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碧巌録 / 第六十二則

看看 古岸何人把釣竿雲冉冉水漫漫 明月蘆花君自看若識得雲門語。便見雪竇為人處。他向雲門示眾後面兩句。便與爾下箇注脚云。看看。爾便作瞠眉瞠眼會。且得沒交涉。古人道。靈光獨耀。逈脫根塵。體露真常。不拘文字。心性無染。本自圓成。但離妄緣。即如如佛。若只向瞠眉努眼處坐殺。豈能脫得根塵。雪竇道。看看。雲門如在古岸把釣竿相似。雲又冉冉。水又漫漫。明月映蘆花。蘆花映明月。正當恁麼時。且道是何境界。若便直下見得。前後只是一句相似 瞠。

新字:看看 古岸何人把釣竿雲冉冉水漫漫 明月蘆花君自看若識得雲門語。便見雪竇為人処。他向雲門示衆後面両句。便与爾下箇注脚云。看看。爾便作瞠眉瞠眼会。且得没交渉。古人道。霊光独耀。逈脱根塵。体露真常。不拘文字。心性無染。本自円成。但離妄縁。即如如仏。若只向瞠眉努眼処坐殺。豈能脱得根塵。雪竇道。看看。雲門如在古岸把釣竿相似。雲又冉冉。水又漫漫。明月映蘆花。蘆花映明月。正当恁麼時。且道是何境界。若便直下見得。前後只是一句相似 瞠。

書き下し

看よ看よ、古岸何人か釣竿を把る。雲は冉冉、水は漫漫、明月蘆花君自ら看よ。若し雲門の語を識得せば、便ち雪竇の人の為にする処を見ん。他は雲門の示衆の後面の両句に向かつて、便ち爾が与に箇の注脚を下して云く、「看よ看よ」と。爾便ち瞠眉瞠眼の会を作さば、且く没交渉なることを得たり。古人道ふ、「霊光独り耀き、逈かに根塵を脱す。体真常を露はし、文字に拘はらず。心性は染無く、本自ら円成す。但だ妄縁を離るれば、即ち如如仏なり」と。若し只だ瞠眉努眼の処に向かつて坐殺せば、豈に能く根塵を脱得せんや。雪竇道ふ、「看よ看よ」と。雲門は古岸に在りて釣竿を把るが如く相似たり。雲は又冉冉、水は又漫漫、明月蘆花に映じ、蘆花明月に映ず。正当恁麼の時、且く道へ是れ何の境界ぞ。若し便ち直下に見得せば、前後只だ是れ一句に相似たり。瞠。

現代語訳

見よ、見よ。古い岸辺で誰が釣竿を握っているのか。雲はゆるやかに流れ、水は果てしなく広がる。明月と蘆の花は、君が自分で見よ。もし雲門の言葉がわかれば、雪竇が人のためにしているところが見えるだろう。雪竇は雲門の示衆の後半の二句に向かって、あなたのために注を付けて「見よ、見よ」と言った。あなたがそこで眉を吊り上げ目を見張るような理解をするなら、まったく関わりがない。古人は言う。「霊妙な光がひとり輝き、はるかに感覚とその対象を脱している。本体は真実常住を現し、文字に拘束されない。心の本性は汚れがなく、もとより円かに成就している。ただ妄りな縁を離れれば、そのまま如如の仏である」と。もしただ眉を吊り上げ目をむくところに座り込んでしまえば、どうして感覚とその対象を脱することができようか。雪竇は「見よ、見よ」と言う。雲門は古い岸辺で釣竿を握っているようなものだ。雲はゆるやかに流れ、水は果てしなく広がり、明月が蘆の花を照らし、蘆の花が明月に映える。まさにこのようなとき、さて言ってみよ、これはどんな境地か。もしただちに見て取れば、前後はただ一句のようなものである。瞠。

解説

雪竇の頌と圜悟の評唱である。雪竇は雲門の灯籠の句に「看よ看よ」と注をつけ、古岸で釣竿を握る人、流れる雲と広がる水、明月と蘆の花という景色だけを差し出す。説明を加えず、ただ見よと促すのである。圜悟は、「看よ」と言われて目を見張るような理解は的外れだと戒め、百丈の語として知られる「霊光独り耀く」を引いて、見る働きそのものが根塵を脱していることを示す。結局、前後はただ一句だという。会議で説明が長くなるほど伝わらないことがある。景色を一つ置いて相手に見させる、その余白が理解を生むのである。

この章句が説くこと

頌無心霊光余白雪竇

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