碧巌録 / 第七十九則
投子朴實頭。得逸群之辯。凡有致問。開口便見膽。不費餘力。便坐斷他舌頭。可謂運籌帷幄之中。決勝千里之外。這僧將聲色佛法見解。貼在他額頭上。逢人便問。投子作家。來風深辨。這僧知投子實頭。合下做箇圈繢子。教投子入來。所以有後語。投子却使陷虎之機。釣他後語出來。這僧接他答處道。和尚莫[尸@豖]沸碗鳴聲。果然一釣便上。若是別人。則不奈這僧何。投子具眼。隨後便打。咬猪狗底手脚。須還作家始得。左轉也隨他阿轆轆地。右轉也隨他阿轆轆地。這僧既是做箇圈繢子。要來捋虎鬚。殊不知投子。更在他圈繢頭上。投子便打。這僧可惜許。有頭無尾。當時等他拈棒。便與掀倒禪床。直饒投子全機。也須倒退三千里。
新字:投子朴実頭。得逸群之弁。凡有致問。開口便見胆。不費余力。便坐断他舌頭。可謂運籌帷幄之中。決勝千里之外。這僧将声色仏法見解。貼在他額頭上。逢人便問。投子作家。来風深弁。這僧知投子実頭。合下做箇圏繢子。教投子入来。所以有後語。投子却使陥虎之機。釣他後語出来。這僧接他答処道。和尚莫[尸@豖]沸碗鳴声。果然一釣便上。若是別人。則不奈這僧何。投子具眼。随後便打。咬猪狗底手脚。須還作家始得。左転也随他阿轆轆地。右転也随他阿轆轆地。這僧既是做箇圏繢子。要来捋虎鬚。殊不知投子。更在他圏繢頭上。投子便打。這僧可惜許。有頭無尾。当時等他拈棒。便与掀倒禅床。直饒投子全機。也須倒退三千里。
書き下し
投子は朴実頭にして、逸群の辯を得たり。凡そ問を致す有れば、口を開けば便ち胆を見る。余力を費やさずして、便ち他の舌頭を坐断す。謂ひつべし、籌を帷幄の中に運らし、勝ちを千里の外に決すと。這の僧、声色仏法の見解を将て、他の額頭上に貼在し、人に逢うては便ち問ふ。投子は作家なり、来風深く辨ず。這の僧、投子の実頭なることを知つて、合下に箇の圏繢子を做して、投子をして入り来たらしむ。所以に後語有り。投子却つて陥虎の機を使ひ、他の後語を釣り出だし来たる。這の僧、他の答ふる処に接して道ふ、「和尚、沸碗鳴声を屎ること莫れ」と。果然として一釣に便ち上る。若し是れ別人ならば、則ち這の僧を奈何ともせず。投子は眼を具す、随後に便ち打つ。猪狗を咬む底の手脚、須らく還た作家にして始めて得べし。左に転ずるも也た他に随つて阿轆轆地、右に転ずるも也た他に随つて阿轆轆地。這の僧既に是れ箇の圏繢子を做して、来たつて虎鬚を捋でんと要す。殊に知らず、投子更に他の圏繢頭上に在ることを。投子便ち打つ。這の僧可惜許、頭有つて尾無し。当時、他の棒を拈ずるを等つて、便ち与に禅床を掀倒せば、直饒ひ投子の全機なるも、也た須らく倒退三千里すべし。
現代語訳
投子は飾り気のない実直な人柄で、抜きん出た弁舌を得ていた。およそ問いをもって来る者があれば、口を開くとすぐ肝の底まで見せた。余計な力を使わずに、相手の舌の根を断ち切った。まさに「はかりごとを陣幕の中でめぐらし、勝ちを千里の外で決する」と言うべきである。この僧は、声や色や仏法の見解を自分の額に貼りつけて、人に会うとすぐに問うた。投子は練達の者で、相手の出方を深く見抜いた。この僧は投子が実直であることを知って、はじめから罠をこしらえて、投子を引き入れようとした。だから後の言葉があるのである。投子はかえって虎を落とし穴にはめる手を使って、彼の後の言葉を釣り出した。この僧は投子の答えを受けて「和尚、煮え立つ碗が鳴るような屁の音を立てないでください」と言った。果たして一度釣り糸を垂れるとすぐ食いついた。もし別の人なら、この僧をどうにもできなかった。投子は眼を備えていて、すぐ後から打った。猪や犬にかみつくような手並みは、やはり練達の者でなければできない。左に転じても相手に従ってくるくると、右に転じても相手に従ってくるくると自在である。この僧は罠をこしらえて、虎のひげをなでに来ようとした。投子がさらにその罠の上にいたことを、まるで知らなかったのだ。投子はすぐに打った。この僧は惜しいことに、頭はあっても尾がない。そのとき、投子が棒を取り上げるのを待って、すぐに禅床をひっくり返してやれば、たとえ投子が全力を尽くしても、三千里も退却しなければならなかっただろう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 范雎蔡沢列伝此の時に当たり、秦の昭王、謁者王稽を魏に使はす。鄭安平詐りて卒と為り、王稽に侍す。王稽問ふ、「魏に賢人の与に倶に西游すべき者有るか」と。鄭安平曰く、「臣の里中に張禄先生有り、君に見えて天下の事を言はんと欲す。その人仇有り、敢へて昼見えず」と。王稽曰く、「夜与に倶に来たれ」と。鄭安平、夜張禄と王稽に見ゆ。語未だ究まらざるに、王稽、范睢の賢なるを知り、謂ひて曰く、「先生、我を三亭の南に待て」と。私かに約して去る。王稽、魏を辞して去り、過りて范睢を載せて秦に入る。湖に至り、車騎の西より来たるを望見す。范睢曰く、「彼の来たる者は誰と為す」と。王稽曰く、「秦の相穣侯、東して県邑を行く」と。范睢曰く、「吾聞く、穣侯は秦の権を専らにし、諸侯の客を内るるを悪むと。此れ恐らくは我を辱めん、我寧ろ且く車中に匿れん」と。頃有りて、穣侯果たして至り、王稽を労ひ、因りて車を立てて語りて曰く、「関東に何の変か有る」と。曰く、「有る無し」と。また王稽に謂ひて曰く、「謁君、諸侯の客子と倶に来たること無きを得んや。益無し、徒らに人の国を乱すのみ」と。王稽曰く、「敢へてせず」と。即ち別れ去る。范睢曰く、「吾聞く、穣侯は智士なり、その事を見ること遅し。郷者車中に人有るを疑ひて、これを索むることを忘る」と。是に於いて范睢車を下りて走りて曰く、「此れ必ずこれを悔いん」と。行くこと十余里、果たして騎をして還りて車中を索めしむ、客無し、乃ち已む。王稽遂に范睢と咸陽に入る。已に使ひを報じ、因りて言ひて曰く、「魏に張禄先生有り、天下の弁士なり。曰く『秦王の国は累卵より危ふし、臣を得ば則ち安からん。然れども書を以て伝ふべからず』と。臣故に載せて来たる」と。秦王信ぜず、舎して食はしむるに草具を以てす。命を待つこと歳余。是の時に当たり、昭王已に立つこと三十六年。南のかた楚の鄢郢を抜き、楚の懐王秦に幽死す。秦東のかた斉を破る。湣王嘗て帝と称し、後これを去る。数々三晋を困しむ。天下の弁士を厭ひ、信ずる所無し。
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史記 呂太后本紀孝恵此を以て日々飲みて淫楽を為し、政を聴かず、故に病有るなり。二年、楚の元王・斉の悼恵王皆来朝す。十月、孝恵斉王と太后の前に燕飲す、孝恵以為へらく斉王は兄なりと、上坐に置き、家人の礼の如くす。太后怒り、乃ち両卮の酖を酌みて、前に置かしめ、斉王をして起ちて寿を為さしむ。斉王起つ、孝恵も亦起ち、卮を取りて倶に寿を為さんと欲す。太后乃ち恐れ、自ら起ちて孝恵の卮を泛(くつがへ)す。斉王之を怪しみ、因りて敢へて飲まず、詳(いつは)り酔ひて去る。問ひて、其の酖なるを知る、斉王恐れ、自ら以為へらく長安を脱するを得ずと、憂ふ。斉の内史士王に説きて曰く、「太后は独り孝恵と魯元公主とを有つ。今王は七十余城を有ち、而して公主は乃ち数城を食む。王誠に一郡を以て太后に上り、公主の湯沐の邑と為さば、太后必ず喜び、王必ず憂ひ無からん。」と。是に於て斉王乃ち城陽の郡を上り、公主を尊びて王太后と為す。呂后喜び、之を許す。乃ち斉の邸に置酒し、楽しみ飲み、罷みて、斉王を帰す。三年、方に長安城を築く、四年に半ばを就し、五年六年に城就る。諸侯来会す。十月朝賀す。七年秋八月戊寅、孝恵帝崩ず。喪を発す、太后哭すれども、泣下らず。留侯の子張辟彊侍中為り、年十五、丞相に謂ひて曰く、「太后は独り孝恵を有つのみ、今崩じて、哭すれども悲しまず、君其の解を知るか。」と。丞相曰く、「何の解ぞ。」と。辟彊曰く、「帝に壮子毋し、太后君等を畏る。君今請ひて呂台・呂産・呂禄を拝して将と為し、兵を将ゐて南北軍に居らしめ、及び諸呂皆宮に入り、中に居りて事を用ゐしめよ、此くの如くならば則ち太后の心安んじ、君等幸ひに禍を脱するを得ん。」と。丞相乃ち辟彊の計の如くす。太后説び、其の哭乃ち哀し。呂氏の権此より起こる。乃ち天下に大赦す。九月辛丑、葬る。太子即位して帝と為り、高廟に謁す。元年、号令一に太后より出づ。
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史記 扁鵲倉公列伝其の後扁鵲虢に過ぐ。虢の太子死す。扁鵲虢の宮門の下に至り、中庶子の方を喜む者に問ひて曰く、「太子何の病ありて、国中の治穣衆事に過ぐるや」と。中庶子曰く、「太子の病は血気時ならず、交錯して泄るるを得ず、暴かに外に発し、則ち中の害と為る。精神邪気を止むる能はず、邪気畜積して泄るるを得ず。是を以て陽緩みて陰急なり。故に暴かに蹷して死す」と。扁鵲曰く、「其の死は何如なる時ぞ」と。曰く、「雞鳴より今に至る」と。曰く、「収めたるか」と。曰く、「未だし。其の死未だ半日なる能はざるなり」と。「言へ、臣は斉の勃海の秦越人なり、家は鄭に在り、未だ嘗て精光を望みて前に侍謁するを得ざるなり。太子不幸にして死すと聞く。臣能く之を生かさん」と。中庶子曰く、「先生之を誕ること無きを得んや。何を以て太子生くべしと言ふや。臣聞く、上古の時、医に兪跗有り。病を治するに湯液醴灑、鑱石撟引、案扤毒熨を以てせず、一たび撥して病の応を見、五蔵の輸に因りて、乃ち皮を割き肌を解き、脈を訣し筋を結び、髄脳を搦り、荒を揲し幕を爪し、腸胃を湔浣し、五蔵を漱滌し、精を練り形を易ふと。先生の方能く是の若くならば、則ち太子生くべきなり。是の若くなる能はずして之を生かさんと欲するは、曾ち以て咳嬰の児に告ぐべからず」と。終日、扁鵲天を仰ぎて嘆じて曰く、「夫子の方を為すや、管を以て天を窺ひ、郄を以て文を視るが若し。越人の方を為すや、脈を切り色を望み声を聴き形を写すを待たずして、病の在る所を言ふ。病の陽を聞きて、論じて其の陰を得、病の陰を聞きて、論じて其の陽を得。病の応は大表に見はる。千里を出でずして、決する者至って衆く、曲げて止むべからざるなり。子吾が言を以て誠ならずと為さば、試みに入りて太子を診よ。当に其の耳鳴りて鼻張るを聞くべし。其の両股を循りて以て陰に至らば、当に尚ほ温かなるべきなり」と。
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