碧巌録 / 第六十則
雪竇意道。既點額而回。必喪膽亡魂拈了也。聞不聞。重下注脚。一時與爾掃蕩了也。諸人直須灑灑落落去。休更紛紛紜紜。爾若更紛紛紜紜。失却拄杖子了也。七十二棒且輕恕。雪竇為爾捨重從輕。古人道七十二棒。翻成一百五十。如今人錯會。却只算數目。合是七十五棒。為什麼。却只七十二棒殊不知。古人意在言外。所以道。此事不在言句中。免後人去穿鑿。雪竇所以引用。直饒真箇灑灑。落落正好與爾七十二棒。猶是輕恕直饒總。不如此一百五十難放君。一時頌了也。却更拈拄杖。重重相為雖然恁麼。也無一箇皮下有血。嵎中書隱鼎刊圜悟碧巖錄。幸已訖事。四方禪友或收得祖庭事苑萬善同歸錄及禪宗文字。世罕刊本者。幸乞見示當為繡梓。以廣禪學。此亦方便接引之一端也。告毋舍玉幸甚 稟白。
新字:雪竇意道。既点額而回。必喪胆亡魂拈了也。聞不聞。重下注脚。一時与爾掃蕩了也。諸人直須灑灑落落去。休更紛紛紜紜。爾若更紛紛紜紜。失却拄杖子了也。七十二棒且軽恕。雪竇為爾捨重従軽。古人道七十二棒。翻成一百五十。如今人錯会。却只算数目。合是七十五棒。為什麼。却只七十二棒殊不知。古人意在言外。所以道。此事不在言句中。免後人去穿鑿。雪竇所以引用。直饒真箇灑灑。落落正好与爾七十二棒。猶是軽恕直饒総。不如此一百五十難放君。一時頌了也。却更拈拄杖。重重相為雖然恁麼。也無一箇皮下有血。嵎中書隠鼎刊圜悟碧巖録。幸已訖事。四方禅友或収得祖庭事苑万善同帰録及禅宗文字。世罕刊本者。幸乞見示当為繍梓。以広禅学。此亦方便接引之一端也。告毋舎玉幸甚 稟白。
書き下し
雪竇の意に道ふ、既に額に点して回る、必ず胆を喪ひ魂を亡ふと。「拈じ了れり、聞くや聞かずや」。重ねて注脚を下し、一時に爾が与に掃蕩し了れり。諸人直に須らく灑灑落落として去るべし、休めよ更に紛紛紜紜たることを。爾若し更に紛紛紜紜たらば、拄杖子を失却し了らん。「七十二棒且く軽恕す」。雪竇爾が為に重きを捨てて軽きに従ふ。古人道ふ、「七十二棒、翻つて一百五十と成る」と。如今の人錯会して、却つて只だ数目を算じて、「合に是れ七十五棒なるべし、什麼としてか却つて只だ七十二棒なる」と。殊に知らず、古人の意は言外に在ることを。所以に道ふ、此の事は言句の中に在らずと。後人の去いて穿鑿することを免れしめんとして、雪竇所以に引用す。直饒ひ真箇に灑灑落落たるも、正に好し爾に七十二棒を与ふるに、猶ほ是れ軽恕なり。直饒ひ総て此の如くならずんば、「一百五十君を放ち難し」。一時に頌し了り、却つて更に拄杖を拈じて、重重に相為す。恁麼なりと雖も、也た一箇の皮下に血有るもの無し。嵎中の書隠、鼎めて圜悟の碧巌録を刊し、幸ひに已に事を訖ふ。四方の禅友、或いは祖庭事苑・万善同帰録及び禅宗の文字の、世に刊本罕なる者を収め得ば、幸ひに乞ふ示されよ、当に為に梓に繍し、以て禅学を広むべし。此れも亦た方便接引の一端なり。告ぐ、玉を舎つること毋くんば幸甚なり。稟白す。
現代語訳
雪竇の意はこうだ、額に傷を受けて引き返したからには、きっと肝をつぶし魂を失っているだろう、と。「取り上げてしまった、聞こえたか聞こえないか」。重ねて注釈を下し、一度に君のためにすっかり払い清めてしまった。諸君はすっきりさっぱりと去るがよい。これ以上ごたごたと思い乱れるのはやめよ。君がもしさらにごたごたと思い乱れるなら、拄杖を失ってしまうだろう。「七十二棒はひとまず軽く許してやる」。雪竇は君のために重い罰を捨てて軽い罰に従ったのである。古人は「七十二棒が、かえって百五十棒になる」と言った。今の人は誤解して、ただ数を数えて「本来は七十五棒のはずなのに、なぜ七十二棒なのか」と言う。古人の意が言葉の外にあることを知らないのだ。だから、この事は言葉の中にはないと言う。後の人があれこれ穿鑿するのを免れさせようとして、雪竇はこれを引用したのである。たとえ本当にすっきりさっぱりしていても、まさに君に七十二棒を与えてちょうどよく、それでもなお軽く許したことになる。たとえまったくそうでないなら、「百五十棒は君を放しがたい」。一度に頌し終えて、さらに拄杖を取り上げ、重ね重ね人のためにはかった。そうではあるが、皮の下に血の通った者は一人もいない。嵎中の書隠が新たに圜悟の碧巌録を刊行し、幸いにすでに事を終えた。四方の禅友で、もし『祖庭事苑』『万善同帰録』や禅宗の書物のうち、世に刊本の少ないものを手に入れている方があれば、どうかお示しいただきたい。それらのために版木に彫って、禅学を広めたい。これもまた方便によって人を導く一端である。どうか宝玉を捨て置かれないよう、謹んで申し上げる。
解説
この章句が説くこと
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