碧巌録 / 第三十三則
陳操尚書。與裴休李翱同時。凡見一僧來。先請齋。襯錢三百。須是勘辨。一日雲門到相看便問。儒書中即不問。三乘十二分教。自有座主。作麼生是衲僧家行脚事。雲門云。尚書曾問幾人來。操云。即今問上座。門云。即今且置。作麼生是教意。操云。黃卷赤軸。門云。這箇是文字語言。作麼生是教意。操云。口欲談而辭喪。心欲緣而慮亡。門云。口欲談而辭喪。為對有言。心欲緣而慮亡。為對妄想。作麼生是教意。操無語。門云。見說尚書看法華經是否。操云是門云。經中道。一切治生產業。皆與實相不相違背。且道非非想天。即今有幾人退位。操又無語。門云。尚書且莫草草。師僧家拋却三經五論來入叢林。十年二十年。尚自不奈何。尚書又爭得會。操禮拜云。某甲罪過。
新字:陳操尚書。与裴休李翱同時。凡見一僧来。先請斎。襯銭三百。須是勘弁。一日雲門到相看便問。儒書中即不問。三乗十二分教。自有座主。作麼生是衲僧家行脚事。雲門云。尚書曽問幾人来。操云。即今問上座。門云。即今且置。作麼生是教意。操云。黄巻赤軸。門云。這箇是文字語言。作麼生是教意。操云。口欲談而辞喪。心欲縁而慮亡。門云。口欲談而辞喪。為対有言。心欲縁而慮亡。為対妄想。作麼生是教意。操無語。門云。見説尚書看法華経是否。操云是門云。経中道。一切治生産業。皆与実相不相違背。且道非非想天。即今有幾人退位。操又無語。門云。尚書且莫草草。師僧家抛却三経五論来入叢林。十年二十年。尚自不奈何。尚書又争得会。操礼拝云。某甲罪過。
書き下し
陳操尚書は、裴休・李翺と時を同じうす。凡そ一僧の来るを見れば、先づ斎を請じ、襯銭三百、須らく是れ勘辨す。一日雲門到りて相看す。便ち問ふ、儒書の中は即ち問はず、三乗十二分教は自ら座主有り。作麼生か是れ衲僧家行脚の事。雲門云く、尚書曾て幾人にか問ひ来る。操云く、即今上座に問ふ。門云く、即今は且く置く、作麼生か是れ教意。操云く、黄巻赤軸。門云く、這箇は是れ文字語言、作麼生か是れ教意。操云く、口談ぜんと欲して辞喪し、心縁ぜんと欲して慮亡ず。門云く、口談ぜんと欲して辞喪すとは、有言に対するが為なり。心縁ぜんと欲して慮亡ずとは、妄想に対するが為なり。作麼生か是れ教意。操無語。門云く、見説く尚書法華経を看ると、是なりや否や。操云く、是。門云く、経中に道く、一切の治生産業は、皆実相と相違背せずと。且く道へ、非非想天、即今幾人か位を退く。操又無語。門云く、尚書且く草草なること莫れ。師僧家三経五論を抛却して来りて叢林に入る、十年二十年、尚自ほ奈何ともせず。尚書又争でか会することを得ん。操礼拝して云く、某甲の罪過。
現代語訳
陳操尚書は、裴休や李翺と同じ時代の人である。僧が一人来るのを見るたびに、まず斎を供養し、布施に銭三百を添えて、必ずその力量を試した。ある日、雲門が訪ねてきて対面すると、陳操はすぐに問うた、「儒教の書物のことは問いません。三乗十二分教については経論の学僧がいます。禅僧の行脚の一大事とは、どういうことですか」。雲門は言った、「尚書はこれまで何人にこれを問うてきましたか」。陳操は言った、「今まさに上座に問うているのです」。雲門は言った、「今のことはひとまず置きましょう。経典の教えの意とは何ですか」。陳操は言った、「黄色い巻物に赤い軸です」。雲門は言った、「それは文字や言葉です。教えの意とは何ですか」。陳操は言った、「口で語ろうとすれば言葉が失われ、心で思おうとすれば思慮が消える」。雲門は言った、「口で語ろうとすれば言葉が失われるとは、言葉があることに対して言ったのです。心で思おうとすれば思慮が消えるとは、妄想に対して言ったのです。教えの意とは何ですか」。陳操は答えられなかった。雲門は言った、「尚書は『法華経』を読んでおられると聞きましたが、そうですか」。陳操は言った、「そうです」。雲門は言った、「経の中に、一切の生業や産業は、みな実相と背きあわない、とあります。さて言ってみてください、非想非非想天からは、今まさに何人が位を退いていますか」。陳操はまた答えられなかった。雲門は言った、「尚書、軽々しくしてはなりません。僧たちは三経五論を投げ捨てて禅の道場に入り、十年二十年たっても、なおどうにもならないのです。尚書にどうしてわかりましょうか」。陳操は礼拝して言った、「わたしの過ちでした」。
解説
この章句が説くこと
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