碧巌録 / 第八十六則
雲門室中垂語接人。爾等諸人脚跟下。各各有一段光明。輝騰今古逈絕見知。雖然光明。恰到問著又不會。豈不是暗昏昏地。二十年垂示。都無人會他意。香林後來請代語。門云。厨庫三門。又云。好事不如無。尋常代語只一句。為什麼這裏却兩句。前頭一句為爾略開一線路教爾見。若是箇漢。聊聞舉著剔起便行。他怕人滯在此。又云。好事不如無。依前與爾掃却。如今人纔聞舉著光明。便去瞠眼云。那裏是厨庫。那裏是三門。且得沒交涉。所以道。識取鉤頭意。莫認定盤星。此事不在眼上。亦不在境上。須是絕知見忘得失。淨裸裸赤灑灑。各各當人分上究取始得。
新字:雲門室中垂語接人。爾等諸人脚跟下。各各有一段光明。輝騰今古逈絶見知。雖然光明。恰到問著又不会。豈不是暗昏昏地。二十年垂示。都無人会他意。香林後来請代語。門云。厨庫三門。又云。好事不如無。尋常代語只一句。為什麼這裏却両句。前頭一句為爾略開一線路教爾見。若是箇漢。聊聞舉著剔起便行。他怕人滞在此。又云。好事不如無。依前与爾掃却。如今人纔聞舉著光明。便去瞠眼云。那裏是厨庫。那裏是三門。且得没交渉。所以道。識取鉤頭意。莫認定盤星。此事不在眼上。亦不在境上。須是絶知見忘得失。浄裸裸赤灑灑。各各当人分上究取始得。
書き下し
雲門、室中に垂語して人に接す。爾等諸人の脚跟下に、各各一段の光明有り、今古に輝騰して、逈かに見知を絶す。光明なりと雖も、恰も問著するに到つては又た会せず、豈に是れ暗昏昏地ならずや。二十年垂示すれども、都て人の他の意を会する無し。香林、後来代語を請ふ。門云く、「厨庫三門」。又た云く、「好事も無きには如かず」。尋常の代語は只だ一句なり、什麼と為てか這裏には却つて両句なる。前頭の一句は爾が為に略ぼ一線の路を開いて爾をして見せしむ。若し是れ箇の漢ならば、聊か挙著するを聞いて、剔起して便ち行かん。他は人の此に滞在せんことを怕れて、又た云く、「好事も無きには如かず」と。依前として爾が与に掃却す。如今の人、纔かに光明を挙著するを聞いて、便ち去いて眼を瞠りて云く、「那裏か是れ厨庫、那裏か是れ三門」と。且く没交渉なることを得たり。所以に道ふ、「鉤頭の意を識取せよ、定盤星を認むること莫れ」と。此の事は眼上に在らず、亦た境上に在らず。須らく是れ知見を絶し得失を忘れ、浄裸裸、赤灑灑として、各各当人の分上に究取して始めて得べし。
現代語訳
雲門は室内で垂語して人を導いた。君たち一人一人の足もとには、それぞれ一筋の光明があり、古今に輝きわたって、見ること知ることをはるかに超えている。光明ではあるが、いざ問われると分からない。真っ暗ではないか。二十年も垂示したが、誰ひとり雲門の意を会得しなかった。後に香林が代わりの言葉を請うと、雲門は「台所と山門」と言い、さらに「良い事も無いに越したことはない」と言った。ふつう代語は一句だけなのに、なぜここでは二句なのか。前の一句は、君たちのためにほぼ一筋の道を開いて見せてやったのだ。ひとかどの男なら、取り上げられるのを聞いたとたん、ぱっと跳ね起きて行くだろう。雲門は人がそこに滞るのを恐れて、さらに「良い事も無いに越したことはない」と言い、やはり君たちのために掃き払ってやった。いまの人は光明を取り上げるのを聞くやいなや、目を見開いて「どこが台所で、どこが山門か」と言う。まるで関わりがない。だから「秤の鉤の意を知れ、目盛りの星を見誤るな」と言うのである。この事は眼の上にあるのでもなく、対象の上にあるのでもない。見ること知ることを絶ち、得失を忘れ、すっかり裸にむき出しになって、それぞれ自分自身の身の上で究めてこそよい。
解説
この章句が説くこと
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