碧巌録 / 第三十四則
只如善道和尚。遭沙汰後。更不復作僧。人呼為石室行者。每踏碓忘移步。僧問臨濟。石室行者忘移步意旨如何。濟云。沒溺深坑。法眼圓成實性頌云。理極忘情謂。如何有喻齊。到頭霜夜月。任運落前溪。菓熟兼猿重。山長似路迷。舉頭殘照在。元是住居西。雪竇道。君不見。寒山子行太早。十年歸不得。忘却來時道。寒山子詩云。欲得安身處。寒山可長保。微風吹幽松。近聽聲愈好。下有班白人。嘮嘮讀黃老。十年歸不得。忘却來時道。永嘉又道。心是根法是塵。兩種猶如鏡上痕。痕垢盡時光始現。心法雙忘性即真。到這裏。如癡似兀。方見此公案。若不到這田地。只在語言中走。有甚了曰。
新字:只如善道和尚。遭沙汰後。更不復作僧。人呼為石室行者。毎踏碓忘移歩。僧問臨済。石室行者忘移歩意旨如何。済云。没溺深坑。法眼円成実性頌云。理極忘情謂。如何有喩斉。到頭霜夜月。任運落前渓。菓熟兼猿重。山長似路迷。舉頭残照在。元是住居西。雪竇道。君不見。寒山子行太早。十年帰不得。忘却来時道。寒山子詩云。欲得安身処。寒山可長保。微風吹幽松。近聴声愈好。下有班白人。嘮嘮読黄老。十年帰不得。忘却来時道。永嘉又道。心是根法是塵。両種猶如鏡上痕。痕垢尽時光始現。心法双忘性即真。到這裏。如痴似兀。方見此公案。若不到這田地。只在語言中走。有甚了曰。
書き下し
只だ善道和尚の如きは、沙汰に遭ひて後、更に復た僧と作らず。人呼んで石室の行者と為す。碓を踏む毎に歩を移すことを忘る。僧臨済に問ふ、石室の行者歩を移すことを忘るる意旨如何。済云く、深坑に没溺すと。法眼の円成実性の頌に云く、理極まりて情謂を忘ず、如何ぞ喩の斉しき有らん。到頭霜夜の月、任運に前渓に落つ。菓熟して猿を兼ねて重く、山長くして路に迷ふに似たり。頭を挙ぐれば残照在り、元より是れ住居の西と。雪竇道ふ、君見ずや、寒山子、行くこと太だ早し、十年帰ることを得ず、来時の道を忘却すと。寒山子の詩に云く、身を安んずる処を得んと欲せば、寒山長く保つべし。微風幽松を吹き、近く聴けば声愈好し。下に斑白の人有り、嘮嘮として黄老を読む。十年帰ることを得ず、来時の道を忘却すと。永嘉又道ふ、心は是れ根、法は是れ塵、両種猶ほ鏡上の痕の如し。痕垢尽くる時光始めて現じ、心法双び忘じて性即ち真なりと。這裏に到りては、癡の如く兀に似て、方に此の公案を見ん。若し這の田地に到らずんば、只だ語言の中に在りて走らん。甚の了日か有らん。
現代語訳
たとえば善道和尚は、仏教弾圧で還俗させられたのち、二度と僧に戻らなかった。人々は彼を石室の行者と呼んだ。彼は唐臼を踏むたびに、足を移すのを忘れた。ある僧が臨済に問うた、「石室の行者が足を移すのを忘れたのは、どういう意味ですか」。臨済は言った、「深い穴に溺れ沈んだのだ」。法眼の「円成実性」の頌に言う、「道理が極まれば思いも言葉も忘れる。どうして喩えで並べられようか。結局は霜の夜の月が、自然のままに前の谷川に落ちる。果実が熟して猿の重みも加わり、山が長くて道に迷ったかのようだ。頭を上げれば夕日の名残があり、もとから住まいは西にあったのだ」。雪竇は言う、「君は見ないか、寒山子は行くのがあまりに早かった。十年帰ることができず、来たときの道を忘れてしまった」。寒山子の詩に言う、「身を安らかに置く場所を得たいなら、寒山こそいつまでも保てる。そよ風が奥深い松を吹き、近くで聴けばその音はいよいよよい。その下に白髪まじりの人がいて、ぶつぶつと黄帝や老子の書を読んでいる。十年帰ることができず、来たときの道を忘れてしまった」。永嘉もまた言う、「心は根であり、法は塵である。二つはちょうど鏡の上の汚れのようなものだ。汚れが尽きたとき光がはじめて現れ、心も法もともに忘れたとき本性がそのまま真となる」。ここに至っては、愚か者のように、ぼんやりとした者のようになって、はじめてこの公案が見える。もしこの境地に至らなければ、ただ言葉の中を走りまわるだけである。いつ終わる日があろうか。
解説
この章句が説くこと
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