碧巌録 / 第四十一則
趙州問投子。大死底人却活時如何。投子對他道。不許夜行。投明須到。且道是什麼時節。無孔笛撞著氈拍版。此謂之驗主問。亦謂之心行問。投子趙州諸方皆美之得逸群之辯。二老雖承嗣不同。看他機鋒相投一船。投子一日為趙州。置茶筵相待。自過蒸餅與趙州。州不管。投子令行者過胡餅與趙州。州禮行者三拜。且道他意是如何。看他盡是向根本上。提此本分事為人。有僧問。如何是道。答云。道。如何是佛。答云。佛。又問。金鎖未開時如何。答云。開。金雞未鳴時如何。答云。無這箇音響。鳴後如何。答云。各自知時。投子平生問答總如此。
新字:趙州問投子。大死底人却活時如何。投子対他道。不許夜行。投明須到。且道是什麼時節。無孔笛撞著氈拍版。此謂之験主問。亦謂之心行問。投子趙州諸方皆美之得逸群之弁。二老雖承嗣不同。看他機鋒相投一船。投子一日為趙州。置茶筵相待。自過蒸餅与趙州。州不管。投子令行者過胡餅与趙州。州礼行者三拝。且道他意是如何。看他尽是向根本上。提此本分事為人。有僧問。如何是道。答云。道。如何是仏。答云。仏。又問。金鎖未開時如何。答云。開。金鶏未鳴時如何。答云。無這箇音響。鳴後如何。答云。各自知時。投子平生問答総如此。
書き下し
趙州、投子に問ふ、「大死底の人、却つて活する時如何」。投子他に対して道ふ、「夜行を許さず、明に投じて須らく到るべし」。且く道へ、是れ什麼の時節ぞ。無孔笛、氈拍版に撞著す。此れを験主問と謂ひ、亦た心行問と謂ふ。投子・趙州、諸方皆之を美して逸群の弁を得たりとす。二老、承嗣同じからずと雖も、看よ他の機鋒相投じて一船なることを。投子一日、趙州の為に茶筵を置いて相待す。自ら蒸餅を過して趙州に与ふ。州管せず。投子、行者をして胡餅を過して趙州に与へしむ。州、行者を礼すること三拝す。且く道へ、他の意是れ如何。看よ他は尽く是れ根本上に向かつて、此の本分事を提して人の為にす。僧有り問ふ、「如何なるか是れ道」。答へて云く、「道」。「如何なるか是れ仏」。答へて云く、「仏」。又問ふ、「金鎖未だ開かざる時如何」。答へて云く、「開」。「金鶏未だ鳴かざる時如何」。答へて云く、「這箇の音響無し」。「鳴いて後如何」。答へて云く、「各自時を知る」。投子平生の問答総て此くの如し。
現代語訳
趙州が投子に問うた。「大いに死にきった人が、却って生き返った時はどうか」。投子は彼に向かって言った。「夜歩きは許さない。夜が明けてから必ず到れ」。さあ言ってみよ、これはどういう時節か。穴のない笛が毛氈の拍子木にぶつかったようなものだ。これを験主問(師家を試す問い)といい、また心行問ともいう。投子と趙州は、諸方がみな群を抜いた弁才の持ち主だと称えた。二老は法を嗣いだ系統こそ違うが、見よ、その機鋒は互いにかみ合い、同じ一艘の船に乗っているようだ。投子はある日、趙州のために茶の席を設けてもてなし、自ら蒸し餅を取って趙州に渡した。趙州は取り合わなかった。投子が行者に胡餅を渡させると、趙州は行者に三拝した。さあ言ってみよ、その意はどこにあるか。見よ、彼らはみな根本のところで、この本分の事を持ち出して人を導いているのである。ある僧が問うた。「道とは何か」。答えて「道」。「仏とは何か」。答えて「仏」。また問うた。「金の鎖がまだ開かぬ時はどうか」。答えて「開」。「金の鶏がまだ鳴かぬ時はどうか」。答えて「そのような音は無い」。「鳴いた後はどうか」。答えて「各自が時を知る」。投子の平生の問答はすべてこのようであった。
解説
この章句が説くこと
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『甲陽軍鑑』品第四十子細は信玄公わかうまします時より、諸侍のことばをよくきゝ、分別あるも、なきも、つよからんも、よはからんも其人の物いふ儀にてつもり被成たるが、今日にいたるまでも、それがしむけんならくへ堕罪仕らん、少もあひちがはず候、さるほどに、よき事をもほめ所を見いだし、聞付穿鑿の取さたをもつて善をば善と定め、悪をば悪とさだめ、道理をつめてほめそしる武士の作法なり、さなくして、かたはし聞て我贔負の者を虚空によきとばかり批判する事女にあひにたる侍、と信玄公の常々御諚これなり、如此有様にせんさくあそばす故、若手に能武士出くるなりと阿部加賀守申て、金丸助六郎·同惣蔵にをしゆる也、
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『正法眼蔵随聞記』巻一宋土の寺院なんどには都て雑談をせざれば、其やうなること、をも云はざるなり、吾が国も近ごろ建仁寺の僧正存生の時は、一向あからさまにも此の如きの言語出来らず、滅後にも存世の時の弟子等、少々残りとヾまりたりし時は一切に云はざりき、近ごろ此の七八年より以来、今ま出の若き人たち時々談ずるなり、存外の次第なり、聖教の中にも麁强悪業令人覚悟無利言説能障正道とありて、只うち出して云処の言ばすら、無利の言説は障道の因縁なり況やかくの如きの言語は、ことばに引れて即ち心も起りつべし、最も用心すべきなり、故さらにかくなん云はじとせずとも、悪きことゝ知りなば漸々に退治すべきなり、
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