碧巌録 / 第七十九則
投子投子 機輪無阻放一得二 同彼同此可憐無限弄潮人畢竟還落潮中死忽然活 百川倒流閙活活活投子投子。機輪無阻。投子尋常道。爾總道投子實頭。忽然下山三步。有人問爾。道如何是投子實頭處。爾作麼生抵對。古人道。機輪轉處。作者猶迷。他機輪轉轆轆地全無阻隔。所以雪竇道。放一得二。不見僧問。如何是佛。投子云。佛。又問。如何是道。投子云。道。又問。如何是禪。投子云。禪。又問。月未圓時如何。投子云。吞却三箇四箇。圓後如何。吐却七箇八箇。投子接人。常用此機。答這僧。只是一箇是字。這僧兩回被打。所以雪竇道。同彼同此。四句一時。頌投子了也。
新字:投子投子 機輪無阻放一得二 同彼同此可憐無限弄潮人畢竟還落潮中死忽然活 百川倒流閙活活活投子投子。機輪無阻。投子尋常道。爾総道投子実頭。忽然下山三歩。有人問爾。道如何是投子実頭処。爾作麼生抵対。古人道。機輪転処。作者猶迷。他機輪転轆轆地全無阻隔。所以雪竇道。放一得二。不見僧問。如何是仏。投子云。仏。又問。如何是道。投子云。道。又問。如何是禅。投子云。禅。又問。月未円時如何。投子云。呑却三箇四箇。円後如何。吐却七箇八箇。投子接人。常用此機。答這僧。只是一箇是字。這僧両回被打。所以雪竇道。同彼同此。四句一時。頌投子了也。
書き下し
「投子投子、機輪阻無し。一を放つて二を得、彼に同じく此に同じ。憐れむべし無限の弄潮の人、畢竟還た潮中に落ちて死す。忽然として活せば、百川倒に流れて閙活活たらん」。投子投子、機輪阻無し。投子尋常道ふ、「爾総に投子は実頭なりと道ふ。忽然として山を下ること三歩、人有つて爾に問うて、如何なるか是れ投子実頭の処と道はば、爾作麼生か抵対せん」と。古人道ふ、「機輪の転ずる処、作者すら猶ほ迷ふ」と。他の機輪は転轆轆地にして全く阻隔無し。所以に雪竇道ふ、「一を放つて二を得」と。見ずや僧問ふ、「如何なるか是れ仏」。投子云く、「仏」。又た問ふ、「如何なるか是れ道」。投子云く、「道」。又た問ふ、「如何なるか是れ禅」。投子云く、「禅」。又た問ふ、「月未だ円かならざる時如何」。投子云く、「三箇四箇を呑却す」。「円かなる後如何」。「七箇八箇を吐却す」。投子の人を接する、常に此の機を用ふ。這の僧に答ふるも、只だ是れ一箇の是の字なり。這の僧両回打たる。所以に雪竇道ふ、「彼に同じく此に同じ」と。四句一時に投子を頌し了る。
現代語訳
「投子よ投子よ、働きの車輪は滞りがない。一つを放って二つを得、あちらと同じくこちらと同じ。哀れなのは数限りない潮遊びの人、結局は潮の中に落ちて死ぬ。もし突然生き返ったら、百の川が逆流して騒がしくわき返るだろう」。「投子よ投子よ、働きの車輪は滞りがない」。投子はふだん言っていた。「おまえたちはみな投子は実直だと言う。もし突然山を三歩下りたところで、誰かがおまえに『投子の実直なところとはどういうものか』と問うたら、おまえはどう答えるか」。古人は「働きの車輪が転じるところは、達人でさえなお迷う」と言った。投子の働きの車輪はくるくると回って、まったく隔てがない。だから雪竇は「一つを放って二つを得る」と言う。こんな問答を見ないか。僧が「仏とはどういうものですか」と問うと、投子は「仏」と言った。また「道とはどういうものですか」と問うと、投子は「道」と言った。また「禅とはどういうものですか」と問うと、投子は「禅」と言った。また「月がまだ満ちない時はどうですか」と問うと、投子は「三つ四つを呑み込む」と言った。「満ちた後はどうですか」と問うと、「七つ八つを吐き出す」と言った。投子が人を導くときは、いつもこの働きを用いた。この僧に答えたのも、ただ一つの「是」の字である。この僧は二度打たれた。だから雪竇は「あちらと同じくこちらと同じ」と言うのである。四句で一挙に投子を頌し終えたのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第七十九則投子は朴実頭にして、逸群の辯を得たり。凡そ問を致す有れば、口を開けば便ち胆を見る。余力を費やさずして、便ち他の舌頭を坐断す。謂ひつべし、籌を帷幄の中に運らし、勝ちを千里の外に決すと。這の僧、声色仏法の見解を将て、他の額頭上に貼在し、人に逢うては便ち問ふ。投子は作家なり、来風深く辨ず。這の僧、投子の実頭なることを知つて、合下に箇の圏繢子を做して、投子をして入り来たらしむ。所以に後語有り。投子却つて陥虎の機を使ひ、他の後語を釣り出だし来たる。這の僧、他の答ふる処に接して道ふ、「和尚、沸碗鳴声を屎ること莫れ」と。果然として一釣に便ち上る。若し是れ別人ならば、則ち這の僧を奈何ともせず。投子は眼を具す、随後に便ち打つ。猪狗を咬む底の手脚、須らく還た作家にして始めて得べし。左に転ずるも也た他に随つて阿轆轆地、右に転ずるも也た他に随つて阿轆轆地。這の僧既に是れ箇の圏繢子を做して、来たつて虎鬚を捋でんと要す。殊に知らず、投子更に他の圏繢頭上に在ることを。投子便ち打つ。這の僧可惜許、頭有つて尾無し。当時、他の棒を拈ずるを等つて、便ち与に禅床を掀倒せば、直饒ひ投子の全機なるも、也た須らく倒退三千里すべし。
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『碧巌録』第四十一則趙州、投子に問ふ、「大死底の人、却つて活する時如何」。投子他に対して道ふ、「夜行を許さず、明に投じて須らく到るべし」。且く道へ、是れ什麼の時節ぞ。無孔笛、氈拍版に撞著す。此れを験主問と謂ひ、亦た心行問と謂ふ。投子・趙州、諸方皆之を美して逸群の弁を得たりとす。二老、承嗣同じからずと雖も、看よ他の機鋒相投じて一船なることを。投子一日、趙州の為に茶筵を置いて相待す。自ら蒸餅を過して趙州に与ふ。州管せず。投子、行者をして胡餅を過して趙州に与へしむ。州、行者を礼すること三拝す。且く道へ、他の意是れ如何。看よ他は尽く是れ根本上に向かつて、此の本分事を提して人の為にす。僧有り問ふ、「如何なるか是れ道」。答へて云く、「道」。「如何なるか是れ仏」。答へて云く、「仏」。又問ふ、「金鎖未だ開かざる時如何」。答へて云く、「開」。「金鶏未だ鳴かざる時如何」。答へて云く、「這箇の音響無し」。「鳴いて後如何」。答へて云く、「各自時を知る」。投子平生の問答総て此くの如し。
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『碧巌録』第七十九則又た問ふ、「麁言及び細語、皆第一義に帰すと、是なりや否や」。投子亦た「是なり」と云ふ。一に前頭の語と異なること無きに似たり。僧云く、「和尚を喚んで一頭の驢と作し得んや」。投子又た打つ。這の僧、窠窟を作すと雖然も、也た妨げず奇特なることを。若し是れ曲彔木床上の老漢、頂門に眼無くんば、也た他を折挫し難からん。投子に転身の処有り。這の僧既に箇の道理を做して、他の行市を攙はんと要す。到了るまで依旧として投子老漢を奈何ともせず。見ずや巌頭道ふ、「若し戦を論ぜば、箇箇転処に立在す」と。投子は放ち去ること太だ遅く、収め来たること太だ急なり。這の僧当時、若し身を転じ気を吐くことを解せば、豈に箇の口血盆に似たる底の漢と作り得ざらんや。衲僧家は一たび做さざれば二たび休まず。這の僧既に返擲すること能はず、却つて投子に鼻孔を穿たれ了る。頌に云く、
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『碧巌録』第七十九則末後に這の僧を頌して道ふ、「憐れむべし無限の弄潮の人」と。這の僧敢へて旗を攙り鼓を奪つて道ふ、「和尚、沸碗鳴声を屎ること莫れ」と。又た道ふ、「和尚を喚んで一頭の驢と作し得んや」と。此れ便ち是れ潮を弄する処なり。這の僧伎倆を做し尽くして、依前として投子の句中に死在す。投子便ち打つ。此の僧便ち是れ畢竟還た潮中に落ちて死す。雪竇、這の僧を出だして云く、忽然として活せば、便ち与に禅床を掀倒し、投子も也た須らく倒退三千里すべし。直に百川倒に流れて閙活活たることを得ん。唯だ禅床震動するのみにあらず、亦乃ち山川岌崿として、天地陡かに暗し。苟或し箇箇此の如くならば、山僧且く退鼓を打たん。諸人、什麼の処に向かつてか身を安んじ命を立てん。
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『碧巌録』第七十九則挙す。僧、投子に問ふ、「一切の声は是れ仏声なりと、是なりや否や」。投子云く、「是なり」。僧云く、「和尚、沸碗鳴声を屎ること莫れ」。投子便ち打つ。又た問ふ、「麁言及び細語、皆第一義に帰すと、是なりや否や」。投子云く、「是なり」。僧云く、「和尚を喚んで一頭の驢と作し得んや」。投子便ち打つ。
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『碧巌録』第六十五則機輪曾て未だ転ぜず、転ずれば必ず両頭に走る。明鏡忽ち台に臨めば、当下に妍醜を分かつ。妍醜分かれて迷雲開く、慈門何れの処にか塵埃を生ぜん。因みに思ふ良馬の鞭影を窺ふことを、千里の追風喚べば回り得。喚べば回り得、指を鳴らすこと三下。「機輪曾て未だ転ぜず、転ずれば必ず両頭に走る」。機は乃ち千聖の霊機、輪は是れ従本已来諸人の命脈なり。見ずや古人道ふ、「千聖の霊機は親しみ易からず、龍は龍子を生む、因循すること莫かれ。趙州奪ひ得たり連城の璧、秦王も相如も総に身を喪ふ」と。外道は却つて是れ把得住し作得主して、未だ嘗て動著せず。何が故ぞ。他道ふ、「有言を問はず、無言を問はず」と。豈に是れ全機の処にあらずや。世尊は会く風を看て帆を使ひ、病に応じて薬を与ふ。所以に良久して全機提起す。外道全体会し去りて、機輪便ち阿轆轆地に転ず。亦有に転向せず、亦無に転向せず、得失に落ちず、凡聖に拘はらず、二辺一時に坐断す。世尊纔かに良久すれば、他便ち礼拝す。如今の人多く無に落在し、然らざれば有に落在して、只管に有無の処に在りて両頭に走る。
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