碧巌録 / 第七十三則
這僧將一檐懞懂。換得箇不安樂。更勞他三人尊宿。入泥入水。畢竟這僧不瞥地。雖然一恁麼。這三箇宗師。却被箇擔板漢勘破。如今人只管去語言上。作活計云。白是明頭合。黑是暗頭合。只管鑽研計較。殊不知。古人一句截斷意根。須是向正脈裏。自看始得穩當。所以道。末後一句。始到牢關。把斷要津。不通凡聖。若論此事。如當門按一口劍相似。擬議則喪身失命。又道。譬如擲劍揮空。莫論及之不及。但向八面玲瓏處會取。不見古人道。這漆桶。或云。野狐精。或云。瞎漢。且道與一棒一喝。是同是別。若知千差萬別。只是一般。自然八面受敵。要會藏頭白海頭黑麼。五祖先師道。封后先生。雪竇頌云。
新字:這僧将一檐懞懂。換得箇不安楽。更労他三人尊宿。入泥入水。畢竟這僧不瞥地。雖然一恁麼。這三箇宗師。却被箇担板漢勘破。如今人只管去語言上。作活計云。白是明頭合。黒是暗頭合。只管鑽研計較。殊不知。古人一句截断意根。須是向正脈裏。自看始得穏当。所以道。末後一句。始到牢関。把断要津。不通凡聖。若論此事。如当門按一口剣相似。擬議則喪身失命。又道。譬如擲剣揮空。莫論及之不及。但向八面玲瓏処会取。不見古人道。這漆桶。或云。野狐精。或云。瞎漢。且道与一棒一喝。是同是別。若知千差万別。只是一般。自然八面受敵。要会蔵頭白海頭黒麼。五祖先師道。封后先生。雪竇頌云。
書き下し
這の僧、一檐の懞懂を将て、箇の不安楽を換へ得たり。更に他の三人の尊宿を労して、泥に入り水に入らしむ。畢竟這の僧瞥地せず。一たび恁麼なりと雖然も、這の三箇の宗師、却つて箇の担板漢に勘破せらる。如今の人は只管に語言上に去つて活計を作して云く、「白は是れ明頭合、黒は是れ暗頭合」と。只管に鑽研計較して、殊に知らず、古人の一句、意根を截断することを。須らく是れ正脈裏に向かつて自ら看て、始めて穏当なることを得べし。所以に道ふ、「末後の一句、始めて牢関に到る。要津を把断して、凡聖を通ぜず」と。若し此の事を論ぜば、門に当たつて一口の剣を按ずるが如くに相似たり、擬議すれば則ち身を喪ひ命を失ふ。又た道ふ、「譬へば剣を擲つて空に揮ふが如し、及ぶと及ばざるとを論ずること莫れ」と。但だ八面玲瓏の処に向かつて会取せよ。見ずや古人道ふ、「這の漆桶」と、或いは云く「野狐精」と、或いは云く「瞎漢」と。且く道へ、一棒一喝と、是れ同か是れ別か。若し千差万別も只だ是れ一般なることを知らば、自然に八面に敵を受けん。蔵頭白く海頭黒きを会せんと要すや。五祖先師道ふ、「封后先生」と。雪竇頌して云く、
現代語訳
この僧は天秤棒一荷ぶんのぼんやりを担いで、不安を手に入れた。さらに三人の尊者を煩わせて、泥にまみれ水に浸からせた。結局この僧は気づかなかった。とはいえ、ひとたびこうなってみると、この三人の宗師はかえって片側しか見えない男に見破られたのである。今の人はひたすら言葉の上で暮らしを立てて、「白は明るい面に合わせ、黒は暗い面に合わせたのだ」と言う。ひたすら穿鑿し計算するばかりで、古人の一句が思慮の根を断ち切るものだということをまるで知らない。正しい血脈の中で自ら見てこそ、はじめて確かになる。だから「最後の一句で、はじめて堅固な関所に到る。要の渡し場を押さえて、凡人も聖人も通さない」と言う。この事を論じるなら、門の前で一振りの剣を構えているようなもので、ためらえば身を失い命を落とす。また「たとえば剣を投げて空に振るうようなもので、届くか届かないかを論じるな」と言う。ただ八方に透き通った所でつかみ取れ。古人が「この漆桶め」と言い、あるいは「野狐の化け物め」と言い、あるいは「めくらめ」と言ったのを見ないか。さて言ってみよ、これらは一棒一喝と同じか別か。もし千差万別もただ一つだと知るなら、自然に八方から敵を受けて立てるだろう。「蔵頭白く海頭黒し」がわかりたいか。五祖先師は「封后先生」と言った。雪竇は頌して言う。
解説
この章句が説くこと
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