碧巌録 / 第八十二則
此事若向言語上覓。一如掉棒打月。且得沒交涉。古人分明道。欲得親切。莫將問來問。何故問在答處。答在問處。這僧擔一檐莽鹵。換一檐鶻突。致箇問端。敗缺不少。若不是大龍。爭得蓋天蓋地。他恁麼問。大龍恁麼答。一合相。更不移易一絲毫頭。一似見兔放鷹。看孔著楔。三乘十二分教。還有這箇時節麼。也不妨奇特。只是言語無味。杜塞人口。是故道。一片白雲橫谷口。幾多歸鳥夜迷巢。有者道。只是信口答將去。若恁麼會。盡是滅胡種族漢。殊不知。古人一機一境。敲枷打鎖。一句一言。渾金璞玉。若是衲僧眼腦。有時把住。有時放行。照用同時。人境俱奪。雙放雙收。臨時通變。
新字:此事若向言語上覓。一如掉棒打月。且得没交渉。古人分明道。欲得親切。莫将問来問。何故問在答処。答在問処。這僧担一檐莽鹵。換一檐鶻突。致箇問端。敗欠不少。若不是大竜。争得蓋天蓋地。他恁麼問。大竜恁麼答。一合相。更不移易一糸毫頭。一似見兔放鷹。看孔著楔。三乗十二分教。還有這箇時節麼。也不妨奇特。只是言語無味。杜塞人口。是故道。一片白雲横谷口。幾多帰鳥夜迷巣。有者道。只是信口答将去。若恁麼会。尽是滅胡種族漢。殊不知。古人一機一境。敲枷打鎖。一句一言。渾金璞玉。若是衲僧眼脳。有時把住。有時放行。照用同時。人境倶奪。双放双収。臨時通変。
書き下し
此の事、若し言語上に向つて覓めば、一に棒を掉つて月を打つが如し、且く没交渉なることを得ん。古人分明に道ふ、「親切なることを得んと欲せば、問を将ち来つて問ふこと莫れ」と。何が故ぞ。問は答処に在り、答は問処に在り。這の僧、一檐の莽鹵を担ひて、一檐の鶻突に換へ、箇の問端を致す、敗缺少なからず。若し是れ大龍にあらずんば、争でか天を蓋ひ地を蓋ふことを得ん。他恁麼に問ひ、大龍恁麼に答ふ、一合相にして、更に一糸毫頭をも移易せず。一に兔を見て鷹を放ち、孔を看て楔を著くるに似たり。三乗十二分教に、還た這箇の時節有りや。也た妨げず奇特なることを。只だ是れ言語味無くして、人の口を杜塞す。是の故に道ふ、「一片の白雲谷口に横たはり、幾多の帰鳥か夜巣に迷ふ」と。有る者は道ふ、只だ是れ口に信せて答へ将ち去ると。若し恁麼に会せば、尽く是れ胡の種族を滅する漢なり。殊に知らず、古人の一機一境は枷を敲き鎖を打し、一句一言は渾金璞玉なることを。若し是れ衲僧の眼脳ならば、有る時は把住し、有る時は放行し、照用同時、人境俱に奪ひ、双放双収、時に臨んで通変す。
現代語訳
この事を言葉の上で求めるなら、まるで棒を振り回して月を打とうとするようなもので、まるで関わりがない。古人ははっきり言っている。「親しく手にしたいなら、問いを持ち出して問うな」と。なぜか。問いは答えの処にあり、答えは問いの処にあるからだ。この僧は、ひと荷のがさつさを担いで、ひと荷のうやむやと取り替え、この問いを持ち出したのだから、しくじりは少なくない。もし大龍でなかったら、どうして天を覆い地を覆うような答えができたろう。僧がこう問い、大龍がこう答える。ぴたりと一つに合って、毛筋ほども動かない。まるで兎を見て鷹を放ち、穴を見て楔を打ち込むようなものだ。三乗十二分教の経典の中に、こんな場面がまたとあろうか。実に見事である。ただ言葉には味がなく、人の口をふさいでしまう。だから「一片の白雲が谷の入口に横たわり、どれほどの鳥が夜、巣に帰る道に迷うことか」と言うのだ。ある者は、ただ口から出まかせに答えただけだと言う。そう理解するなら、みな禅の血筋を絶やす者である。古人の一つのはたらき一つの境地は、首枷を叩き鎖を打ち砕くものであり、一句一言はまじり気のない金、磨かぬ玉であることをまるで知らないのだ。禅僧の眼であれば、ある時は押さえ込み、ある時は放ち、照らすこととはたらくことが同時で、人も境もともに奪い、ともに放ちともに収め、その時その場に応じて自在に変化する。
解説
この章句が説くこと
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