碧巌録 / 第五十八則
舉。僧問趙州。至道無難唯嫌揀擇。是時人窠窟否州云。曾有人問我。直得五年分疎不下。
新字:舉。僧問趙州。至道無難唯嫌揀択。是時人窠窟否州云。曽有人問我。直得五年分疎不下。
書き下し
挙す。僧、趙州に問ふ、「至道無難、唯嫌揀択。是れ時人の窠窟なりや否や」。州云く、「曽て人有りて我に問ふ、直に得たり五年分疎し下らざることを」。
現代語訳
ある僧が趙州に問うた、「『至道は難しくない、ただ選り好みを嫌うだけだ』というのは、当世の人の巣穴(決まりきった型)ではありませんか」。趙州は言った、「かつてある人がわしにそれを問うたが、五年たってもいまだに弁明しきれない」。
解説
第五十八則の本則で、前則に続き『信心銘』の「至道無難、唯嫌揀択」をめぐる趙州の問答である。僧は、この句は人々がこもる窠窟、つまり決まり文句の巣穴になっているのではないかと鋭く問う。趙州は、以前にも同じことを問われ、五年たってもまだ弁明しきれないと答えた。偉大な禅者がまだ説明しきれないと言うところに、この句が言葉では片づかないことが示されている。同時に、問うた僧を軽んじず、自分の未熟さとして受け止める姿勢がある。即答できない問いを誠実に抱え続けることが、深い理解につながると教えてくれる。
この章句が説くこと
趙州窠窟信心銘揀択問い誠実
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