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碧巌録 / 第八十一則

石鞏作略。與藥山一般。三平頂門具眼。向一句下便中的。一似藥山道看箭。其僧便作麈放身倒。這僧也似作家。只是有頭無尾。既做圈繢要陷藥山。爭奈藥山是作家。一向逼將去。山云。侍者拕出這死漢。如展陣向前相似。其僧便走也好。是則是。爭奈不脫灑。粘脚粘手。所以藥山云。弄泥團漢有什麼限。藥山當時。若無後語。千古之下遭人檢點。山云。看箭。這僧便倒。且道。是會是不會。若道是會。藥山因什麼。却恁麼道。弄泥團漢。這箇最惡。正似僧問德山。學人仗鏌鎁劍。擬取師頭時如何。山引頸近前云。[囗@力]。僧云。師頭落也。德山低頭歸方丈。又巖頭問僧。什麼處來。僧云。西京來。巖頭云。黃巢過後。曾收得劍麼。僧云。收得。巖頭引頸。近前云。[囗@力]。僧云。師頭落也。巖頭呵呵大笑。這般公案。都是陷虎之機。正類此。恰是藥山不管他。只為識得破。只管逼將去。雪竇云。這僧三步雖活。五步須死。這僧雖甚解看箭。便放身倒。山云。侍者拕出這死漢。僧便走。雪竇道。只恐三步外不活。當時若跳出五步外。天下人便不奈他何。作家相見。須是賓主始終互換。無有間斷。方有自由自在分。這僧當時既不能始終。所以遭雪竇檢點。後面亦自用他語。頌云。

新字:石鞏作略。与薬山一般。三平頂門具眼。向一句下便中的。一似薬山道看箭。其僧便作麈放身倒。這僧也似作家。只是有頭無尾。既做圏繢要陥薬山。争奈薬山是作家。一向逼将去。山云。侍者拕出這死漢。如展陣向前相似。其僧便走也好。是則是。争奈不脱灑。粘脚粘手。所以薬山云。弄泥団漢有什麼限。薬山当時。若無後語。千古之下遭人検点。山云。看箭。這僧便倒。且道。是会是不会。若道是会。薬山因什麼。却恁麼道。弄泥団漢。這箇最悪。正似僧問徳山。学人仗鏌鎁剣。擬取師頭時如何。山引頸近前云。[囗@力]。僧云。師頭落也。徳山低頭帰方丈。又巖頭問僧。什麼処来。僧云。西京来。巖頭云。黄巣過後。曽収得剣麼。僧云。収得。巖頭引頸。近前云。[囗@力]。僧云。師頭落也。巖頭呵呵大笑。這般公案。都是陥虎之機。正類此。恰是薬山不管他。只為識得破。只管逼将去。雪竇云。這僧三歩雖活。五歩須死。這僧雖甚解看箭。便放身倒。山云。侍者拕出這死漢。僧便走。雪竇道。只恐三歩外不活。当時若跳出五歩外。天下人便不奈他何。作家相見。須是賓主始終互換。無有間断。方有自由自在分。這僧当時既不能始終。所以遭雪竇検点。後面亦自用他語。頌云。

書き下し

石鞏の作略、藥山と一般なり。三平、頂門に眼を具し、一句下に向つて便ち的に中る。一に藥山の「箭を看よ」と道ふに似たり。其の僧、便ち麈と作つて身を放ちて倒る。這の僧も也た作家に似たり、只だ是れ頭有りて尾無し。既に圏繢を做して藥山を陥れんと要す、争奈せん藥山は是れ作家なることを。一向に逼り将ち去る。山云く、「侍者、這の死漢を拕き出せ」。陣を展べて前に向ふが如く相似たり。其の僧便ち走る、也た好し。是なることは則ち是なれども、争奈せん脱灑ならず、脚に粘し手に粘す。所以に藥山云く、「泥団を弄する漢、什麼の限りか有らん」。藥山当時、若し後語無くんば、千古の下、人の検点に遭はん。山云く、「箭を看よ」、這の僧便ち倒る。且く道へ、是れ会すとや、是れ会せずとや。若し是れ会すと道はば、藥山什麼に因つてか却つて恁麼に「泥団を弄する漢」と道ふ。這箇最も悪し。正に僧の徳山に問ふに似たり、「学人、鏌鎁の剣に仗りて師の頭を取らんと擬する時如何」。山、頸を引きて近前して云く、「[囗@力]」。僧云く、「師の頭落ちぬ」。徳山、頭を低れて方丈に帰る。又た巌頭、僧に問ふ、「什麼の処よりか来る」。僧云く、「西京より来る」。巌頭云く、「黄巣過ぎて後、曾て剣を収得すや」。僧云く、「収得す」。巌頭、頸を引き近前して云く、「[囗@力]」。僧云く、「師の頭落ちぬ」。巌頭呵呵大笑す。這般の公案、都て是れ陥虎の機なり、正に此に類す。恰も是れ藥山、他を管せず、只だ識得破するが為に、只管に逼り将ち去る。雪竇云く、「這の僧、三歩は活なりと雖も、五歩にして須らく死すべし」。這の僧、甚だ箭を看ることを解すと雖も、便ち身を放ちて倒る。山云く、「侍者、這の死漢を拕き出せ」。僧便ち走る。雪竇道ふ、「只だ恐らくは三歩の外は活きざらん」。当時若し五歩の外に跳び出でば、天下の人便ち他を奈何ともせじ。作家相見するには、須らく是れ賓主始終互換して、間断有ること無かるべし、方に自由自在の分有り。這の僧、当時既に始終すること能はず、所以に雪竇の検点に遭ふ。後面亦た自ら他の語を用ふ。頌に云く、

現代語訳

石鞏のやり方は藥山と同じである。三平は頭頂に眼を備えていたから、一句のもとでたちまち的に当たった。それはちょうど藥山が「矢を看よ」と言ったのと同じだ。この僧はすぐさま大鹿になりきって身を投げて倒れた。この僧もなかなかの手練れに見えるが、頭はあっても尾がない。罠を仕掛けて藥山を陥れようとしたが、あいにく藥山は手練れであったから、どこまでも追い詰めていった。藥山は「侍者よ、この死人を引きずり出せ」と言った。まるで陣を敷いて前進するようである。僧がそこで走ったのも悪くはない。悪くはないが、さっぱりと抜け出せず、手足にねばりついている。だから藥山は「泥団子をこねる男め、きりがない」と言った。もし藥山にこの後の一言がなかったら、千年後まで人に咎められたであろう。藥山が「矢を看よ」と言うと僧は倒れた。さあ言ってみよ、これは分かっているのか、分かっていないのか。分かっていると言うなら、藥山はなぜ逆に「泥団子をこねる男」などと言ったのか。ここが最もたちが悪い。ちょうど僧が徳山に「わたしが名剣鏌鎁を手に師の首を取ろうとしたらどうなさいますか」と問うたのに似ている。徳山は首を差し出して進み寄り「カッ」と言った。僧が「師の首が落ちました」と言うと、徳山はうなだれて方丈に帰った。また巌頭が僧に「どこから来たか」と問うと、僧は「西京からです」と言った。巌頭が「黄巣の乱の後、剣を拾ったか」と言うと、僧は「拾いました」と言った。巌頭は首を差し出して進み寄り「カッ」と言った。僧が「師の首が落ちました」と言うと、巌頭は呵々大笑した。こうした公案はみな虎を陥れる仕掛けであり、まさにこれと同類である。藥山は相手にかまわず、ただ見抜いていたから、ひたすら追い詰めたのである。雪竇は「この僧は三歩までは生きていたが、五歩目にはきっと死ぬ」と言った。この僧は矢を看るということはよく心得て、すぐ身を投げて倒れた。藥山が「侍者よ、この死人を引きずり出せ」と言うと、僧はすぐ走った。雪竇は「三歩の外では生きていられまい」と言うのである。もしあの時五歩の外へ跳び出していたなら、天下の誰も彼をどうすることもできなかったろう。手練れ同士が見えるには、客と主とが始めから終わりまで入れ替わり、途切れることがあってはならない。そうしてこそ自由自在の分がある。この僧はあの時、始めから終わりまで貫けなかったから、雪竇に咎められたのである。後の頌でも雪竇はやはり自分のこの言葉を用いている。頌に言う。

解説

圜悟の本則評唱の後半である。僧は罠を仕掛けて藥山を陥れようとしたが、頭はあっても尾がなかったと圜悟は評する。徳山や巌頭が首を差し出して「師の頭が落ちた」と言わせた話を並べ、これらはみな虎を陥れる仕掛けだと見る。要点は、作家同士の応酬では賓主が始めから終わりまで入れ替わり続け、途切れてはならないという一句にある。僧は二手目までは見事でも、そこで型が尽きた。準備した答えで一度は切り返せても、相手がさらに踏み込めば地金が出る。対話を最後まで生きたものに保つ持久力こそ、自由自在の条件なのである。

この章句が説くこと

公案賓主自由機鋒修行有頭無尾

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