碧巌録 / 第七十二則
和尚有也未 金毛獅子不踞地兩兩三三舊路行大雄山下空彈指和尚有也未。雪竇據欵結案。是則是。只是金毛獅子。爭柰不踞地。獅子捉物。藏牙伏爪。踞地返擲。物無大小。皆以全威。要全其功。雲巖云。和尚有也未。只是向舊路上行。所以雪竇云。百丈向大雄山下空彈指。
新字:和尚有也未 金毛獅子不踞地両両三三旧路行大雄山下空弾指和尚有也未。雪竇拠欵結案。是則是。只是金毛獅子。争柰不踞地。獅子捉物。蔵牙伏爪。踞地返擲。物無大小。皆以全威。要全其功。雲巖云。和尚有也未。只是向旧路上行。所以雪竇云。百丈向大雄山下空弾指。
書き下し
「和尚、有りや未だしや、金毛の獅子、地に踞せず。両両三三、旧路を行く、大雄山下、空しく弾指す」。和尚、有りや未だしや。雪竇は款に拠つて案を結す。是なることは則ち是なり、只だ是れ金毛の獅子、争奈せん地に踞せざることを。獅子の物を捉ふるや、牙を蔵し爪を伏せ、地に踞して返擲す。物、大小と無く、皆全威を以てし、其の功を全うせんことを要す。雲巌云く、「和尚、有りや未だしや」と、只だ是れ旧路上に向かつて行く。所以に雪竇云く、百丈は大雄山下に向かつて空しく弾指す、と。
現代語訳
「和尚にはおありですか、金毛の獅子が地に身を構えない。二人三人と連れだって古い道を行く、大雄山の麓でむなしく指を弾く」。「和尚にはおありですか」について、雪竇は供述どおりに判決を下している。正しいことは正しいのだが、ただ金毛の獅子でありながら、地に身を構えないのはどうしたことか。獅子が獲物を捕らえるときは、牙を隠し爪を伏せ、地に身を構えて跳びかかる。獲物の大小にかかわらず、いつも全力をもって、その仕事を仕遂げようとする。雲巌が「和尚にはおありですか」と言ったのは、ただ古い道を歩いているにすぎない。だから雪竇は、百丈は大雄山の麓でむなしく指を弾いた、と言うのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第七十四則「白雲影裏に笑ふこと呵呵、両手に持ち来たつて他に付与す。若し是れ金毛獅子の子ならば、三千里外に誵訛を見ん」。白雲影裏に笑ふこと呵呵。長慶道ふ、「斎に因つて慶讃す」と。雪竇道ふ、「両手に持ち来たつて他に付与す」と。且く道へ、只だ是れ他に飯を喫せしむるか、為当た別に奇特有りや。若し箇裏に向かつて端的を知り得ば、便ち是れ箇の金毛獅子の子なり。若し是れ金毛獅子の子ならば、更に金牛の飯桶を将ち来たつて舞を作し大笑するを必せず、直に三千里外に向かつて、便ち他の敗缺の処を知らん。古人道ふ、「鑒は機先に在り、一揑を消ゐず」と。所以に衲僧家、尋常須らく是れ格外に向かつて用ゐて、始めて本分の宗師と称することを得べし。若し只だ語言に拠らば、未だ漏逗を免れず。
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『碧巌録』第三十九則雲門這の僧を験す。其の僧も亦た是れ他の屋裏の人、自ら是れ久参にして、他の屋裏の事を知る。進めて云く、便ち恁麼にし去る時如何。門云く、金毛の獅子。且く道へ、是れ他を肯ふか、是れ他を肯はざるか。是れ他を褒むるか、是れ他を貶するか。巌頭道ふ、若し戦を論ぜば、箇箇転処に立在すと。又道ふ、他は活句に参じて、死句に参ぜず。活句の下に薦得せば、永劫に忘れず。死句の下に薦得せば、自救も了ぜずと。又僧雲門に問ふ、仏法は水中の月の如し、是なりや否や。門云く、清波透路無し。進めて云く、和尚何よりして得たる。門云く、再問復た何よりか来る。僧云く、正恁麼にし去る時如何。門云く、重畳たる関山の路。須らく知るべし此の事は、言句の上に在らず。石火を撃つが如く、閃電光に似たり。構得するも構不得なるも、未だ身を喪ひ命を失ふことを免れず。雪竇は是れ其の中の人なり、便ち当頭に頌出す。
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『碧巌録』第三十九則雪竇は席を相て令を打ち、絃を動かして曲を別つ。一句一句判じ将ち去る。此の一頌は、拈古の格に異ならず。花薬欄、便ち道ふ、顢頇なること莫れと。人皆道ふ、雲門信彩に答へ将ち去ると。総に情解を作して他を会す。所以に雪竇本分の草料を下して、便ち道ふ、顢頇なること莫れと。蓋し雲門の意は、花薬欄の処に在らず。所以に雪竇道ふ、星は秤に在りて盤に在らずと。這の一句忒殺だ漏逗す。水中に元より月無し、月は青天に在り。星の秤に在りて槃に在らざるが如し。且く道へ、那箇か是れ秤。若し辨明し得出さば、雪竇に辜負せず。古人這裏に到りては、也た慈悲なることを妨げず。分明に爾に向かつて道ふ、這裏に在らず、那辺に在り去ると。且く道へ、那辺は是れ什麼の処ぞ。此の頌は頭辺の一句了りて、後面に這の僧の便ち恁麼にし去る時如何と道ふを頌す。雪竇道ふ、這の僧も也た太だ端無しと。且く道へ、是れ明頭に合ふか暗頭に合ふか、会し来りて恁麼に道ふか、会せずして来りて恁麼に道ふか。金毛の獅子大家看よ。還た金毛の獅子を見るや。瞎。
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『碧巌録』第八十五則好箇の斑斑、爪牙未だ備はらずとは、是なることは則ち是れ箇の大虫、也た牙を蔵し爪を伏することを解す、争奈せん人を咬むことを解せざることを。君見ずや、大雄山下忽ち相逢ふ、落落たる声光皆な地を振るふ。百丈一日黄檗に問うて云く、「什麼の処よりか来る」。檗云く、「山下に菌子を採り来る」。丈云く、「還た大虫を見るや」。檗便ち虎声を作す。丈、腰下より斧を取つて斫る勢を作す。檗、約住して便ち掌す。丈、晩に至つて上堂して云く、「大雄山下に一虎有り、汝等諸人、出入に切に須らく好く看るべし。老僧今日親しく一口に遭ふ」と。後来、溈山、仰山に問ふ、「黄檗の虎の話作麼生」。仰云く、「和尚の尊意如何」。溈山云く、「百丈当時合に一斧にて斫殺すべし。什麼に因つてか此の如くなるに到る」。仰山云く、「然らず」。溈山云く、「子又た作麼生」。仰山云く、「唯だ虎頭に騎るのみにあらず、亦た虎尾を収むることを解す」。溈山云く、「寂子、甚だ嶮崖の句有り」。雪竇引用して前面の公案を明かす。声光落落として大地に振るふなり。這箇些子、転変自在にして、句中に出身の路有らんことを要す。大丈夫、見るや也た無しや。還た見るや。虎尾を収めて虎鬚を捋づ。也た須らく是れ本分なるべし。任ひ爾虎尾を収め虎鬚を捋づるも、未だ一時に鼻孔を穿却することを免れず。
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