碧巌録 / 第八十六則
雲門云。日裏來往日裏辨人。忽然半夜無日月燈光。曾到處則故是。未曾到處取一件物。還取得麼。參同契云。當明中有暗。勿以暗相覩。當暗中有明。勿以明相遇。若坐斷明暗。且道是箇什麼。所以道。心花發明。照十方剎。盤山云。光非照境。境亦非存。光境俱忘。復是何物。又云。即此見聞非見聞。無餘聲色可呈君。箇中若了全無事。體用何妨分不分。但會取末後一句了。却去前頭游戲。畢竟不在裏頭作活計。古人道。以無住本。立一切法。不得去這裏弄光影弄精魂。又不得作無事會。古人道。寧可起有見如須彌山。不可起無見如芥子許。二乘人多偏墜此見。雪竇頌云。
新字:雲門云。日裏来往日裏弁人。忽然半夜無日月灯光。曽到処則故是。未曽到処取一件物。還取得麼。参同契云。当明中有暗。勿以暗相睹。当暗中有明。勿以明相遇。若坐断明暗。且道是箇什麼。所以道。心花発明。照十方刹。盤山云。光非照境。境亦非存。光境倶忘。復是何物。又云。即此見聞非見聞。無余声色可呈君。箇中若了全無事。体用何妨分不分。但会取末後一句了。却去前頭游戯。畢竟不在裏頭作活計。古人道。以無住本。立一切法。不得去這裏弄光影弄精魂。又不得作無事会。古人道。寧可起有見如須弥山。不可起無見如芥子許。二乗人多偏墜此見。雪竇頌云。
書き下し
雲門云く、「日裏に来往し、日裏に人を辨ず。忽然として半夜に日月燈光無からんに、曾て到る処は則ち故より是なり、未だ曾て到らざる処にて一件の物を取らば、還た取り得んや」と。参同契に云く、「明中に当たつて暗有り、暗相を以て覩ること勿れ。暗中に当たつて明有り、明相を以て遇ふこと勿れ」と。若し明暗を坐断せば、且く道へ、是れ箇の什麼ぞ。所以に道ふ、「心花発明して十方刹を照らす」と。盤山云く、「光は境を照らすに非ず、境も亦た存するに非ず。光境俱に忘ず、復た是れ何物ぞ」と。又た云く、「即ち此の見聞は見聞に非ず、余の声色の君に呈す可き無し。箇中若し了ずれば全く無事、体用何ぞ分と不分とを妨げん」と。但だ末後の一句を会取し了らば、却つて前頭に去いて遊戯せよ。畢竟裏頭に在つて活計を作さず。古人道ふ、「無住の本を以て一切法を立つ」と。這裏に去いて光影を弄し精魂を弄することを得ざれ。又た無事の会を作すことを得ざれ。古人道ふ、「寧ろ有見を起こすこと須弥山の如くなる可きも、無見を起こすこと芥子許りの如くなる可からず」と。二乗の人、多く偏へに此の見に墜つ。雪竇頌して云く、
現代語訳
雲門は言った。「昼の間は行き来し、昼の間は人を見分ける。もし真夜中に日も月も灯火もなかったら、行ったことのある処ならもとより良いが、行ったことのない処で一つの物を取ろうとしたら、取れるだろうか」。『参同契』に言う。「明るさの中に暗さがある。暗さの相で見てはならない。暗さの中に明るさがある。明るさの相で出会ってはならない」。もし明と暗とをどっかと断ち切ったら、さあ言ってみよ、それは何か。だから「心の花がひらいて、十方の国土を照らす」と言う。盤山は言った。「光が対象を照らすのではなく、対象もまた存在しない。光も対象もともに忘れたら、それはいったい何か」。また言った。「この見聞きすることこそ見聞きではない。君に差し出せる声や色は他にない。ここで分かれば全く無事であり、本体とはたらきを分けようが分けまいがかまわない」。ただ最後の一句を会得したら、かえって前のほうへ行って遊べ。結局、その内側にこもって暮らしを立てることはしない。古人は「住するところのない本によって一切の法を立てる」と言った。ここで光の影をもてあそび、魂をもてあそんではならない。また無事だと理解してもならない。古人は「有の見を須弥山ほど起こしてもよいが、無の見を芥子粒ほども起こしてはならない」と言った。声聞・縁覚の二乗の人の多くは、ひたすらこの見に落ちる。雪竇は頌して言う。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第八十六則自ら照らして孤明を列ね、君が為に一線を通ず。花謝して樹に影無し、看る時誰か見ざる。見るも見ず、倒に牛に騎つて仏殿に入る。自ら照らして孤明を列ぬとは、自家の脚跟下に本と此の一段の光明有り、只だ是れ尋常用ゐ得て暗し。所以に雲門大師、爾が与に此の光明を羅列して爾が面前に在らしむ。且く作麼生か是れ諸人の光明。厨庫三門。此れは是れ雲門の孤明を列ぬる処なり。盤山道ふ、「心月孤り円かにして、光万像を呑む」と。這箇便ち是れ真常独露なり。然る後に君が与に一線を通ず。亦た人の厨庫三門の処に著在せんことを怕る。厨庫三門は則ち且く従却す。朝花も亦た謝し、樹も亦た影無く、日も又た落ち、月も又た暗く、尽乾坤大地、黒漫漫地なり。諸人還た見るや。看る時誰か見ざる。且く道へ、是れ誰か見ざる。這裏に到つて、明中に当たつて暗有り、暗中に明有り、皆な前後の歩の如く自ら見る可し。雪竇道ふ、「見るも見ず」と。「好事も無きには如かず」を頌す。合に見るべくして又た見ず、合に明らかなるべくして又た明らかならず。倒に牛に騎つて仏殿に入る、黒漆桶裏に入り去るなり。須らく是れ爾自ら牛に騎つて仏殿に入り、看て道ふべし、是れ箇の什麼の道理ぞと。
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『碧巌録』第九十則他の古人の答処、許多の事無し。他は只だ其の意を借りて般若の光に答ふるなり。然も恁麼なりと雖も、他の意は言句上に在らず。自ら是れ後人、言句上に去いて活計を作す。見ずや、盤山道ふ、「心月孤り円かにして、光万象を呑む。光は境を照らすに非ず、境も亦た存するに非ず。光境俱に亡ず、復た是れ何物ぞ」と。如今の人、但だ眼を瞠りて喚んで光と作し、只だ情上に去いて解を生じ、空裏に橛を釘つ。古人道ふ、「汝等諸人、六根の門頭、昼夜に大光明を放ち、山河大地を照破す」と。只だ眼根の光を放つに止まらず、鼻舌身意も亦た皆な光を放つ。這裏に到つて、直に須らく六根を打畳して、下に一星の事も無く、浄裸裸、赤灑灑地にして、方に此の話の落処を見るべし。雪竇正に恁麼に頌出す。
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『碧巌録』第八十六則雲門、室中に垂語して人に接す。爾等諸人の脚跟下に、各各一段の光明有り、今古に輝騰して、逈かに見知を絶す。光明なりと雖も、恰も問著するに到つては又た会せず、豈に是れ暗昏昏地ならずや。二十年垂示すれども、都て人の他の意を会する無し。香林、後来代語を請ふ。門云く、「厨庫三門」。又た云く、「好事も無きには如かず」。尋常の代語は只だ一句なり、什麼と為てか這裏には却つて両句なる。前頭の一句は爾が為に略ぼ一線の路を開いて爾をして見せしむ。若し是れ箇の漢ならば、聊か挙著するを聞いて、剔起して便ち行かん。他は人の此に滞在せんことを怕れて、又た云く、「好事も無きには如かず」と。依前として爾が与に掃却す。如今の人、纔かに光明を挙著するを聞いて、便ち去いて眼を瞠りて云く、「那裏か是れ厨庫、那裏か是れ三門」と。且く没交渉なることを得たり。所以に道ふ、「鉤頭の意を識取せよ、定盤星を認むること莫れ」と。此の事は眼上に在らず、亦た境上に在らず。須らく是れ知見を絶し得失を忘れ、浄裸裸、赤灑灑として、各各当人の分上に究取して始めて得べし。
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『碧巌録』第六十二則看よ看よ、古岸何人か釣竿を把る。雲は冉冉、水は漫漫、明月蘆花君自ら看よ。若し雲門の語を識得せば、便ち雪竇の人の為にする処を見ん。他は雲門の示衆の後面の両句に向かつて、便ち爾が与に箇の注脚を下して云く、「看よ看よ」と。爾便ち瞠眉瞠眼の会を作さば、且く没交渉なることを得たり。古人道ふ、「霊光独り耀き、逈かに根塵を脱す。体真常を露はし、文字に拘はらず。心性は染無く、本自ら円成す。但だ妄縁を離るれば、即ち如如仏なり」と。若し只だ瞠眉努眼の処に向かつて坐殺せば、豈に能く根塵を脱得せんや。雪竇道ふ、「看よ看よ」と。雲門は古岸に在りて釣竿を把るが如く相似たり。雲は又冉冉、水は又漫漫、明月蘆花に映じ、蘆花明月に映ず。正当恁麼の時、且く道へ是れ何の境界ぞ。若し便ち直下に見得せば、前後只だ是れ一句に相似たり。瞠。
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『碧巌録』第八十六則挙す。雲門垂語して云く、「人人尽く光明の在る有り、看る時見えずして暗昏昏。作麼生か是れ諸人の光明」。自ら代はりて云く、「厨庫三門」。又た云く、「好事も無きには如かず」。
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『碧巌録』第二十一則「仏未だ出世せざる時如何」、「牛頭未だ四祖に見えざる時如何」、「斑石内に混沌未だ分かれざる時如何」、「父母未生の時如何」と問ふ。雲門道ふ、「古より今に至るまで、只だ是れ一段の事なり。是無く非無く、得無く失無く、生と未生と無し」と。古人這裏に到って、一綫の道を放って、出有り入有り。若し是れ未了底の人ならば、籬を扶け壁を摸し、草に依り木に附く。或いは他をして放下せしむれば、又莽莽蕩蕩として荒然たる処に打入し去る。若し是れ得底の人ならば、二六時中、一物にも依倚せず。一物にも依倚せずと雖も、若し一機一境を露はさば、作麼生か他を摸索せん。這の僧問うて道ふ、「蓮花未だ水を出でざる時如何」。智門云く、「蓮花」。便ち只だ攔問一答す、妨げず奇特なることを。諸方皆之を顛倒語と謂ふ。那裏か此の如くならん。見ずや、巌頭道ふ、「常に未だ口を開かざる已前を貴ぶ」と。猶ほ些子に較れり。古人機を露はす処、已に是れ漏逗し了れり。如今の学者、古人の意を省みず、只管に去って水を出づると未だ水を出でざるとを理論す、什麼の交渉か有らん。見ずや、僧、智門に問ふ、「如何なるか是れ般若の体」。門云く、「蚌、明月を含む」。僧云く、「如何なるか是れ般若の用」。門云く、「兎子懐胎す」。看よ、他の此の如く対答するを。天下の人、他の語脈を討ね得ず。或いは人有りて夾山に問うて道はん、「蓮花未だ水を出でざる時如何」。只だ他に対して道はん、「露柱燈籠」と。且く道へ、蓮花と是れ同か是れ別か。「水を出でて後如何」。他に対して道はん、「杖頭に日月を挑げ、脚下太だ泥深し」と。爾且く道へ、是か不是か。且く定盤星を錯認すること莫れ。雪竇忒殺だ慈悲にして、人の情解を打破す。所以に頌出す。
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