鬼谷子 / 権篇
說者、說之也、說之者、資之也。飾言者、假之也、假之者、益損也。應對者、利辭也、利辭者、輕論也。成義者、明之也、明之者、符騐也。言或反覆、欲相却也。難言者、却論也。却論者、釣幾也。
新字:説者、説之也、説之者、資之也。飾言者、仮之也、仮之者、益損也。応対者、利辞也、利辞者、軽論也。成義者、明之也、明之者、符騐也。言或反覆、欲相却也。難言者、却論也。却論者、釣幾也。
書き下し
說とは、之を說くなり。之を說くとは、之に資するなり。言を飾るとは、之を假るなり。之を假るとは、益損するなり。應對とは、利辭なり。利辭とは、輕論なり。義を成すとは、之を明らかにするなり。之を明らかにするとは、符もて騐するなり。言或いは反覆するは、相い却けんと欲すればなり。言を難ずるとは、却論なり。却論とは、幾を釣るなり。
現代語訳
説くとは、相手を説くことである。相手を説くとは、相手に資することである。言葉を飾るとは、それを借りることである。借りるとは、増やしたり減らしたりすることである。応対とは、利いた言葉である。利いた言葉とは、軽く論じることである。義を成すとは、それを明らかにすることである。明らかにするとは、割符で験すことである。言葉があるいは繰り返されるのは、互いに退けようとするからである。言葉をとがめるのは、退けるための議論である。退けるための議論とは、きざしを釣ることである。
解説
言葉のはたらきが一つずつ定義されていきます。説くとは相手に資すること——相手の役に立つこと、という定義から始まるのが意外です。飾ることは借りること、応対は軽く論じること、と続く。とくに「言を難ずるとは、却論なり。却論とは、幾を釣るなり」が実務的です。相手の言葉にとがめを入れるのは、退けるためであり、退けることでこちらが本音のきざしを釣り上げる。会議で誰かが揚げ足を取ってきたとき、それが反論なのか、こちらの出方を釣っているのかを見分ける手がかりになります。
この章句が説くこと
説くとは之に資するなり却論とは幾を釣るなり交渉弁舌洞察言葉
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