碧巌録 / 第四十五則
十八問中。此謂之編辟問。雪竇道。編辟曾挨老古錐。編辟萬法。教歸一致。這僧要挨拶他趙州。州也不妨作家。向轉不得處有出身之路。敢開大口便道。我在青州作一領布衫。重七斤。雪竇道。這箇七斤布衫能有幾人知。如今拋擲西湖裏。萬法歸一。一亦不要。七斤布衫亦不要。一時拋在西湖裏。雪竇住洞庭翠峯。有西湖也。下載清風付與誰。此是趙州示眾。爾若向北來。與爾上載。爾若向南來。與爾下載。爾若從雪峯雲居來。也是箇擔板漢。雪竇道。如此清風堪付阿誰。上載者。與爾說心說性。說玄說妙。種種方便。若是下載。更無許多義理玄妙。有底擔一擔禪。到趙州處。一點也使不著。一時與他打疊。教灑灑落落無一星事。謂之悟了還同未悟時。
新字:十八問中。此謂之編辟問。雪竇道。編辟曽挨老古錐。編辟万法。教帰一致。這僧要挨拶他趙州。州也不妨作家。向転不得処有出身之路。敢開大口便道。我在青州作一領布衫。重七斤。雪竇道。這箇七斤布衫能有幾人知。如今抛擲西湖裏。万法帰一。一亦不要。七斤布衫亦不要。一時抛在西湖裏。雪竇住洞庭翠峯。有西湖也。下載清風付与誰。此是趙州示衆。爾若向北来。与爾上載。爾若向南来。与爾下載。爾若従雪峯雲居来。也是箇担板漢。雪竇道。如此清風堪付阿誰。上載者。与爾説心説性。説玄説妙。種種方便。若是下載。更無許多義理玄妙。有底担一担禅。到趙州処。一点也使不著。一時与他打畳。教灑灑落落無一星事。謂之悟了還同未悟時。
書き下し
十八問の中、此れを編辟問と謂ふ。雪竇道ふ、「編辟曾て挨す老古錐」。万法を編辟して、教へて一致に帰せしむ。這の僧、他の趙州を挨拶せんと要す。州も也た妨げず作家なることを。転じ得ざる処に向かつて出身の路有り。敢へて大口を開いて便ち道ふ、「我れ青州に在つて一領の布衫を作る、重きこと七斤」。雪竇道ふ、「這箇の七斤の布衫、能く幾人か知ること有る」。「如今拋擲す西湖の裏」。万法一に帰す、一も亦た要せず、七斤の布衫も亦た要せず、一時に西湖の裏に拋在す。雪竇は洞庭の翠峰に住す、西湖有り。「下載の清風誰にか付与せん」。此れは是れ趙州の示衆なり。「汝若し北に向かつて来たらば、汝が与に上載せん。汝若し南に向かつて来たらば、汝が与に下載せん。汝若し雪峰・雲居より来たらば、也た是れ箇の担板漢」。雪竇道ふ、「此くの如き清風、阿誰にか付するに堪へん」。上載とは、汝が与に心を説き性を説き、玄を説き妙を説き、種種の方便す。若し是れ下載ならば、更に許多の義理玄妙無し。有る底は一担の禅を担うて趙州の処に到れば、一点も也た使ひ著けず、一時に他が与に打畳して、灑灑落落として一星の事無からしむ。之を悟り了つて還つて未だ悟らざる時に同じと謂ふ。
現代語訳
十八種の問いの中で、これを編辟問(畳みかけて迫る問い)という。雪竇は「畳みかける問いで、かつてこの老いた古錐に迫った」と言う。あらゆるものを畳みかけて、教えて一つに帰着させる。この僧は趙州に迫ろうとした。趙州もさすがに練達の者である。転じようのないところで身を抜け出す道を持っている。あえて大口を開いてすぐに言った。「わしは青州にいた時に一枚の麻の上着を作った。重さは七斤だった」。雪竇は言う。「この七斤の上着を、いったい幾人が知ることができるか」。「今それを西湖の中へ放り投げた」。あらゆるものは一つに帰するが、その一つも要らない、七斤の上着も要らない、一度に西湖の中へ放り込んだのである。雪竇は洞庭の翠峰に住んでおり、そこに西湖がある。「荷を下ろした帰り船の清風を、誰に授けようか」。これは趙州の示衆によるものである。「お前がもし北から来たら、お前のために荷を積んでやろう。お前がもし南から来たら、お前のために荷を下ろしてやろう。お前がもし雪峰や雲居から来たなら、それも板を担いだ男(片側しか見えない者)だ」。雪竇は「このような清風を、誰に授けることができようか」と言うのである。荷を積むとは、お前のために心を説き性を説き、玄を説き妙を説き、さまざまな方便を用いることである。荷を下ろすとなれば、もうそんな多くの道理や玄妙はない。ある者は一荷の禅を担いで趙州のところへ来るが、少しも使いものにならず、一度にすべて片づけられて、さっぱりと何一つ事のない者にされる。これを、悟り終えてみればかえって未だ悟らない時と同じ、という。
解説
この章句が説くこと
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