碧巌録 / 第八十一則
這公案。洞下謂之借事問。亦謂之辨主問。用明當機。鹿與麈尋常易射。唯有麈中麈。是鹿中之王。最是難射。此麈鹿常於崖石上利其角。如鋒鋩頴利。以身護惜群鹿。虎亦不能近傍。這僧亦似惺惺。引來問藥山。用明第一機。山云。看箭。作家宗師。不妨奇特。如擊石火。似閃電光。豈不見。三平初參石鞏。鞏才見來。便作彎弓勢云。看箭。三平撥開胸云。此是殺人箭活人箭。鞏彈弓弦三下。三平便禮拜。鞏云。三十年。一張弓兩隻箭。今日只射得半箇聖人。便拗折弓箭。三平後舉似大顛。顛云。既是活人箭。為什麼向弓弦上辨。三平無語。顛云。三十年後。要人舉此話。也難得。法燈有頌云。古有石鞏師。架弓矢而坐。如是三十年。知音無一箇。三平中的來。父子相投和。子細返思量。元伊是射垛。
新字:這公案。洞下謂之借事問。亦謂之弁主問。用明当機。鹿与麈尋常易射。唯有麈中麈。是鹿中之王。最是難射。此麈鹿常於崖石上利其角。如鋒鋩頴利。以身護惜群鹿。虎亦不能近傍。這僧亦似惺惺。引来問薬山。用明第一機。山云。看箭。作家宗師。不妨奇特。如撃石火。似閃電光。豈不見。三平初参石鞏。鞏才見来。便作彎弓勢云。看箭。三平撥開胸云。此是殺人箭活人箭。鞏弾弓弦三下。三平便礼拝。鞏云。三十年。一張弓両隻箭。今日只射得半箇聖人。便拗折弓箭。三平後舉似大顛。顛云。既是活人箭。為什麼向弓弦上弁。三平無語。顛云。三十年後。要人舉此話。也難得。法灯有頌云。古有石鞏師。架弓矢而坐。如是三十年。知音無一箇。三平中的来。父子相投和。子細返思量。元伊是射垛。
書き下し
這の公案、洞下には之を借事問と謂ひ、亦た之を辨主問と謂ふ。用ひて当機を明かす。鹿と麈とは尋常射易し。唯だ麈中の麈有り、是れ鹿中の王なり、最も是れ射難し。此の麈鹿、常に崖石の上に於て其の角を利ぎ、鋒鋩の如く頴利なり。身を以て群鹿を護惜し、虎も亦た近傍すること能はず。這の僧も亦た惺惺に似て、引き来つて藥山に問ひ、用ひて第一機を明かす。山云く、「箭を看よ」。作家の宗師、妨げず奇特なることを。石火を撃つが如く、閃電光に似たり。豈に見ずや、三平初め石鞏に参ず。鞏、纔かに来るを見て、便ち弓を彎く勢を作して云く、「箭を看よ」。三平、胸を撥開して云く、「此は是れ殺人箭か、活人箭か」。鞏、弓弦を弾くこと三下す。三平便ち礼拝す。鞏云く、「三十年、一張の弓、両隻の箭、今日只だ半箇の聖人を射得たり」と。便ち弓箭を拗折す。三平後に大顛に挙似す。顛云く、「既に是れ活人箭ならば、什麼と為てか弓弦上に向つて辨ずる」。三平無語。顛云く、「三十年後、人の此の話を挙せんことを要すとも、也た得難し」。法燈に頌有りて云く、「古へ石鞏師有り、弓矢を架して坐す。是の如くすること三十年、知音一箇も無し。三平的に中り来り、父子相ひ投和す。子細に返つて思量すれば、元と伊は是れ射垛なり」。
現代語訳
この公案を、洞山の門下では借事問、また辨主問と呼ぶ。事物を借りて問い、その場のはたらきを明らかにするのである。鹿や大鹿は普通なら射やすい。ただ麈中の麈だけは鹿の中の王であり、最も射にくい。この大鹿はいつも崖の岩で角を研ぎ、切っ先のように鋭い。身をもって群れを守り、虎さえ近寄れない。この僧もなかなか目覚めた者らしく、この話を持ち出して藥山に問い、第一の機を明らかにしようとした。藥山は「矢を看よ」と言った。さすがは腕利きの師家、実に見事である。火打ち石の火花のよう、稲妻の光のようだ。知らないか、三平が初めて石鞏に参じたとき、石鞏は来るのを見るや弓を引き絞る構えで「矢を看よ」と言った。三平は胸をはだけて「これは人を殺す矢か、生かす矢か」と言った。石鞏は弦を三度はじいた。三平はすぐ礼拝した。石鞏は「三十年、一張の弓と二本の矢で、今日やっと半人前の聖人を射止めた」と言って、弓矢をへし折った。三平は後にこれを大顛に話した。大顛は「生かす矢だというなら、なぜ弓弦の上で見分けようとしたのか」と言った。三平は答えられなかった。大顛は「三十年後、人にこの話を取り上げさせようとしても、難しかろう」と言った。法燈に頌がある。「昔、石鞏という師がいて、弓矢をつがえて坐っていた。こうして三十年、知音は一人もいなかった。三平が来て的に当たり、父子は互いにぴたりと合った。だがよくよく思い返せば、もともと彼のほうこそ射られる的だったのだ」。
解説
この章句が説くこと
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