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碧巌録 / 第三十三則

又一日與眾官登樓次。望見數僧來。一官人云。來者總是禪僧。操云。不是。官云。焉知不是。操云。待近來與爾勘過。僧至樓前。操驀召云。上座。僧舉頭。書謂眾官云。不信道。唯有雲門一人。他勘不得。他參見睦州來。一日去參資福。福見來。便畫一圓相。資福乃溈山仰山下尊宿。尋常愛以境致接人。見陳操尚書便畫一圓相。爭奈操却是作家。不受人瞞。解自點檢云。弟子恁麼來早是不著便。那堪更畫一圓相。福掩却門。這般公案謂之言中辨的句裏藏機。雪竇道。陳操只具。一隻眼。雪竇可謂頂門具眼。且道意在什麼處。也好與一圓相。若總恁麼地。衲僧家如何為人。我且問爾。當時若是諸人作陳操時。堪下得箇什麼語。免得雪竇道他只具一隻眼。所以雪竇踏翻頌云。

新字:又一日与衆官登楼次。望見数僧来。一官人云。来者総是禅僧。操云。不是。官云。焉知不是。操云。待近来与爾勘過。僧至楼前。操驀召云。上座。僧舉頭。書謂衆官云。不信道。唯有雲門一人。他勘不得。他参見睦州来。一日去参資福。福見来。便画一円相。資福乃溈山仰山下尊宿。尋常愛以境致接人。見陳操尚書便画一円相。争奈操却是作家。不受人瞞。解自点検云。弟子恁麼来早是不著便。那堪更画一円相。福掩却門。這般公案謂之言中弁的句裏蔵機。雪竇道。陳操只具。一隻眼。雪竇可謂頂門具眼。且道意在什麼処。也好与一円相。若総恁麼地。衲僧家如何為人。我且問爾。当時若是諸人作陳操時。堪下得箇什麼語。免得雪竇道他只具一隻眼。所以雪竇踏翻頌云。

書き下し

又一日衆官と楼に登る次で、数僧の来るを望見す。一官人云く、来る者は総に是れ禅僧なり。操云く、不是。官云く、焉んぞ不是なることを知る。操云く、近く来るを待ちて爾が与に勘過せん。僧楼前に至る。操驀に召して云く、上座と。僧頭を挙ぐ。書衆官に謂ひて云く、信ぜず道ふことを。唯だ雲門一人のみ有りて、他勘不得なり。他は睦州に参見し来る。一日去いて資福に参ず。福来るを見て、便ち一円相を画く。資福は乃ち溈山・仰山下の尊宿、尋常愛して境致を以て人を接す。陳操尚書を見て便ち一円相を画く。争奈せん、操却つて是れ作家にして、人の瞞を受けず、解く自ら点検して云く、弟子恁麼に来る、早く是れ便を著けず、那ぞ堪へん更に一円相を画くをと。福門を掩却す。這般の公案、之を言中に的を辨じ、句裏に機を蔵すと謂ふ。雪竇道ふ、陳操は只だ一隻眼を具すと。雪竇は頂門に眼を具すと謂ひつべし。且く道へ、意什麼の処にか在る。也た好し一円相を与ふるに。若し総に恁麼地ならば、衲僧家如何にしてか人の為にせん。我れ且く爾に問ふ、当時若し是れ諸人陳操と作る時、箇の什麼の語をか下し得て、雪竇に他は只だ一隻眼を具すと道はるることを免れ得ん。所以に雪竇踏翻して頌して云く、

現代語訳

またある日、陳操は役人たちと楼に登っていて、何人かの僧がやって来るのを遠くに見た。一人の役人が言った、「来るのはみな禅僧ですね」。陳操は言った、「そうではない」。役人は言った、「どうしてそうでないとわかるのですか」。陳操は言った、「近くに来るのを待って、君たちのために試してみよう」。僧たちが楼の前に来ると、陳操は不意に呼びかけた、「上座」。僧たちは頭を上げた。陳操は役人たちに言った、「わたしの言うことを信じなかったな」。ただ雲門一人だけは、陳操も試しきれなかった。陳操は睦州に参じていた。ある日、資福に参じると、資福は彼が来るのを見て、すぐに円相を描いた。資福は溈山・仰山の系統の長老で、ふだんから好んで情景や形で人を導いた。陳操尚書を見て円相を描いたのもそれである。ところが陳操は練達の者で、人にだまされず、自分でちゃんと見きわめて言った、「わたしがこうしてやって来たのが、すでにまずかったのです。ましてそのうえ円相を描かれるとは」。資福は門を閉めた。こうした公案を、言葉の中に的を見分け、句の裏に機を隠すという。雪竇は「陳操は片方の眼しか具えていない」と言う。雪竇こそ頭頂に眼を具えていると言うべきである。さて言ってみよ、その意図はどこにあるのか。これにもまた一つ円相を与えてやるのがよい。もしみなこうであったら、禅僧はどうやって人のために導けようか。わたしは今お前たちに問う。もしあの時お前たちが陳操だったら、どんな一句を言えば、雪竇に片方の眼しか具えていないと言われずにすんだか。それで雪竇はひっくり返して頌じたのである。その頌に言う。

解説

第三十三則の本則評唱の後半である。陳操は楼の上から僧たちに上座と呼びかけ、振り向いただけで禅僧ではないと見抜くほどの眼力をもっていた。資福の円相にも惑わされず、来たこと自体がすでに余計だと返したのはその眼力の表れである。圜悟はこれを言中辨的、句裏蔵機の公案と呼ぶ。それでも雪竇が片眼と評した意図を問い、自分が陳操ならどんな一句を言えたかと読者に迫る。人を見抜く眼は大切だが、見抜いて終わるのでは半分にとどまる。自分ならどう応じるかを常に考える習慣を促す段である。

この章句が説くこと

勘弁円相具眼公案陳操資福

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