碧巌録 / 第七十九則
末後頌這僧道。可憐無限弄潮人。這僧敢攙旗奪鼓道。和尚莫[尸@豖]沸碗鳴聲。又道喚和尚作一頭驢得麼。此便是弄潮處。這僧做盡伎倆。依前死在投子句中。投子便打。此僧便是畢竟還落潮中死。雪竇出這僧云。忽然活便與掀倒禪床。投子也須倒退三千里。直得百川倒流閙活活。非唯禪床震動。亦乃山川岌崿。天地陡暗。苟或箇箇如此。山僧且打退鼓。諸人向什麼處。安身立命 岌 崿。
新字:末後頌這僧道。可憐無限弄潮人。這僧敢攙旗奪鼓道。和尚莫[尸@豖]沸碗鳴声。又道喚和尚作一頭驢得麼。此便是弄潮処。這僧做尽伎倆。依前死在投子句中。投子便打。此僧便是畢竟還落潮中死。雪竇出這僧云。忽然活便与掀倒禅床。投子也須倒退三千里。直得百川倒流閙活活。非唯禅床震動。亦乃山川岌崿。天地陡暗。苟或箇箇如此。山僧且打退鼓。諸人向什麼処。安身立命 岌 崿。
書き下し
末後に這の僧を頌して道ふ、「憐れむべし無限の弄潮の人」と。這の僧敢へて旗を攙り鼓を奪つて道ふ、「和尚、沸碗鳴声を屎ること莫れ」と。又た道ふ、「和尚を喚んで一頭の驢と作し得んや」と。此れ便ち是れ潮を弄する処なり。這の僧伎倆を做し尽くして、依前として投子の句中に死在す。投子便ち打つ。此の僧便ち是れ畢竟還た潮中に落ちて死す。雪竇、這の僧を出だして云く、忽然として活せば、便ち与に禅床を掀倒し、投子も也た須らく倒退三千里すべし。直に百川倒に流れて閙活活たることを得ん。唯だ禅床震動するのみにあらず、亦乃ち山川岌崿として、天地陡かに暗し。苟或し箇箇此の如くならば、山僧且く退鼓を打たん。諸人、什麼の処に向かつてか身を安んじ命を立てん。
現代語訳
最後にこの僧を頌して「哀れなのは数限りない潮遊びの人」と言う。この僧は大胆にも旗を奪い太鼓を奪って「和尚、煮え立つ碗が鳴るような屁の音を立てないでください」と言い、また「和尚を一頭の驢馬と呼んでもよいですか」と言った。これこそ潮遊びをするところである。この僧は芸を尽くしたが、相変わらず投子の句の中で死んでしまった。投子はすぐに打った。この僧こそ「結局は潮の中に落ちて死ぬ」者である。雪竇はこの僧を救い出して言う、もし突然生き返ったなら、すぐに禅床をひっくり返してやれば、投子も三千里退却しなければならなかっただろう。まさに百の川が逆流して騒がしくわき返るところとなる。禅床が震え動くだけでなく、山や川も険しくそびえ揺れ、天地もにわかに暗くなる。もし一人一人がこのようであったなら、わたしはひとまず退却の太鼓を打とう。諸君はどこに身を安んじ命を立てるのか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
葉隠・聞書第一何某(なにがし)申し候は、「しおがれ浪人などと云うは、難儀千万(なんぎせんばん)この上なき様に皆人思うて、その期(ご)には殊(こと)の外(ほか)しおがれ草臥(くたび)るる事なり。浪人して後(のち)は左程(さほど)にはなきものなり。今一度(いまいちど)浪人仕(つかまつ)りたし。」と云う。もっともの事なり。死の道も、平生(へいぜい)に死習(しになら)うては、心安(こころやす)く死ぬべき事なり。奉公人の打留(うちどめ)は浪人切腹(せっぷく)に極(きわ)まりたると、兼ねて覚悟すべきなり。災難は前方(ぜんぽう)了簡(りょうけん)したる程には無きものなるを、先を量(はか)つて苦しむは愚かなる事なり。
-
葉隠・聞書第一打返しの仕様(しよう)は、踏懸けて切り殺さるるまでなり。これにて恥(はじ)にならぬなり。仕果(しは)たすべしと思ふゆゑ、間(ま)に合はず。向(むこう)は大勢(おおぜい)などと云ひて時を移し、しまり止(どめ)になる相談に極(きわ)まるなり。相手何千人もあれ、片端(かたはし)より撫切(なでぎ)りと思ひ定めて、立ち向ふまでにて成就(じょうじゅ)なり。多分(たぶん)仕(し)済ますものなり。又(また)浅野殿(あさのどの)浪人(ろうにん)夜討(ようち)も、泉岳寺(せんがくじ)にて腹切らぬが落度(おちど)なり。又主(しゅ)を討たせて、敵(かたき)を討つ事延び延びなり。若(も)し、その内に吉良殿(きらどの)病死の時は残念千万なり。上方衆(かみがたしゅう)は智慧(ちえ)かしこきゆゑ、褒めらるる仕様は上手(じょうず)なれども、長崎喧嘩(ながさきけんか)の様に無分別(むふんべつ)にする事はならぬなり。又曾我殿(そがどの)夜討も殊(こと)の外(ほか)の延引(えんいん)。幕(まく)の紋(もん)見物(けんぶつ)の時、祐成(すけなり)図(ず)をはづしたり。不運の事なり。五郎(ごろう)申し様(よう)見事なり。総(そう)じてかやうの批判(ひはん)はせぬものなれども、これも武道(ぶどう)の吟味(ぎんみ)なれば申すなり。前方(ぜんぽう)に吟味して置かねば、行(ゆ)き当りて分別(ふんべつ)出来(でき)合はぬゆゑ、おおかた恥になり候。話を聞き覚え、物の本を見るも、かねての覚悟のためなり。就中(なかんずく)、武道は今日の事も知らずと思ひて、日々夜々(ひびよよ)に箇条(かじょう)を立てて吟味すべき事なり。時の行掛(ゆきがか)りにて勝負はあるべし。恥をかかぬ仕様は別(べつ)なり。死ぬまでなり。これには智慧も業(わざ)も入らぬなり。死ぬまでといふは勝負を考へず、無二無三(むにむざん)に死狂(しにぐる)ひするばかりなり。これにて夢(ゆめ)覚むるなり。
-
論語・憲問篇子曰く、『士にして居を懐(おも)えば、以て士と為すに足らず。』
-
葉隠・聞書第一途中にて俄雨(にわかあめ)にあいて、濡れじとて道を急ぎ走り、軒下(のきした)などを通りても、濡るる濡るる事は替わらざるなり。初めより思いはまりて濡るる濡るる時、心に苦しみなく濡るる濡るる事は同じ。これ万(よろ)づにわたる心得なり。
-
史記 刺客列伝是に於て太子豫め天下の利き匕首を求め、趙人徐夫人の匕首を得、之を百金に取り、工をして薬を以て之を焠かしめ、以て人に試むるに、血縷を濡らし、人立ちどころに死せざる者無し。乃ち装して荊卿を遣らんと為す。燕国に勇士秦舞陽有り。年十三にして人を殺す。人敢て忤視せず。乃ち秦舞陽をして副と為さしむ。荊軻待つ所有り、与に倶にせんと欲す。其の人遠きに居りて未だ来たらず。而して為に行を治む。頃之、未だ発せず。太子之を遅しとし、其の改悔せんことを疑ひ、乃ち復た請ひて曰く、「日已に尽きたり。荊卿豈に意有らんや。丹請ふ、先づ秦舞陽を遣るを得ん」と。荊軻怒り、太子を叱して曰く、「何ぞ太子の遣るや。往きて返らざる者は、豎子なり。且つ一匕首を提げて不測の彊秦に入る。僕の留まる所以の者は、吾が客を待ちて与に倶にせんとすればなり。今太子之を遅しとす。請ふ辞して決せん」と。遂に発す。太子及び賓客の其の事を知る者、皆白衣冠して以て之を送る。易水の上に至り、既に祖して、道を取る。高漸離筑を撃ち、荊軻和して歌ひ、変徴の声を為す。士皆涙を垂れて涕泣す。又前みて歌を為りて曰く、「風蕭蕭として易水寒し、壮士一たび去りて復た還らず」と。復た羽声を為して慷慨す。士皆目を瞋らし、髪尽く上りて冠を指す。是に於て荊軻車に就きて去り、終に已に顧みず。遂に秦に至り、
-
葉隠・聞書第一古人(こじん)の覚悟は深き事なり。十三以上六十以下出陣と云う事あり。それ故に、古老(ころう)は年をかくすといえり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る