碧巌録 / 第五十則
雪竇前面頌雲門對一說話道。對一說太孤絕。無孔鐵鎚重下楔。後面又頌馬祖離四句絕百非話道。藏頭白海頭黑。明眼衲僧會不得。若於此公案透得。便見這箇頌。雪竇當頭便道。鉢裏飯桶裏水。言中有響句裏呈機。多口阿師難下嘴。隨後便與爾下注脚也。爾若向這裏要求玄妙道理。計較轉難下嘴。雪竇只到這裏也得。他愛恁麼頭上先把定。恐眾中有具眼者覻破也。到後面須放過一著。俯為初機。打開頌出教人見。北斗依舊在北。南星依舊只在南。所以道。北斗南星位不殊。白浪滔天平地起。忽然平地上起波瀾。又作麼生若向事上覷則易。若向意根下尋。卒摸索不著。這箇如鐵橛子相似。擺撥不得。插嘴不得。爾若擬議欲會而不會。止而不止。亂呈懞袋。正是箇箇無裩長者子。寒山詩道。六極常嬰苦。九維徒自論。有才遺草澤。無勢閉蓬門。日上巖猶暗。煙消谷尚昏。其中長者子。箇箇總無裩。
新字:雪竇前面頌雲門対一説話道。対一説太孤絶。無孔鉄鎚重下楔。後面又頌馬祖離四句絶百非話道。蔵頭白海頭黒。明眼衲僧会不得。若於此公案透得。便見這箇頌。雪竇当頭便道。鉢裏飯桶裏水。言中有響句裏呈機。多口阿師難下嘴。随後便与爾下注脚也。爾若向這裏要求玄妙道理。計較転難下嘴。雪竇只到這裏也得。他愛恁麼頭上先把定。恐衆中有具眼者覻破也。到後面須放過一著。俯為初機。打開頌出教人見。北斗依旧在北。南星依旧只在南。所以道。北斗南星位不殊。白浪滔天平地起。忽然平地上起波瀾。又作麼生若向事上覷則易。若向意根下尋。卒摸索不著。這箇如鉄橛子相似。擺撥不得。挿嘴不得。爾若擬議欲会而不会。止而不止。乱呈懞袋。正是箇箇無裩長者子。寒山詩道。六極常嬰苦。九維徒自論。有才遺草沢。無勢閉蓬門。日上巖猶暗。煙消谷尚昏。其中長者子。箇箇総無裩。
書き下し
雪竇、前面に雲門の対一説の話を頌して道ふ、「対一説、太だ孤絶。無孔の鉄鎚重ねて楔を下す」。後面に又馬祖の離四句絶百非の話を頌して道ふ、「蔵頭白く海頭黒し、明眼の衲僧も会し得ず」。若し此の公案に於いて透得せば、便ち這箇の頌を見ん。雪竇当頭に便ち道ふ、「鉢裏の飯、桶裏の水」。言中に響き有り、句裏に機を呈す。「多口の阿師も嘴を下し難し」。随後に便ち汝が与に注脚を下すなり。汝若し這裏に向かつて玄妙の道理を要求せば、計較転た嘴を下し難し。雪竇只だ這裏に到つて也た得し。他は恁麼に頭上に先づ把定することを愛す、恐らくは衆中に具眼の者有つて覷破せんことを。後面に到つて須らく一著を放過し、俯して初機の為に、打開して頌出し、人をして見せしむ。北斗は依旧として北に在り、南星は依旧として只だ南に在り。所以に道ふ、「北斗南星位殊ならず」。「白浪滔天平地に起こる」。忽然として平地上に波瀾を起こす、又作麼生。若し事上に向かつて覷れば則ち易く、若し意根下に向かつて尋ぬれば、卒に摸索不著。這箇は鉄橛子の如くに相似て、擺撥し得ず、嘴を挿し得ず。汝若し擬議して会せんと欲して会せず、止めて止まらずんば、乱りに懞袋を呈す。正に是れ箇箇無裩の長者子なり。寒山の詩に道ふ、「六極常に苦に嬰り、九維徒らに自ら論ず。才有るも草沢に遺れ、勢無くして蓬門を閉づ。日上れども巌猶ほ暗く、煙消えて谷尚ほ昏し。其の中の長者子、箇箇総て裩無し」。
現代語訳
雪竇は前に雲門の「対一説」の話を頌して言った。「対一説、はなはだ孤絶。穴のない鉄の槌で重ねて楔を打ち込む」。後にはまた馬祖の「四句を離れ百非を絶つ」の話を頌して言った。「蔵の頭は白く、海の頭は黒い。眼の明らかな禅僧でも会得できない」。もしこの公案を突き抜けることができれば、この頌が見えるだろう。雪竇は冒頭ですぐに「鉢の中の飯、桶の中の水」と言った。言葉の中に響きがあり、句の中に機を示している。「口数の多い坊主でも、くちばしを差し挟みようがない」。その後すぐに、お前たちのために注釈を下しているのである。お前がもしここで玄妙な道理を求めるなら、あれこれ計るほど、くちばしを差し挟みにくくなる。雪竇はここまでで止めてもよかった。彼はこのように頭からまず押さえ込むことを好む。おそらく大衆の中に眼を具えた者がいて見破られるのを恐れたのである。後半に至ってはどうしても一手を譲り、身をかがめて初心の者のために、開いて頌に詠み、人に見せたのである。北斗は相変わらず北にあり、南の星は相変わらずただ南にある。それゆえ「北斗星と南の星とは、その位置を違えない」と言う。「白波が天にみなぎって、平らな地から起こる」。たちまち平らな地の上に波瀾を起こすとは、またどういうことか。事の上で見れば易しいが、意の根の下で尋ねるなら、結局つかみようがない。これは鉄の杭のようなもので、揺り動かすこともできず、くちばしを差し挟むこともできない。お前がもしあれこれ思案して会得しようとして会得できず、止めようとして止まらないなら、むやみに愚かさをさらけ出すことになる。まさに一人一人が褌もない長者の子である。寒山の詩に言う。「六方の果てまで常に苦しみにまといつかれ、九つの方位でむなしく自ら論じる。才があっても草深い野に取り残され、勢いがなくて蓬の門を閉ざしている。日が昇っても岩はなお暗く、もやが消えても谷はなお暗い。その中の長者の子は、一人一人みな褌がない」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第五十則鉢裏の飯、桶裏の水、多口の阿師も嘴を下し難し。北斗南星位殊ならず、白浪滔天平地に起こる。擬すれど擬せず、止むれど止まらず、箇箇無裩の長者子。
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『碧巌録』第五十五則雪竇偏に注脚を下すことを会す。他は是れ雲門下の児孫、凡そ一句の中に三句を具する底の鉗鎚あり。道ひ難き処に向かつて道破し、撥き開かざる処に向かつて撥開し、他の緊要の処に去いて頌出す。直に道ふ、「兎馬に角有り、牛羊に角無し」と。且く道へ、兎馬什麼としてか角有り、牛羊什麼としてか却つて角無き。若し前話を透得せば、始めて雪竇に人の為にする処有ることを知らん。有る者は錯会して道ふ、「道はざるは便ち是れ道ふなり、無句は是れ有句なり。兎馬に角無きを却つて角有りと云ひ、牛羊に角有るを却つて角無しと云ふ」と。且らく没交渉なることを得たり。殊に知らず、古人千変万化して此の如きの神通を現ずるは、只だ爾が這の精霊の鬼窟を打破せんが為なることを。若し透得し去らば、一箇の了の字を消ひず。「兎馬に角有り、牛羊に角無し。毫を絶し氂を絶し、山の如く嶽の如し」。這の四句は、摩尼宝珠一顆に相似たり。雪竇渾淪地に爾が面前に吐き了れり。末後は皆是れ欵に拠つて案を結す。「黄金の霊骨今猶ほ在り、白浪滔天何れの処にか著けん」。此れは石霜と太原孚の語を頌す。什麼としてか著くる処無き。「隻履西に帰つて曽て失却す」。霊亀尾を曳く。此れは是れ雪竇の転身して人の為にする処なり。古人道ふ、「他は活句に参じて死句に参ぜず」と。既に是れ失却す、他の一火什麼としてか却つて頭を競うて争ふ。
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『碧巌録』第五則雪竇自然に他の古人を見る、只だ他の命脈上に去いて一劄を消して、他の与に頌出す。「牛頭没し馬頭回る」。且く道へ、箇の什麼をか説く。見得透する底は、早朝に粥を喫し、斎時に飯を喫するが如くに相似たり、只だ是れ尋常なり。雪竇慈悲、当頭に一鎚に撃砕し、一句に截断す。只だ是れ妨げず孤峻なることを。石火を撃つが如く閃電光に似たり。鋒鋩を露はさず、爾が湊泊の処無し。且く道へ、意根下に向つて摸索し得んや。此の両句一時に道ひ尽し了れり。雪竇第三句、却つて一線道を通じて、略ぼ些かの風規を露はす。早く是れ落草なり。第四句、直下に更に是れ落草なり。若し言上に言を生じ、句上に句を生じ、意上に意を生じて、解を作し会を作さば、唯だ老僧を帯累するのみにあらず、亦乃ち雪竇に辜負せん。古人の句は此の如くなりと雖も、意は此の如くならず。終に道理を作して人を繋縛せず。「曹渓鏡裏塵埃を絶す」。多少の人か道ふ、「静心便ち是れ鏡」と。且喜すらくは没交渉。只管に計較道理を作す、什麼の了期か有らん。這箇は是れ本分の説話、山僧敢へて本分に依らずんばあらず。「牛頭没し馬頭回る」、雪竇分明に説き了れり。自ら是れ人見ず。所以に雪竇此の如く郎当として頌して道ふ、「鼓を打つて看来れども君見ず」。癡人還た見るや。更に爾に向つて道ふ、「百花春至つて誰が為にか開く」。謂つべし戸牖を豁開して、爾が与に一時に八字に打開し了れりと。春来るに及んで、幽谷野澗、乃至人無き処にも、百花競ひ発く。爾且く道へ、更に誰が為にか開く。
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『碧巌録』第二十八則山僧常に説く、若し是れ一句を添へば、甜蜜蜜地なるも、好好に観来たれば、正に是れ毒薬なり。若し是れ脊を劈いて便ち棒し、口に驀って便ち摑し、推し将ち出し去らば、方に始めて親切に人の為にす。「衲僧今古頭を競って走る」。到る処、是にも也た問ひ、不是にも也た問ひ、仏を問ひ祖を問ひ、向上を問ひ向下を問ふ。此の如くなりと雖然も、若し未だ這の田地に到らずんば、也た少くことを得ず。「明鏡台に当たって列像殊なり」、只だ一句を消ひて、明白を辨ずべし。古人道ふ、「万象及び森羅、一法の印する所なり」と。又道ふ、「森羅及び万象、総て箇中に在って円かなり」と。神秀大師云く、「身は是れ菩提樹、心は明鏡台の如し。時時に勤めて払拭して、塵埃を惹かしむること勿れ」。大満云く、「他は只だ門外に在り」。雪竇恁麼に道ふ、且く道へ、門内に在るか門外に在るか。爾等諸人、各一面の古鏡有り、森羅万象、長短方円、一一中に於て顕現す。爾若し長短の処に去って会せば、卒に摸索不著ならん。所以に雪竇道ふ、「明鏡台に当たって列像殊なり」と。却って須らく是れ「一一南に面して北斗を看る」べし。既に是れ南に面す、什麼と為てか却って北斗を看る。若し恁麼に会得せば、方に百丈・南泉の相見の処を見ん。此の両句は百丈の挨拶の処を頌す。丈云く、「我は又是れ大善知識にあらず、争でか説と不説と有ることを知らん」。雪竇此に到って頌し得て、死水裏に落在す。人の錯って会せんことを恐れて、却って自ら提起して云く、即今目前「斗柄垂る」、爾更に什麼の処に去ってか討ねん。爾纔かに「鼻孔を拈得すれば口を失却し」、口を拈得すれば鼻孔を失却し了れり。
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