むるに非ず。
-
『武士道』第十六章 武士道の命脈・日本の改新は全く自生した其の初、夢裏桃源の国を開きて海外諸国と通商し、生活の各方面に最新の発明を輸入し、泰西の政治、科学の研究に着手したる時、主として吾人を指導したる動機は、物質的財源の発達にも非らず、富力の増大にも非らず、いわんや泰西習俗の心酔踏襲にも非らざりしをや。東洋の制度民族を精察せるタウンゼンド氏は曰く、『吾人は日常、欧洲の日本を感化したることを聞きて、而して此島国の改新は全く自生し、欧洲は日本を教へず、日本は任意、欧洲に於ける文武制度の組織を学びて多大の功を成したるものなるを忘る。日本はあたかも先に土耳古が欧洲の砲術を輸入したる如くに、欧洲の機械、学術を輸入したり。されど英国の支那茶を購買するによりて感化せらるることあるにあらざるよりは、又た彼を目して感化なりと称するを得ず』と。
-
『呻吟語』外篇・天地・乃ち時物を變ずるのみ七十二候を觀る者は、物時を知ると謂ふ。非なり。乃ち時物を變ずるのみ。
-
論語・子罕篇子曰く、譬えば山を為るが如し。未だ一簣を成さずして止むも、吾が止むなり。譬えば地を平らかにするが如し。一簣を覆すと雖も、進むは吾が往くなり。
-
『呻吟語』内篇・談道・我盛んなれば萬物皆な我が用と為る我盛んなれば則ち萬物皆な我が用と為り、我衰ふれば則ち萬物皆な我が病と為る。盛衰勝負は、宇宙の內只だ一個の消息有るのみ。
-
『淮南子』氾論訓今 道を知らざる者は、柔懦なる者の侵さるるを見れば、則ち矜りて剛毅と爲す。剛毅なる者の亡ぶるを見れば、則ち矜りて柔懦と爲す。此れ本より中に主無くして、見聞 外に舛馳する者なり。故に終身にして定まり趨く所無し。譬うれば猶お音を知らざる者の歌うがごときなり。之を濁くすれば則ち鬱して轉ずる無く、之を清くすれば則ち燋げて謳わず。韓娥・秦青・薛談の謳、侯同・曼聲の歌に至るに及びては、志に憤り、内に積み、盈ちて音を發す。則ち律に比して人心に和せざる莫し。何となれば則ち、中に本主有りて以て清濁を定め、外に受けずして自ら儀表を爲せばなり。