碧巌録 / 第三十一則
龍牙示眾道。夫參學人。須透過祖佛始得。新豐和尚道。見祖佛言教。如生冤家。始有參學分。若透不得。即被祖佛瞞去。時有僧問。祖佛還有瞞人之心也無。牙云。汝道江湖還有礙人之心也無。又云江湖雖無礙人之心。自是時人過不得。所以江湖却成礙人去。不得道江湖不礙人。祖佛雖無瞞人之心。自是時人透不得。祖佛却成瞞人去也。不得道祖佛不瞞人。若透得祖佛過。此人即過却祖佛。也須是體得祖佛意。方與向上。古人同。如未透得。儻學佛學祖。則萬劫無有得期。又問如何得不被祖佛瞞去。牙云。直須自悟去。到這裏須是如此始得。何故為人須為徹。殺人須見血。南泉雪竇是這般人。方敢拈弄。頌云。
新字:竜牙示衆道。夫参学人。須透過祖仏始得。新豊和尚道。見祖仏言教。如生冤家。始有参学分。若透不得。即被祖仏瞞去。時有僧問。祖仏還有瞞人之心也無。牙云。汝道江湖還有礙人之心也無。又云江湖雖無礙人之心。自是時人過不得。所以江湖却成礙人去。不得道江湖不礙人。祖仏雖無瞞人之心。自是時人透不得。祖仏却成瞞人去也。不得道祖仏不瞞人。若透得祖仏過。此人即過却祖仏。也須是体得祖仏意。方与向上。古人同。如未透得。儻学仏学祖。則万劫無有得期。又問如何得不被祖仏瞞去。牙云。直須自悟去。到這裏須是如此始得。何故為人須為徹。殺人須見血。南泉雪竇是這般人。方敢拈弄。頌云。
書き下し
龍牙衆に示して道く、夫れ参学の人は、須らく祖仏を透過して始めて得べし。新豊和尚道く、祖仏の言教を見ること、生冤家の如くにして、始めて参学の分有りと。若し透不得ならば、即ち祖仏に瞞ぜられ去らん。時に僧有りて問ふ、祖仏還た人を瞞ずるの心有りや也た無しや。牙云く、汝道へ、江湖還た人を礙ふるの心有りや也た無しや。又云く、江湖は人を礙ふるの心無しと雖も、自ら是れ時人過ぎ得ず。所以に江湖却つて人を礙ふることを成し去る。江湖人を礙へずと道ふことを得ず。祖仏は人を瞞ずるの心無しと雖も、自ら是れ時人透り得ず、祖仏却つて人を瞞ずることを成し去る。祖仏人を瞞ぜずと道ふことを得ず。若し祖仏を透得し過ぎば、此の人即ち祖仏を過却す。也た須らく是れ祖仏の意を体得して、方に向上の古人と同じかるべし。如し未だ透得せずして、儻し仏を学び祖を学ばば、則ち万劫にも得る期有ること無し。又問ふ、如何にしてか祖仏に瞞ぜられ去らざることを得ん。牙云く、直に須らく自ら悟り去るべし。這裏に到りては須らく是れ此の如くにして始めて得べし。何が故ぞ。人の為にするには須らく徹すべし、人を殺すには須らく血を見るべし。南泉雪竇は是れ這般の人、方に敢へて拈弄す。頌に云く、
現代語訳
龍牙は大衆に示して言った、「そもそも参学する者は、仏祖を突き抜けてはじめてよいのである。新豊和尚(洞山)は、仏祖の言葉や教えを生きた仇敵のように見てこそ、はじめて参学の資格があると言った。もし突き抜けられなければ、仏祖にだまされてしまう」。そのとき一人の僧が問うた、「仏祖には人をだます心があるのでしょうか」。龍牙は言った、「では言ってみよ、川や湖には人を妨げる心があるだろうか」。さらに言った、「川や湖には人を妨げる心はないが、人々のほうが渡れないのだ。だから川や湖がかえって人を妨げることになる。川や湖は人を妨げないと言ってはならない。仏祖には人をだます心はないが、人々のほうが突き抜けられないので、仏祖がかえって人をだますことになる。仏祖は人をだまさないと言ってはならない。もし仏祖を突き抜けることができれば、その人は仏祖を超えている。それでも仏祖の意を身につけてこそ、向上の古人と同じになれる。もしまだ突き抜けられないまま、仏を学び祖を学ぶならば、万劫たっても得る時はない」。僧はまた問うた、「どうすれば仏祖にだまされずにすむでしょうか」。龍牙は言った、「ただちに自分で悟らなければならない」。ここに至っては、このようでなければならない。なぜか。人のためにするなら徹底せねばならず、人を殺すなら血を見なければならないからだ。南泉と雪竇はまさにこういう人であり、だからこそあえてこの公案をひねりまわすのである。頌に言う。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『甲陽軍鑑』品第四十子細は信玄公わかうまします時より、諸侍のことばをよくきゝ、分別あるも、なきも、つよからんも、よはからんも其人の物いふ儀にてつもり被成たるが、今日にいたるまでも、それがしむけんならくへ堕罪仕らん、少もあひちがはず候、さるほどに、よき事をもほめ所を見いだし、聞付穿鑿の取さたをもつて善をば善と定め、悪をば悪とさだめ、道理をつめてほめそしる武士の作法なり、さなくして、かたはし聞て我贔負の者を虚空によきとばかり批判する事女にあひにたる侍、と信玄公の常々御諚これなり、如此有様にせんさくあそばす故、若手に能武士出くるなりと阿部加賀守申て、金丸助六郎·同惣蔵にをしゆる也、
-
『正法眼蔵随聞記』巻一宋土の寺院なんどには都て雑談をせざれば、其やうなること、をも云はざるなり、吾が国も近ごろ建仁寺の僧正存生の時は、一向あからさまにも此の如きの言語出来らず、滅後にも存世の時の弟子等、少々残りとヾまりたりし時は一切に云はざりき、近ごろ此の七八年より以来、今ま出の若き人たち時々談ずるなり、存外の次第なり、聖教の中にも麁强悪業令人覚悟無利言説能障正道とありて、只うち出して云処の言ばすら、無利の言説は障道の因縁なり況やかくの如きの言語は、ことばに引れて即ち心も起りつべし、最も用心すべきなり、故さらにかくなん云はじとせずとも、悪きことゝ知りなば漸々に退治すべきなり、
-
人物志・八觀其の言甚だ懌べども、精色従わざる者は、中に違う有るなり。其の言違う有れども、精色信ずべき者は、辞の敏ならざるなり。
-
『正法眼蔵随聞記』巻一雑話の次でに云く、世間の男女老少多く交会姪色等の事を談ず、是を以て心を慰むるとし、興言とすることあり、一旦意をも遊戯し、徒然も慰むるに似たりと云ふとも、僧はもつとも禁断すべきことなり、俗猶よき人、まことしき人の、礼儀をも存じ、げにげにしき談の時、出来らざることなり、只乱酔放逸なる時の談なり、況や僧は専ら仏道を思ふべし、雑語は希有異体の乱僧の云ふことなり、
-
論語・顔淵篇司馬牛、仁を問う。子曰く、「仁者は、其の言や訒し。」曰く、「其の言や訒しければ、斯れ之を仁と謂うか。」子曰く、「之を為すこと難し、之を言うこと訒きこと無きを得んや。」
-
『甲陽軍鑑』品第六如此の三楽も無果報〓にや終に一国とはたもたず、彼の三楽信玄公の背語申つることを聞て弥三楽を高上に存する也、古語に曰く、金以火ヲ試ミ人ハ以言ヲ試ム云々、人の善悪を云にて、其の者の行何計の者也としる可、人は人をほむるもそしるも大切ならん、九思一言ことはにけがのなきが実の武士ならん、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る