碧巌録 / 第七十四則
雪竇云。雖然如此。金牛不是好心。只這一句。多少人錯會。所謂醍醐上味。為世所珍。遇斯等人。翻成毒藥。金牛既是落草為人。雪竇為什麼道。不是好心。因什麼却恁麼道。衲僧家須是有生機始得。今人不到古人田地。只管道見什麼心。有什麼佛。若作這見解。壞却金牛老作家了也。須是子細看始得。若只今日明日。口快些子。無有了期。後來長慶上堂。僧問。古人道。菩薩子喫飯來。意旨如何。慶云。大似因齋慶讚。尊宿家忒殺慈悲。漏逗不少。是則是。因齋慶讚。爾且道。慶讚箇什麼。看他雪竇頌云。
新字:雪竇云。雖然如此。金牛不是好心。只這一句。多少人錯会。所謂醍醐上味。為世所珍。遇斯等人。翻成毒薬。金牛既是落草為人。雪竇為什麼道。不是好心。因什麼却恁麼道。衲僧家須是有生機始得。今人不到古人田地。只管道見什麼心。有什麼仏。若作這見解。壊却金牛老作家了也。須是子細看始得。若只今日明日。口快些子。無有了期。後来長慶上堂。僧問。古人道。菩薩子喫飯来。意旨如何。慶云。大似因斎慶讃。尊宿家忒殺慈悲。漏逗不少。是則是。因斎慶讃。爾且道。慶讃箇什麼。看他雪竇頌云。
書き下し
雪竇云く、「然も此の如くなりと雖も、金牛は是れ好心にあらず」と。只だ這の一句、多少の人か錯つて会す。所謂醍醐の上味は世の珍とする所なるも、斯等の人に遇へば、翻つて毒薬と成る。金牛既に是れ落草して人の為にす、雪竇什麼の為にか道ふ、好心にあらずと。什麼に因つてか却つて恁麼に道ふ。衲僧家は須らく是れ生機有つて始めて得べし。今人、古人の田地に到らず、只管に道ふ、「什麼の心をか見ん、什麼の仏か有らん」と。若し這の見解を作さば、金牛老作家を壊却し了らん。須らく是れ子細に看て始めて得べし。若し只だ今日明日、口快きこと些子ならば、了期有ること無し。後来、長慶上堂す。僧問ふ、「古人道ふ、『菩薩子、飯を喫し来たれ』と。意旨如何」。慶云く、「大いに斎に因つて慶讃するに似たり」と。尊宿家、忒殺だ慈悲にして、漏逗少なからず。是なることは則ち是なり、斎に因つて慶讃す。爾且く道へ、箇の什麼をか慶讃する。看よ他の雪竇頌して云く、
現代語訳
雪竇は「とはいえ、金牛は好意からしたのではない」と言う。ただこの一句を、どれほど多くの人が誤って理解していることか。いわゆる醍醐の最上の味は世に珍重されるが、こういう人に出会うと、かえって毒薬になる。金牛はすでに草むらに降りて人のために尽くしているのに、雪竇はなぜ好意ではないと言うのか。何によってかえってこう言うのか。禅僧はいきいきとした働きがあってこそはじめてよい。今の人は古人の境地に到らず、ひたすら「どんな心を見るというのか、どんな仏があるというのか」と言う。もしこのような見解をなすなら、金牛という老練の作家を台なしにしてしまう。細かく見てこそはじめてよい。もし今日も明日も口先だけが少々達者なのでは、終わる時がない。後に長慶が上堂した。僧が問うた。「古人は『菩薩たちよ、飯を食いに来い』と言いました。その意味はどうですか」。長慶は言った。「まるで斎の食事にかこつけて祝い讃えるようなものだ」。この尊者はあまりにも慈悲深く、ずいぶんと手の内をさらしている。それはそうだ、斎にかこつけて祝い讃えるのだ。おまえは言ってみよ、何を祝い讃えるのか。見よ、雪竇は頌して言う。
解説
この章句が説くこと
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