碧巌録 / 第六十二則
雲門道。汝若相當去。且覓箇入路。微塵諸佛在爾脚跟下。三藏聖教。在爾舌頭上。不如悟去好。和尚子莫妄想。天是天地是地。山是山水是水。僧是僧俗是俗。良久云。與我拈面前按山來看。便有僧出問云。學人見山是山水是水時如何。門云。三門為什麼從這裏過。恐爾死却。遂以手劃一劃云。識得時。是醍醐上味。若識不得。反為毒藥也。所以道。了了了時無可了。玄玄玄處直須呵。雪竇又拈云。乾坤之內宇宙之間。中有一寶。祕在形山。掛在壁上。達磨九年。不敢正眼覷著。而今衲僧要見。劈脊便棒。看他本分宗師。終不將實法繫綴人。玄沙云。羅籠不肯住。呼喚不回頭。雖然恁麼。也是靈龜曳尾。雪竇頌云。
新字:雲門道。汝若相当去。且覓箇入路。微塵諸仏在爾脚跟下。三蔵聖教。在爾舌頭上。不如悟去好。和尚子莫妄想。天是天地是地。山是山水是水。僧是僧俗是俗。良久云。与我拈面前按山来看。便有僧出問云。学人見山是山水是水時如何。門云。三門為什麼従這裏過。恐爾死却。遂以手劃一劃云。識得時。是醍醐上味。若識不得。反為毒薬也。所以道。了了了時無可了。玄玄玄処直須呵。雪竇又拈云。乾坤之内宇宙之間。中有一宝。秘在形山。掛在壁上。達磨九年。不敢正眼覷著。而今衲僧要見。劈脊便棒。看他本分宗師。終不将実法繋綴人。玄沙云。羅籠不肯住。呼喚不回頭。雖然恁麼。也是霊亀曳尾。雪竇頌云。
書き下し
雲門道ふ、「汝若し相当し去らば、且く箇の入路を覓めよ。微塵の諸仏は爾が脚跟下に在り、三蔵の聖教は爾が舌頭上に在り。悟り去るに如かず。和尚子、妄想すること莫かれ。天は是れ天、地は是れ地、山は是れ山、水は是れ水、僧は是れ僧、俗は是れ俗」。良久して云く、「我が与に面前の案山を拈じ来たれ、看ん」。便ち僧有り出でて問うて云く、「学人、山は是れ山、水は是れ水と見る時如何」。門云く、「三門什麼としてか這裏より過ぐる」。爾が死却せんことを恐れて、遂に手を以て劃一劃して云く、「識得する時は是れ醍醐の上味、若し識不得ならば反つて毒薬と為る」と。所以に道ふ、「了了として了する時、了すべき無し。玄玄たる玄の処、直に須らく呵すべし」と。雪竇又拈じて云く、「乾坤の内、宇宙の間、中に一宝有り、形山に秘在す。壁上に掛在す。達磨九年、敢へて正眼に覷著せず。而今衲僧見んと要せば、脊を劈いて便ち棒せん」と。看よ他の本分の宗師、終に実法を将て人を繋綴せず。玄沙云く、「羅籠すれども住まることを肯ぜず、呼喚すれども頭を回らさず」と。恁麼なりと雖然も、也た是れ霊亀の尾を曳くなり。雪竇頌して云く、
現代語訳
雲門は言った。「お前たちがもしこれにかなおうとするなら、まず入り口を探せ。微塵のように無数の諸仏はお前の足もとにおり、三蔵の聖なる教えはお前の舌の上にある。悟ってしまうに越したことはない。お坊さんたち、妄想してはならない。天は天、地は地、山は山、水は水、僧は僧、俗は俗である」。しばらく黙ってから言った。「私のために目の前の案山を持ってきてみよ」。すると一人の僧が出てきて問うた。「私が山は山、水は水と見るときはどうですか」。雲門「山門はなぜここを通り過ぎるのか」。お前が死んでしまうのを恐れて、手で一線を引いて言った。「わかったときは醍醐の最上の味、わからなければかえって毒薬となる」と。だから言う、「はっきりと了解したとき、了解すべきものは無い。玄のまた玄のところは、ただちに叱りつけよ」と。雪竇はまた取り上げて言った。「天地の内、宇宙の間、その中に一つの宝があり、形ある山に秘められている。それを壁に掛けておく。達磨は九年、まともに見ようとしなかった。今、僧たちが見ようとするなら、背骨を打ち割って棒を食らわせよう」と。見よ、あの本分の宗師は、決して固定した法で人を縛りつけない。玄沙は言う、「網で囲っても留まろうとせず、呼んでも振り返らない」と。とはいえ、それもまた霊亀が尾で跡を掃いて、かえって跡を残すようなものだ。雪竇は頌して言う。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第六十二則挙す。雲門示衆して云く、「乾坤の内、宇宙の間、中に一宝有り、形山に秘在す。灯籠を拈じて仏殿裏に向かひ、三門を将ち来たりて灯籠上に」。
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『碧巌録』第六十二則見ずや、鏡清、曹山に問ふ、「清虚の理、畢竟無身の時如何」。山云く、「理は即ち是くの如し、事は作麼生」。清云く、「理の如く事の如し」。山云く、「曹山一人を瞞ずることは即ち得たり、諸聖の眼を争奈何せん」。清云く、「若し諸聖の眼無くんば、争でか恁麼ならざることを知らん」。山云く、「官には針をも容れず、私には車馬を通ず」と。所以に道ふ、「乾坤の内、宇宙の間、中に一宝有り、形山に秘在す」と。大意は人人具足し箇箇円成することを明かす。雲門便ち拈じ来たりて衆に示す。已に是れ十分に現成す。更に座主の相似く爾が与に注解し去るべからず。他は慈悲もて更に爾が与に注脚を下して道ふ、「灯籠を拈じて仏殿裏に向かひ、三門を将ち来たりて灯籠上に」と。且く道へ、雲門恁麼に道ふ、意作麼生。見ずや、古人云く、「無明の実性即ち仏性、幻化の空身即ち法身」と。又云く、「凡心に即して仏心を見る」と。形山とは即ち是れ四大五蘊なり。中に一宝有り、形山に秘在す。所以に道ふ、「諸仏は心頭に在り、迷人は外に向かつて求む。内に無価の宝を懐きて識らず、一生休す」と。又道ふ、「仏性堂堂として顕現すれども、住相の有情は見難し。若し衆生の無我を悟らば、我が面何ぞ仏面に殊ならん。心は是れ本来の心、面は是れ娘生の面。劫石は移動すべきも、箇中は改変無し」と。
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『碧巌録』第八十七則尽大地是れ薬、古今何ぞ太だ錯れる。門を閉ぢて車を造らず、通途自ら寥廓たり。錯、錯。鼻孔遼天、亦た穿却す。尽大地是れ薬、古今何ぞ太だ錯れる。爾若し喚んで薬と作して会せば、古より今に至るまで、一時に錯り了れり。雪竇云く、「有般の漢、太梅の脚跟を截断することを解せず、只管に道ふ、程を貪ること太だ速しと」。他は雲門の脚跟を截つことを解す。雲門の這の一句、天下の人を惑乱するが為なり。雲門云く、「拄杖子是れ浪、爾に七縦八横を許す。尽大地是れ浪、爾が頭出頭没を看ん」と。門を閉ぢて車を造らず、通途自ら寥廓たり。雪竇道ふ、爾が為に一線の路を通ず。爾若し門を閉ぢて車を造り、門を出でて轍に合はば、箇の甚事をか済さん。我が這裏は門を閉ぢて也た車を造らず、門を出づれば自然に寥廓たり。他は這裏に略ぼ些子の縫罅を露はして人をして見せしめ、又た連忙に却つて道ふ、「錯、錯」と。前頭も也た錯、後頭も也た錯。誰か知らん、雪竇一線の路を開くも也た是れ錯なることを。既然に鼻孔遼天ならば、什麼と為てか也た穿却す。会せんと要すや。且く参ずること三十年。爾に拄杖子有らば、我れ爾に拄杖子を与へん。爾若し拄杖子無くんば、人に鼻孔を穿却せらるることを免れず。
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『碧巌録』第二十七則凡そ言を出し気を吐くには、須らく是れ鉗の如く鋏の如く、鉤有り鎖有るべし。須らく是れ相続して断えずして始めて得べし。這の僧の問処に宗旨有り、雲門の答処も亦然り。雲門は尋常三句を以て人を接す、此れは是れ極則なり。雪竇の這の公案を頌する、大龍の公案を頌するに相類す。「三句辨ずべし」、一句の中に三句を具す。若し辨得せば則ち三句の外に透出す。「一鏃空を遼かにす」、鏃は乃ち箭鏃なり。射得て太だ遠し、須らく是れ急に眼を著けて看て始めて得べし。若也見得て分明ならば、以て一句の下に大千沙界を開展すべし。此に到って頌し了って、雪竇余才有り、所以に展開して頌出して道ふ、「大野、涼飈颯颯、長天、疎雨濛濛」と。且く道へ、是れ心か是れ境か、是れ玄か是れ妙か。古人道ふ、「法法隠蔵せず、古今常に顕露す」と。他問ふ、「樹凋み葉落つる時如何」。雲門道ふ、「体露金風」。雪竇の意は只だ一境と作す。如今眼前、風拂拂地、是れ東南の風にあらずんば、便ち是れ西北の風。直に須らく便ち恁麼に会して始めて得べし。爾若し更に禅道の会を作さば、便ち交渉没し。「君見ずや、少林に久しく坐して未だ帰らざる客」。達磨未だ西天に帰らざる時、九年面壁して静悄悄地。且く道へ、是れ樹凋み葉落つるか、且く道へ、是れ体露金風か。若し這裏に向かって、尽古今の凡聖、乾坤大地を打して一片と成さば、方に雲門・雪竇の的的たる為人の処を見ん。「静かに熊耳の一叢叢に依る」。熊耳は即ち西京嵩山の少林なり。前山も也た千叢万叢、後山も也た千叢万叢。諸人什麼の処に向かってか見る。還た雪竇の為人の処を見るや。也た是れ霊亀の尾を曳くなり。
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『碧巌録』第六十二則有る者は只だ箇の昭昭霊霊を認めて宝と為す。只だ是れ其の用を得ず、亦其の妙を得ず。所以に動転不得、開撥不行なり。古人道ふ、「窮すれば則ち変じ、変ずれば則ち通ず」と。「灯籠を拈じて仏殿裏に向かふ」、若し是れ常情ならば測度し得べし。「三門を将ち来たりて灯籠上に」、還た測度し得んや。雲門爾が与に一時に情識意想、得失是非を打破し了れり。雪竇道ふ、「我は愛す韶陽の新定の機、一生人の与に釘を抽き楔を抜く」と。又云く、「曲木位に拠ること幾何なるを知らん、利刃剪却して人をして愛せしむ」と。他道ふ、「灯籠を拈じて仏殿裏に向かふ」、這の一句已に截断し了れり。又「三門を将ち来たりて灯籠上に」。若し此の事を論ぜば、石火を撃つが如く、閃電光に似たり。
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『碧巌録』第六十二則看よ看よ、古岸何人か釣竿を把る。雲は冉冉、水は漫漫、明月蘆花君自ら看よ。若し雲門の語を識得せば、便ち雪竇の人の為にする処を見ん。他は雲門の示衆の後面の両句に向かつて、便ち爾が与に箇の注脚を下して云く、「看よ看よ」と。爾便ち瞠眉瞠眼の会を作さば、且く没交渉なることを得たり。古人道ふ、「霊光独り耀き、逈かに根塵を脱す。体真常を露はし、文字に拘はらず。心性は染無く、本自ら円成す。但だ妄縁を離るれば、即ち如如仏なり」と。若し只だ瞠眉努眼の処に向かつて坐殺せば、豈に能く根塵を脱得せんや。雪竇道ふ、「看よ看よ」と。雲門は古岸に在りて釣竿を把るが如く相似たり。雲は又冉冉、水は又漫漫、明月蘆花に映じ、蘆花明月に映ず。正当恁麼の時、且く道へ是れ何の境界ぞ。若し便ち直下に見得せば、前後只だ是れ一句に相似たり。瞠。
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