葉隠 / 聞書第一
少々は見のがし聞きのがしある故に下々は安穩である。何某當時儉約を細かに仕る由申し候へども、宜しからざる事なり。藻がらなどのあるゆゑ、其の蔭に魚は隱れて、成長するなり。少々は、見のがし聞きのがしある故に、下々は安穩なるなり。人の身持なども、此の心得あるべき事なり。
新字:少々は見のがし聞きのがしある故に下々は安穏である。何某当時倹約を細かに仕る由申し候へども、宜しからざる事なり。藻がらなどのあるゆゑ、其の蔭に魚は隠れて、成長するなり。少々は、見のがし聞きのがしある故に、下々は安穏なるなり。人の身持なども、此の心得あるべき事なり。
書き下し
少々は見のがし聞きのがしがある故に、下々(しもじも)は安穩(あんのん)である。何某(なにがし)が当時、倹約を細かに仕(つかまつ)る由(よし)申し候えども、宜しからざる事である。藻(も)がらなどがある故、その蔭(かげ)に魚は隠れて、成長するのである。少々は、見のがし聞きのがしがある故に、下々は安穩なのである。人の身持(みも)ちなども、この心得があるべき事である。
現代語訳
少しは見逃し聞き逃しがあるからこそ、下の者たちは安心して暮らせる。ある人が近ごろ倹約を細かに徹底していると聞くが、それはよくないことだ。水中に藻や水草があるからこそ、その陰に魚が身を隠して成長する。同じように、少しは見逃し聞き逃しがあるからこそ、下々は安らかでいられるのだ。人が身を保ち人を用いるうえでも、この心得を持つべきである。
解説
上に立つ者は、何もかも細かく取り締まってはいけない、と説く一条です。倹家(けんか)を細部まで厳しく徹底する態度を常朝はよしとせず、水草の陰に魚が隠れて育つように、少しの見逃し・聞き逃しがあってこそ下の者は安心して伸びていける、と説きます。あまりに厳格な監視は、かえって人を萎縮させ、組織の活力を奪うのです。葉隠は主従の情を重んじますが、その情には「あえて見ないでおく」寛容も含まれます。現代のマネジメントでも、細かすぎる管理は部下を息苦しくさせ、自発性を損ないます。あえて余白を残し、些細な失点を大目に見る度量が、人を育て、場を安らかにする。寛容こそ統率の知恵だという教えです。
この章句が説くこと
寛容余白細かすぎない管理人を育てる度量統率
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