碧巌録 / 第七十四則
白雲影裏笑呵呵 兩手持來付與他若是金毛獅子子 三千里外見誵訛白雲影裏笑呵呵。長慶道。因齋慶讚。雪竇道。兩手持來付與他。且道只是與他喫飯。為當別有奇特。若向箇裏知得端的。便是箇金毛獅子子。若是金毛獅子子。更不必金牛將飯桶來作舞大笑。直向三千里外。便知他敗缺處。古人道。鑒在機先。不消一揑。所以衲僧家。尋常須是向格外用始得稱本分宗師。若只據語言。未免漏逗。
新字:白雲影裏笑呵呵 両手持来付与他若是金毛獅子子 三千里外見誵訛白雲影裏笑呵呵。長慶道。因斎慶讃。雪竇道。両手持来付与他。且道只是与他喫飯。為当別有奇特。若向箇裏知得端的。便是箇金毛獅子子。若是金毛獅子子。更不必金牛将飯桶来作舞大笑。直向三千里外。便知他敗欠処。古人道。鑒在機先。不消一揑。所以衲僧家。尋常須是向格外用始得称本分宗師。若只拠語言。未免漏逗。
書き下し
「白雲影裏に笑ふこと呵呵、両手に持ち来たつて他に付与す。若し是れ金毛獅子の子ならば、三千里外に誵訛を見ん」。白雲影裏に笑ふこと呵呵。長慶道ふ、「斎に因つて慶讃す」と。雪竇道ふ、「両手に持ち来たつて他に付与す」と。且く道へ、只だ是れ他に飯を喫せしむるか、為当た別に奇特有りや。若し箇裏に向かつて端的を知り得ば、便ち是れ箇の金毛獅子の子なり。若し是れ金毛獅子の子ならば、更に金牛の飯桶を将ち来たつて舞を作し大笑するを必せず、直に三千里外に向かつて、便ち他の敗缺の処を知らん。古人道ふ、「鑒は機先に在り、一揑を消ゐず」と。所以に衲僧家、尋常須らく是れ格外に向かつて用ゐて、始めて本分の宗師と称することを得べし。若し只だ語言に拠らば、未だ漏逗を免れず。
現代語訳
「白雲の影の中でからからと笑い、両手で持って来て彼に手渡す。もし金毛の獅子の子なら、三千里の外でその食い違いを見抜くだろう」。「白雲の影の中でからからと笑う」。長慶は「斎にかこつけて祝い讃える」と言った。雪竇は「両手で持って来て彼に手渡す」と言う。さて言ってみよ、ただ彼に飯を食わせるだけなのか、それとも別に格別のことがあるのか。もしここで核心を知ることができれば、それこそ金毛の獅子の子である。もし金毛の獅子の子なら、金牛が飯桶を持ち出して舞い大笑いするまでもなく、すぐさま三千里の外で、彼の破綻しているところを知るだろう。古人は「見抜くことは機の動く前にあり、ひとつまみも要らない」と言った。だから禅僧は、ふだんから型の外で働いてこそ、はじめて本分の宗師と称することができる。もしただ言葉に頼るなら、手の内をさらすことを免れない。
解説
この章句が説くこと
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