碧巌録 / 第三十九則
雪竇相席打令。動絃別曲。一句一句判將去。此一頌。不異拈古之格。花藥欄。便道莫顢頇。人皆道雲門信彩答將去。總作情解會他底。所以雪竇下本分莫料。便道莫顢頇。蓋雲門意。不在花藥欄處。所以雪竇道。星在秤兮不在盤。這一句忒殺漏逗。水中元無月。月在青天。如星在秤不在於槃。且道那箇是秤。若辨明得出。不辜負雪竇。古人到這裏。也不妨慈悲。分明向爾道。不在這裏。在那邊去。且道那邊是什麼處。此頌頭邊一句了。後面頌這僧道便恁麼去時如何。雪竇道。這僧也太無端。且道是明頭合暗頭合。會來恁麼道。不會來恁麼道。金毛獅子大家看。還見金毛獅子麼。瞎。
新字:雪竇相席打令。動絃別曲。一句一句判将去。此一頌。不異拈古之格。花薬欄。便道莫顢頇。人皆道雲門信彩答将去。総作情解会他底。所以雪竇下本分莫料。便道莫顢頇。蓋雲門意。不在花薬欄処。所以雪竇道。星在秤兮不在盤。這一句忒殺漏逗。水中元無月。月在青天。如星在秤不在於槃。且道那箇是秤。若弁明得出。不辜負雪竇。古人到這裏。也不妨慈悲。分明向爾道。不在這裏。在那辺去。且道那辺是什麼処。此頌頭辺一句了。後面頌這僧道便恁麼去時如何。雪竇道。這僧也太無端。且道是明頭合暗頭合。会来恁麼道。不会来恁麼道。金毛獅子大家看。還見金毛獅子麼。瞎。
書き下し
雪竇は席を相て令を打ち、絃を動かして曲を別つ。一句一句判じ将ち去る。此の一頌は、拈古の格に異ならず。花薬欄、便ち道ふ、顢頇なること莫れと。人皆道ふ、雲門信彩に答へ将ち去ると。総に情解を作して他を会す。所以に雪竇本分の草料を下して、便ち道ふ、顢頇なること莫れと。蓋し雲門の意は、花薬欄の処に在らず。所以に雪竇道ふ、星は秤に在りて盤に在らずと。這の一句忒殺だ漏逗す。水中に元より月無し、月は青天に在り。星の秤に在りて槃に在らざるが如し。且く道へ、那箇か是れ秤。若し辨明し得出さば、雪竇に辜負せず。古人這裏に到りては、也た慈悲なることを妨げず。分明に爾に向かつて道ふ、這裏に在らず、那辺に在り去ると。且く道へ、那辺は是れ什麼の処ぞ。此の頌は頭辺の一句了りて、後面に這の僧の便ち恁麼にし去る時如何と道ふを頌す。雪竇道ふ、這の僧も也た太だ端無しと。且く道へ、是れ明頭に合ふか暗頭に合ふか、会し来りて恁麼に道ふか、会せずして来りて恁麼に道ふか。金毛の獅子大家看よ。還た金毛の獅子を見るや。瞎。
現代語訳
雪竇は座の様子を見て酒令を打ち、弦を動かして曲を変えるように、一句一句判じていく。この頌は、古則を取り上げて評する拈古の形と変わらない。「花薬欄」と挙げて、すぐに「ぼんやりしていてはならない」と言う。人々はみな「雲門はでまかせに答えたのだ」と言い、みな情で理解している。だから雪竇は本分の飼い葉を与えて、すぐに「ぼんやりしていてはならない」と言ったのである。思うに雲門の意は、花薬欄のところにはない。だから雪竇は「目盛りは竿にあって、皿にはない」と言う。この一句はあまりにもぼろが出ている。水の中にはもともと月はなく、月は青空にある。目盛りが竿にあって皿にないのと同じである。さて言ってみよ、どれが竿なのか。もしはっきり見分けられれば、雪竇に背くことにはならない。古人はここに至ると、慈悲深いことに変わりはなく、はっきりとお前たちに「ここにはない、あちらにある」と言ってやる。さて言ってみよ、あちらとはどこなのか。この頌は冒頭の一句を終えると、後半では、この僧が「そのとおりに受け取って行くときはどうですか」と言ったことを詠む。雪竇は「この僧もあまりにとりとめがない」と言う。さて言ってみよ、これは明るいほうにかなうのか、暗いほうにかなうのか。わかったうえでこう言ったのか、わからずにこう言ったのか。「金色のたてがみの獅子を、皆で見よ」。金毛の獅子が見えるか。目くらめ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『碧巌録』第六十七則挙す。梁の武帝、傅大士を請じて金剛経を講ぜしむ。大士便ち座上に於いて案を揮ふこと一下して、便ち下座す。武帝愕然たり。誌公問ふ、「陛下還た会すや」。帝云く、「会せず」。誌公云く、「大士講経竟んぬ」。
-
『鬼谷子』権篇故に口とは、機關なり。情意を闗閉する所以なり。耳目とは、心の佐助なり。姦邪を窺覸する所以なり。故に曰く、參え調えて應じ、道を利して動く、と。故に繁く言いて亂れず、翺翔して迷わず、變易して危うからざる者は、要を觀て理を得ればなり。
-
『正法眼蔵随聞記』巻一宋土の寺院なんどには都て雑談をせざれば、其やうなること、をも云はざるなり、吾が国も近ごろ建仁寺の僧正存生の時は、一向あからさまにも此の如きの言語出来らず、滅後にも存世の時の弟子等、少々残りとヾまりたりし時は一切に云はざりき、近ごろ此の七八年より以来、今ま出の若き人たち時々談ずるなり、存外の次第なり、聖教の中にも麁强悪業令人覚悟無利言説能障正道とありて、只うち出して云処の言ばすら、無利の言説は障道の因縁なり況やかくの如きの言語は、ことばに引れて即ち心も起りつべし、最も用心すべきなり、故さらにかくなん云はじとせずとも、悪きことゝ知りなば漸々に退治すべきなり、
-
人物志・八觀其の言甚だ懌べども、精色従わざる者は、中に違う有るなり。其の言違う有れども、精色信ずべき者は、辞の敏ならざるなり。
-
『正法眼蔵随聞記』巻一雑話の次でに云く、世間の男女老少多く交会姪色等の事を談ず、是を以て心を慰むるとし、興言とすることあり、一旦意をも遊戯し、徒然も慰むるに似たりと云ふとも、僧はもつとも禁断すべきことなり、俗猶よき人、まことしき人の、礼儀をも存じ、げにげにしき談の時、出来らざることなり、只乱酔放逸なる時の談なり、況や僧は専ら仏道を思ふべし、雑語は希有異体の乱僧の云ふことなり、
-
論語・顔淵篇司馬牛、仁を問う。子曰く、「仁者は、其の言や訒し。」曰く、「其の言や訒しければ、斯れ之を仁と謂うか。」子曰く、「之を為すこと難し、之を言うこと訒きこと無きを得んや。」
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る