碧巌録 / 第五十八則
趙州平生不行棒喝。用得過於棒喝。這僧問得來。也甚奇怪。若不是趙州。也難答伊。蓋趙州是作家。只向伊道。曾有人問我。直得五年分疎不下。問處壁立千仞。答處亦不輕他。只恁麼會直是當頭。若不會。且莫作道理計較。不見投子宗道者。在雪竇會下作書記。雪竇令參至道無難唯嫌揀擇。於此有省。一日雪竇問他。至道無難唯嫌揀擇。意作麼生。宗云。畜生畜生。後隱居投子。凡去住持。將袈裟裹草鞋與經文。僧問。如何是道者家風。宗云。袈裟裹草鞋。僧云。未審意旨如何。宗云。赤脚下桐城。所以道。獻佛不在香多。若透得脫去。縱奪在我。既是一問一答。歷歷現成。為什麼趙州却道。分疎不下。且道是時人窠窟否。趙州在窠窟裏答他。在窠窟外答他。須知此事不在言句上。或有箇漢徹骨徹髓。信得及去。如龍得水。似虎靠山。頌云。
新字:趙州平生不行棒喝。用得過於棒喝。這僧問得来。也甚奇怪。若不是趙州。也難答伊。蓋趙州是作家。只向伊道。曽有人問我。直得五年分疎不下。問処壁立千仞。答処亦不軽他。只恁麼会直是当頭。若不会。且莫作道理計較。不見投子宗道者。在雪竇会下作書記。雪竇令参至道無難唯嫌揀択。於此有省。一日雪竇問他。至道無難唯嫌揀択。意作麼生。宗云。畜生畜生。後隠居投子。凡去住持。将袈裟裹草鞋与経文。僧問。如何是道者家風。宗云。袈裟裹草鞋。僧云。未審意旨如何。宗云。赤脚下桐城。所以道。献仏不在香多。若透得脱去。縦奪在我。既是一問一答。歴歴現成。為什麼趙州却道。分疎不下。且道是時人窠窟否。趙州在窠窟裏答他。在窠窟外答他。須知此事不在言句上。或有箇漢徹骨徹髄。信得及去。如竜得水。似虎靠山。頌云。
書き下し
趙州平生棒喝を行ぜず、用得して棒喝に過ぐ。這の僧問ひ得来たること、也た甚だ奇怪なり。若し是れ趙州にあらずんば、也た伊に答へ難からん。蓋し趙州は是れ作家、只だ伊に向かつて道ふ、「曽て人有りて我に問ふ、直に得たり五年分疎し下らざることを」。問処は壁立千仞、答処も亦た他を軽んぜず。只だ恁麼に会せば直に是れ当頭なり。若し会せずんば、且く道理計較を作すこと莫かれ。見ずや、投子の宗道者、雪竇の会下に在つて書記と作る。雪竇令して至道無難唯嫌揀択に参ぜしむ。此に於て省有り。一日雪竇他に問ふ、「至道無難唯嫌揀択、意作麼生」。宗云く、「畜生、畜生」。後に投子に隠居す。凡そ去つて住持するに、袈裟を将つて草鞋と経文とを裹む。僧問ふ、「如何なるか是れ道者の家風」。宗云く、「袈裟、草鞋を裹む」。僧云く、「未審、意旨如何」。宗云く、「赤脚にして桐城に下る」。所以に道ふ、「仏に献ずるは香の多きに在らず」と。若し透得し脱し去らば、縦奪我に在り。既に是れ一問一答、歴歴として現成す。什麼としてか趙州却つて「分疎し下らず」と道ふ。且く道へ、是れ時人の窠窟なりや否や。趙州は窠窟裏に在つて他に答ふるか、窠窟外に在つて他に答ふるか。須らく知るべし、此の事は言句の上に在らざることを。或いは箇の漢有りて、徹骨徹髄、信得及し去らば、竜の水を得るが如く、虎の山に靠るに似たり。頌に云く。
現代語訳
趙州は平生、棒や喝を用いなかったが、その用い方は棒や喝以上であった。この僧の問い方はたいそう変わっている。もし趙州でなければ、彼に答えるのは難しかっただろう。趙州は名人であるから、ただ彼に「かつてある人がわしにそれを問うたが、五年たってもいまだに弁明しきれない」と言った。問いは万仞の絶壁のように切り立ち、答えもまた相手を軽んじていない。ただそのように理解すれば、まさにぴたりと的に当たっている。もし理解できなければ、ひとまず理屈や計算をしてはならない。知らないか、投子の宗道者は雪竇の門下で書記をしていた。雪竇は彼に「至道は難しくない、ただ選り好みを嫌うだけだ」に参じさせ、彼はそこで気づくところがあった。ある日、雪竇が彼に「至道無難唯嫌揀択とはどういう意味か」と問うと、宗は「畜生、畜生」と言った。後に投子山に隠れ住んだ。住持として赴くときはいつも、袈裟で草鞋と経文を包んでいった。僧が「道者の家風とは何ですか」と問うと、宗は「袈裟で草鞋を包む」と言った。僧「その意味はどういうことでしょうか」。宗「はだしで桐城へ下りていく」。だから「仏に献ずるのは香の多さではない」と言う。もし透り抜ければ、与えるも奪うも自分の思いのままである。一問一答がありありとそのまま現れているのに、なぜ趙州はかえって「弁明しきれない」と言うのか。さて言ってみよ、これは当世の人の巣穴なのか、そうでないのか。趙州は巣穴の中にいて答えたのか、巣穴の外にいて答えたのか。この事は言葉の上にはないと知らねばならない。もし骨の髄まで信じきることのできる男がいれば、竜が水を得たように、虎が山を背にしたようになるだろう。頌にいう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・問學・第一に信を體するを要す我は我を信じ得過ぐるも、人は未だ必ずしも我を信じ得過ぎず。故に君子は嫌を避く。若し正大光明の心を以てすること青天白日の如く、又た至誠惻怛の意を以てすること火の熱く水の寒きが如くんば、何の嫌か避く可けん。故に君子の學問は第一に信を體するを要す。只だ信じ了はらば、天下に些子の事無し。
-
『十善法語』巻第十・不邪見戒之上此仏有ルコトヲ信スレハ。的ヲ見テ矢ヲ発ツ如ク。孜孜トシテ善ヲ作シテ止ヌ。元来平等法性ノ中ニ。此仏ヲ信スレハ。此心即仏心ト云ヘシ。此場処省発モ入ラヌ。悟モイラヌ。教相判釈モイラヌ。文章利口モイラヌコトシヤ。此仏トナルヘキ道ヲ法ト名ル。其道ヲ行フ人ヲ菩薩ト名ツク。此道ヲ守護スル者ヲ諸天神祇ト名クルコトシヤ。此神祇有ルコトヲ信スレハ。タトヒ小根劣機ノ者モ。人シラヌ心ノ内ニモ。悪事ハ思ハレヌ。マシテ悪事ハナサレヌ。人ト云モノハ習ハセニ由ル。善ヲ習ヘハ善ニウツル。此習カ性トナリ。此善カ我心身トナル。天神ニ事テ天神ノ徳ヲ我身ニ全クスル。地水火風ノ四大神ヲ祭テ四大ノ徳ヲ全クスル。此徳ヲ全クスル時節カ聖賢ノ地位ニ入ルヘキ時節ソ。支那国ノ古書ニ。歴代王者ノ五行ノ徳ヲ述ル。是モナキコトニ非ス。天下ヲ掌握ノ中ニ全クスル人ハ。自ラ四大五行ノ徳アルヘシ。万般唯信アル者ト共ニ言フヘキコトシヤ。
-
『学問のすゝめ』十五編・事物を疑いて取捨を断ずること・信の世界に偽詐多く疑いの世界に真理多し信の世界に偽詐多く、疑いの世界に真理多し。試みに見よ、世間の愚民、人の言を信じ、人の書を信じ、小説を信じ、風聞を信じ、神仏を信じ、卜筮を信じ、父母の大病に按摩の説を信じて草根木皮を用い、娘の縁談に家相見の指図を信じて良夫を失い、熱病に医師を招かずして念仏を申すは阿弥陀如来を信ずるがためなり。三七日の断食に落命するは不動明王を信ずるがゆえなり。この人民の仲間に行なわるる真理の多寡を問わば、これに答えて多しと言うべからず。真理少なければ偽詐多からざるを得ず。けだしこの人民は事物を信ずといえども、その信は偽を信ずる者なり。ゆえにいわく、「信の世界に偽詐多し」と。
-
論語・学而篇有子曰く、「信義に近ければ、言復む可きなり。恭礼に近ければ、恥辱に遠ざかるなり。因りて其の親を失わざれば、亦宗とす可きなり。」
-
『十善法語』巻第四・不妄語戒又春秋ノ時。晋ノ荀吳鼓ヲ囲ム。鼓城ノ一人城ヲヒキヰ降ント請フ。穆子コレヲ許サス。左右ノ者ミナ云。兵ヲ労セズシテ城ヲ獲ル。何故許ササル。穆子曰。若是ヲ受テ賞ヲ行ハハ不忠不義ヲ賞スルニナラン。若コレヲ受テ賞セネハ信ヲ失フ。二途倶ニ道ニソムクト。使ヲツカハシテ叛人ノ名ヲ鼓城ニ告テ刑セシム。後三月鼓人降ント請。穆子曰。姑ク汝カ城ヲ守レ。猶食色有ト。軍吏曰。今日不義ナラス。民ヲ労セスシテ城ヲ獲ルニ。何故許ササルト穆子曰。彼未タ力尽ズシテ降ルハ怠ナリ。怠ヲ買ハ道全カラスト其後鼓人力竭食尽ルト告ク。鼓ニ克チ軍ヲ全シテ。一人ヲモ戮セスト。此等モ面白キ事実シヤ。
-
『十善法語』巻第十一・不邪見戒之中総シテ心ノアル処ハ形ノアル処。形ノ生スル処ニ其心生スルシヤ。此女人自ノ眉目鼻口ノソナヘニ自執着セシ故。一息截断ノ時。其着セル心還テ己カ面上ニ生シ。虫ト為テ暫モ離レ得ヌシヤ。摩訶羅ト云ハ梵語デ。此ニハ老ナリ愚ナリト翻スル。愚人ノ年ヲ重ネタル者ノ名シヤ。看ヨ。正法ハ智愚ヲ択ハヌ。唯信アル処ニ此縁起実相ハ顕ルルシヤ。今日ノ者モ純一ニ心ヲ寄セハ。仮令摩訶羅ナリトモ。甚深ノ法ニ通達スヘキシヤ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る