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碧巌録 / 第七十三則

垂示云。夫說法者。無說無示。其聽法者。無聞無得。說既無說無示。爭如不說。聽既無聞無得。爭如不聽。而無說又無聽。却較些子。只如今諸人。聽山僧在這裏說。作麼生免得此過。具透關眼者。試舉看。

新字:垂示云。夫説法者。無説無示。其聴法者。無聞無得。説既無説無示。争如不説。聴既無聞無得。争如不聴。而無説又無聴。却較些子。只如今諸人。聴山僧在這裏説。作麼生免得此過。具透関眼者。試舉看。

書き下し

垂示に云く、夫れ法を説く者は、説くこと無く示すこと無し。其の法を聴く者は、聞くこと無く得ること無し。説くこと既に説くこと無く示すこと無くんば、争でか説かざるに如かん。聴くこと既に聞くこと無く得ること無くんば、争でか聴かざるに如かん。而も説くこと無く又た聴くこと無きは、却つて些子に較れり。只如、今諸人、山僧が這裏に在つて説くを聴く、作麼生か此の過を免れ得ん。透関の眼を具する者、試みに挙し看よ。

現代語訳

垂示に言う。そもそも法を説く者は、説くこともなく示すこともない。法を聴く者は、聞くこともなく得ることもない。説くのに説くことも示すこともないのなら、説かないほうがましではないか。聴くのに聞くことも得ることもないのなら、聴かないほうがましではないか。それなら説くこともなく聴くこともないほうが、まだいくらかましである。ところで今、諸君はわたしがここで説くのを聴いている。どうすればこの過ちを免れることができるか。関門を透る眼を備えた者は、試みに取り上げてみよ。

解説

圜悟の垂示で、説法と聴法の逆説から始まる。真の説法は何も説かず示さず、真の聴法は何も聞かず得ない、という仏教の古い考えを踏まえている。それなら説かず聴かないほうがよいはずなのに、いま現に自分は説き、皆は聴いている、と圜悟は自分の立場ごと問いに投げ込む。言葉で伝えることの矛盾を、話し手と聞き手の双方に突きつけているのである。この後の本則では、問いに対して誰もまともに答えない師たちの姿が描かれる。伝えるとは何か、受け取るとは何かを、会議や研修の場でも問い直させる一節である。

この章句が説くこと

説法聴法無説無示言葉伝達公案

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