碧巌録 / 第五十則
此集自大慧一炬之後。而又重罹兵燹。世鮮善刻。今得蜀本。校正頗完。猶恐中間亥豕魯魚不無一二。四方具眼高人為是正之抄錄。見教當復改竄。俾成金美。禪宗幸甚。嵎中書隱白
新字:此集自大慧一炬之後。而又重罹兵燹。世鮮善刻。今得蜀本。校正頗完。猶恐中間亥豕魯魚不無一二。四方具眼高人為是正之抄録。見教当復改竄。俾成金美。禅宗幸甚。嵎中書隠白
書き下し
此の集、大慧の一炬より後、而して又重ねて兵燹に罹り、世に善刻鮮し。今蜀本を得て、校正頗る完し。猶ほ恐らくは中間に亥豕魯魚、一二無きにあらざらん。四方具眼の高人、為に之を是正して、抄録して教へを見せば、当に復た改竄して、金美を成さしむべし。禅宗の幸甚なり。嵎中書隠白す。
現代語訳
この書は、大慧が版木を一たび焼いて以後、さらに重ねて戦火に遭い、世に良い刊本が少ない。今、蜀本を得て、かなり完全に校正した。それでもなお、途中に亥を豕に、魯を魚に誤るような字の誤りが一つ二つないとは限らないことを恐れる。四方の眼を具えた高人が、そのためにこれを正して書き写し、教えてくだされば、また改めて、金のような美しさを完成させたい。禅宗にとってこの上ない幸いである。嵎中書隠が申し上げる。
解説
第五十則の頌評唱の末尾に置かれた刊行者の後記であり、圜悟や雪竇の言葉ではない。大慧宗杲が『碧巌録』の版木を焼いて以後、さらに戦火に遭って良い刊本が乏しかったが、蜀本を得てかなり完全に校正したと述べる。そのうえで、亥を豕に、魯を魚に誤るような字の誤りがなお残っているかもしれないと恐れ、具眼の人に是正を請うている。署名は嵎中書隠とある。古典が焼失や戦乱を越えて、名も伝わらぬ人々の校正によって受け継がれてきたことを伝える一文である。完璧を期しつつ誤りの指摘を広く求める姿勢は、仕事の品質を守る者の手本となる。
この章句が説くこと
刊記校正伝承誠実大慧蜀本
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