碧巌録 / 第三十五則
垂示云。定龍蛇分玉石。別緇素決猶豫。若不是頂門上有眼。肘臂下有符。往往當頭蹉過。只如今見聞不昧。聲色純真。且道是皂是白。是曲是直。到這裏作麼生辨。
新字:垂示云。定竜蛇分玉石。別緇素決猶予。若不是頂門上有眼。肘臂下有符。往往当頭蹉過。只如今見聞不昧。声色純真。且道是皂是白。是曲是直。到這裏作麼生弁。
書き下し
垂示に云く、龍蛇を定め玉石を分かち、緇素を別ち猶予を決す。若し是れ頂門上に眼有り、肘臂下に符有るにあらずんば、往往にして当頭に蹉過せん。只如ば今見聞昧からず、声色純真なる、且く道へ、是れ皂か是れ白か、是れ曲か是れ直か。這裏に到りて作麼生か辨ぜん。
現代語訳
垂示にいう。龍と蛇を見定め、玉と石を分け、黒衣の僧と白衣の俗人を区別し、迷いためらうことに決着をつける。もし頭頂に眼があり、肘の下に護符を帯びているような者でなければ、しばしば真正面ですれちがってしまう。たとえば今、見ることも聞くことも曇りなく、音も色もまったく純粋で真実であるとき、さて言ってみよ、それは黒か白か、曲がっているかまっすぐか。ここに至って、どう見分けるのか。
解説
第三十五則に付けた圜悟の垂示である。龍と蛇、玉と石、出家と在家を見分け、迷いに決着をつけるには、頂門に眼を具えた者でなければならないと言う。そうでなければ、真正面にあるものとすれ違ってしまう。そのうえで、見聞が曇らず声色がそのまま真実であるとき、黒か白か、曲か直かをどう見分けるのかと問いを返す。区別する眼と、区別を超えた眼の両方を求めているのである。この後に、文殊と無著の前三三後三三の問答が続く。目の前の人や状況を見誤らない眼と、決めつけない柔らかさの両方を考えさせる垂示である。
この章句が説くこと
垂示具眼分別判断竜蛇玉石
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